黒猫とキス
「っっ、どわっ?!!」
ランニングの途中、少し休憩と土手にごろりと転がって、空の眩しさに一度閉じた瞼を開いたら、黒猫に覗き込まれていた。
目を閉じていたのなんて、ほんの一瞬だ。その一瞬の間に現れたのだから、そりゃあもう驚いた。黒子かよ、などと思いつつ、すました顔で座っている小さな猫をひょいと摘まみ上げる。
「お。瞳の色も一緒。」
胸の上に乗せれば、小さな足を踏ん張ってこちらを覗き込む仔猫の瞳は澄んだブルー。増々アイツっぽいなと笑うと、仔猫は身を乗り出すように顔を近づけて来る。
「ん? んだよ? っぶ!!」
すんすんと鼻を鳴らす仔猫は、随分と自分に興味津々な様子。そんな仔猫に喉を鳴らして笑っていたが、口元をザリと舐められ、小さな身体を掴む。
が。
「おいっ…コラ、やめろって!」
瞬間、仔猫は爪を出してシャツに引っ掛けたらしい。仔猫を持ち上げればTシャツも一緒に引っ張られ、襟刳りが伸びてしまいそうで、強引に引き剥がすこともできない。仔猫は口元ばかりか、制止の声を上げる口の中まで、小さな舌でザリザリ舐め続ける。
暫くの後、満足したらしい仔猫は火神の胸の上でくるんと丸くなって。
漸く解放された火神は、ぐったりとして息を吐いた。
「キスするなら、アイツみてーな猫とじゃなくて、猫みてーなアイツとのがいいっつの…」
注文していた本が入荷したと連絡を受けて早速買いに行った帰り道、早く帰って読みたいと急いでいたはずの足がぴたりと止まった。
青々と茂る草の中に覘く、鮮やかな色彩。足は当たり前のようにそちらへと向かう。
「…気持ち良さそうに寝てますね。」
静かに近づいてみれば案の定。土手の真ん中で寝息を立てているのは火神だ。仰向けで転がる彼の胸の上には真っ黒な仔猫。どちらも至極気持ち良さそうに眠っていて、黒子はいそいそと携帯を取り出すと、その光景をカメラに収める。
「すみません、起こしてしまいましたか?」
シャッター音に小さな耳がぴるぴると震え、仔猫が眠たげな瞳で黒子を見上げる。
声を潜めて小さな頭を撫でれば、仔猫はふわあっと欠伸を漏らして火神の胸から下り去って行く。
もう少し見ていたかったのに、と残念で仕方がない。けれど、軽く項垂れたその先にいる大きな猫のような男は未だ夢の中。その、ゆっくりと大きく上下する胸に、仔猫の真似して頭を乗せてみる。
脈打つ鼓動が耳に心地良い。吹き抜ける風と相俟って、急速に瞼が下りてくる。昨夜も遅くまで本を読んでいた所為で、襲い来る睡魔に抗えない。
どうにも重たい瞼は結局そのままくっついて。黒子は身体を丸めると、眠りの淵へと潜って行った。
目が覚めたら、黒猫が黒子になっていた。
何だこれ夢か、と思いつつ、自分の胸を枕に寝息を立てている黒子を見下ろす。
一体いつの間に入れ替わったのか。何だかもう、あの猫が実は黒子だったとしか思えない状況だ。
そうすると、さっきの猫とのキスは黒子とのキスだったと言うことになるのだと。思って、起こしていた首を再び草むらに沈める。
「…どうせなら、人間の時にキスしろよ…」
今度はこちらから仕掛けてやろうかと思うも、動けば良く眠っているらしい黒子を起こしてしまうと思うと、起き上がることなどできなくて。
結局火神は、そろりと伸ばした指先で柔らかな髪を撫でるだけだった。