その日ボクは、絶望という闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

貴方の肩に手が届くから

 

 

 

 

 

 

 

「完治はしないと言うことですか…?」

「今、治療すれば、日常生活に支障はありません。」

 肩に違和感を覚え始めたのは、高校二年の冬の初め。春を迎えても消えるどころか大きくなるそれに、病院へと足を向けたのが、高校生活最後の大会が始まる二週間前のことだった。

 そこで告げられたのは、バスケは辞めた方がいいでしょうと言う、非情な言葉。中学の頃からパスに特化し、それだけを磨き続けていたボクの肩はボロボロになっていた。

 バスケはもうできない。

 肩を酷使し続けていれば、いつかは直面する事態だったろう。だけど今、何も今起こらなくても…!

「黒子ォ? んなとこで何やってんだ、オマエ。」

 いつ病院を出たのか、どうやってここまで歩いて来たのか、覚えていない。気が付けば、学校からそう遠くない公園に佇んでいた。

 入学してすぐ、火神くんと1on1をした、あの公園に。

 呆とリングを見上げていたら、名を呼ばれてのろのろと振り返る。訝しげな顔をして大股に歩んで来るのは火神くんだ。近づいて来る彼を、虚ろなまま見つめる。

 ボクの光。彼の影となって、彼を日本一にすると約束した。

「今日、病院行ったんだろ? どうだった?」

「………」

「黒子?」

 彼は近づいているはずなのに、その顔が見えない。次第に大きくなる足音が、やがて目の前で止まる。

「どうした…? 何、泣いてんだよ。」

 心配そうな声。指先が、少し乱暴とも思える強さで目元を拭ってくれるけれど。

「っ…かがみ、くん…」

 もう、彼の影として並び立つことができない。そのことが哀しくて悔しくて苦しくて。涙が溢れて止まらなかった。

 

 

 

「そうか……」

 抱き寄せてくれる彼の胸に甘えて泣いて、どうにか少し落ち着いた頃、ゆっくりでいいから話せと言われて、全てを話す。

 火神くんは一言呟いたきり、月を見上げている。

 せめて、せめてもう少しだけ、いずれ起こり得ることだったとしても、もう少しだけ待って欲しかった。

 最後の大会は目前。彼を、彼とチームを日本一にするまでは。

「本当は…」

 俯き唇を噛むボクの耳に、再び呟く声が聞こえて顔を上げる。

「本当は、無茶すんなって言わねーとなんだろうけどな…」

 火神くんはまだ月を見上げている。その横顔を見つめていると、実際、して欲しくねーしと、苦しげに瞼を閉じる。

 しかし。

「それでも、オマエ抜きで戦うとか、考えられねぇ。日本一になった時、そこにオマエがいねぇとか、考えられねぇ。」

 けど、と再び瞼を持ち上げた彼は、辛そうに眉を顰めながらも真っ直ぐな瞳を向けて。

 ボクは震える唇を噛み締めると、同じ強さでその瞳を見つめ返した。

「ボクも、その瞬間は、キミの隣に立っていたいです。」

 

 

 

 

 

「いくら本人に覚悟があるからって、そんな人間使えるか、ボケ!」

 翌日、卒業したからって放り出せるかと、大学へ通いながら指導に来てくれているカントクに話すと、当然のことながら反対された。

 スポーツトレーナーの父を持つ彼女は、怪我や故障にだって勿論詳しい。怪我ナメてんじゃないわよと、きつく眦を吊り上げる。

 が、しかし。

「って言ったって、どうせ聞かないんでしょ。」

 それでも譲れないと拳を握りしめると同時、不意に彼女は肺が空になるのではないかと思う程大きく息を吐いて。

「もう三年よ? アンタが頑固なことくらい、重々承知よ。」

 言い出したら聞かないんだもんね、と肩を竦める。

「ただし、ここぞって時だけよ。緒戦は大人しくしてること! いい?」

「はい。」

 けれど、鼻先に突きつけられた指先は、内心の葛藤を示すように小さく震えていて。

 我儘を聞き入れてくれたカントクに、ボクは深く頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビーーーッ!

 

 試合終了のブザーが鳴り響き、一瞬の静寂の後、ドウと沸き上がる歓声に大きな体育館が揺れる。

 ベンチから飛び出して来る仲間たち。ラストパスをリングに叩き込んだ火神くんが拳を握りしめて叫び、振り返る。

 こちらへ駆け寄る彼の元へ自分も向かいたいのに、足が進まない。肩から広がる酷い痛みに景色が歪んで。

「黒子っっ!!!」

 血相を変えて伸ばされた火神くんの腕と声を最後に、ボクの意識はそこでふつりと閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火神くん、あれを取ってもらえますか? 二段目の…」

「これか?」

「いえ、その右隣のです。」

 下の方からボクが指し示す棚に腕を伸ばした火神くんが、いとも容易く本を取り出し、ほら、と渡してくれる。

 無理を押して酷使し続けたボクの肩は、とうとう胸の辺りまでしか腕を上げられない状態になってしまった。

 何と言われようと、やっぱり出すんじゃなかったと、カントクは涙を零していたけれど、ボクは後悔していない。ボクの手が届かなくとも、火神くんの手が、それを代わりに掴んでくれる。

「でも、ひとつだけ不満なんです。」

「あ?」

「火神くんの肩に、手が届きません。」

 だから何の問題もない、と言いたいところだけど、たったひとつの不満。それはキスをする時、彼の首に腕を回せないこと。

「こうすりゃいいだろ。」

 こればかりは火神くんに代わってもらうことはできないと、軽く口を尖らせていたら、破顔した火神くんにひょいと抱えられる。

 下ろされたのは、彼の膝の上。こうすると、さすがにボクの方が目線が少し高くなる。

「これなら問題ねぇだろ?」

 ニッと笑みを浮かべる火神くんにくすくすと笑い返して。

「そうですね。」

 ボクは彼の首に腕を回すと、可愛らしく音を立てて唇を触れ合わせた。