カワイイヒト

 

 

 

 

 

 

 

 

「火神くん、火神くん! 雲が下にあります!」

「火神くん! 雪! あそこ、雪が積もってますよ!」

「初めて飛行機に乗ったガキかよ。」

 小さな窓に貼り付いて声を上げる黒子に、火神はついつい苦笑を漏らす。

 キラキラと瞳を輝かせ、その瞳に映る全てを逐一報告する様は、小さな子供のようだ。

 言えば「子供じゃありません」と、不服そうに睨みつけてくるけれど、ぷうっと口を尖らせて睨まれても可愛いばかりだ。思わずかいぐりかいぐりと頭を撫でる。

 頭に乗せた手は、ベシッと叩き落とされてしまったが。(スナップが効いているので、かなり痛い)

「つーか、マジで乗ったことねぇのか?」

「そんなことありませんよ。全中などの遠征では、飛行機を利用してましたし。」

 赤くなってしまった手首を擦りつつ問えば、初めてと言う訳ではないらしい。それにしては随分新鮮な反応だと思っていると、窓側に座るのは初めてなのだと言う。

「みんな、窓側に座りたがるでしょう? だから、いつも通路側だったんです。それに…」

 窓側争いに敗れていた、と言うより、争奪戦に参加自体していなかったのだそうだ。後を続けようとしたところで、アテンダントが機内食を運んで来て言葉が途切れる。

「それに、奥に座ってると、気づかれないことが多いんですよ。」

 黒子の分も受け取って渡せば、小さな溜息。アテンダントが後ろの座席に移動した後、苦笑と共に告げられたのは、そんな言葉。そう言えば、今のアテンダントも驚いていたか。

「通路側にいても、たまに気づかれないこともありましたし。」

 特に飲みたいとも思わないんでいいんですけど、そうすると、気づいた黄瀬くんが大きな声でアテンダントの人を呼ぶので、少し恥ずかしいんですよね、と。小さく眉を顰めて言うのには、頬張った肉を噴き出しそうになる。

「なら、初めての窓側、堪能しろよ。」

「子供扱いしないでください。」

 くつくつと笑いながら頭を撫でれば、またもやベシッと叩き落とされてしまったけれど。

「あ。ほら、虹。」

「?!!」

 一言で再び窓に貼り付く黒子を、火神は目を細め眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしい空気にぐっと身体を伸ばす。

 帰って来た、と思うのは多分間違いなのだろうが、再び訪れたと言うよりは帰って来たと言う感覚だ。逸る足を踏み出して、はたと隣にいるはずの存在を思い出す。

 が、

「火神くん、どこですか?!」

 振り返ったそこに黒子の姿はなかった。また消えやがった、と思うと同時、心細げな響きを含んだ声が聞こえて来る。

「ったく…」

 声のした方を見やれど、黒子の姿は人波にすっかり埋もれて見えやしない。毎回思うが、迷子を捜す親の気分だ。今回ばかりは、慣れない場所である為か、黒子の方も迷子のように自分の名を繰り返している。

「え? あの…すみません。わからないです。」

 人の流れに逆らって黒子の方へと向かっていたら、火神くん、火神くん、と繰り返されていた声が、突然誰かとの会話に変わる。

 妙なのに捕まったかと慌てたものの、漸く見つけた黒子の前にかがみ込んで話しかけているのは、穏やかな笑顔の黒人女性。初老の彼女が話しかけている言葉に、火神はぶふっと思い切り噴き出す。

「あ、火神くん!」

「何やってんだ、オマエ。」

『お連れの方?』

『あぁ。すんません。』

『いいのよ。はぐれちゃったのかと思って心配したの。』

 安堵したように小走りで寄って来る黒子と、同じく安堵した顔で微笑む女性。気をつけてね、と、黒子の頭を撫でて去って行く彼女に、火神は再度ぶっと噴き出す。

「? 火神くん?」

「オマエ…っ、小学生くらいだと思われてんぞ、あれ…っ!」

 きょとん、と、黒子が何も解っていない顔で見上げるから、余計に可笑しい。呆然と彼女の去った方を見つめて「ヒドイ…」と呟く黒子の隣で腹を抱えて笑う。

「…いつまで笑ってんですか。」

「うっ!」

 トーンの下がった声と脇腹に入った拳に、どうにか一度は笑いを引っ込めたけれど。

「ほら。」

「何ですか?」

「手。繋いどけば、はぐれて親切な人を心配させなくて済むだろ?」

「子供じゃないです。」

 膨れっ面をしつつも手を握る黒子に、火神はまたも腹を抱えて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

『凄いな、テツヤは!』

『大我が連れて来た時には、こんな小さいコがと思ったのになぁ。』

「? 何て言ってるんですか?」

「オマエのパスは凄いってさ。」

 祖母の家に荷物を置いて早速向かったストリートコート。久しぶりに顔を合わせた友人たちは案の定、初めは笑っていたが、いざプレーを始めた途端、眼の色を変えた。笑っていて勝てる相手ではないと認識したのだ。

 本気でやったところで、見えない相手に太刀打ちなどできないのだけれど。

 初めて見るスタイルのバスケに、皆、感嘆の思いを抱いて黒子を囲んでいる。それが、火神には自分のことのように誇らしい。

『テツヤ! 今度はこっちのチームに入ってくれよ!』

『おいコラ。勝手に決めんな。』

『何だよ、大我。独り占めか?』

『当たり前だろ。コイツはオレのもんだぜ?』

 きょろきょろと取り囲む連中を見上げる黒子を眺めていたら、相手チームの一人が黒子の腕を引く。何を言われているのか解らない黒子はされるがままだ。

 別にそのままどこかに連れ去られはしないだろうが、ぐいと肩を引き寄せ取り返す。

 上がるブーイングにニヤリと笑ってみせれば、見上げる黒子はきょとんと瞳を瞬かせて。

「火神くん?」

「オマエはオレのもんだって教えてやってんだよ。」

 そんな黒子に、火神は周りに見せつけるように薄い唇を啄んだ。

 

 すぐさま鳩尾に拳が入ったけれど。

 真っ赤な顔でわなわな震える黒子としゃがみ込んで咽せる火神に、皆は『日本人はシャイだから』なんて笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり日本が一番落ち着きます。」

 行きとは真逆に、空港に降り立つと同時に黒子がほっと息を吐く。

 言葉も解らず、背の高いのに囲まれて、少し滅入っていたらしい。けれど火神にしてみれば、飛行機の窓に貼り付いて瞳を輝かせる黒子も、火神を頼って傍を離れない黒子も、可愛らしくて仕方がなかった。

 日本じゃそうはいかねぇからなと思いつつ、火神はぽふぽふと黒子の頭を撫でる。

 が、しかし。くるりと振り返って見上げる黒子は、払い落とすかと思いきや、火神の手をきゅっと握りしめて。

「とても楽しかったです。」

「そーか。」

「…堂々と手を繋いでいられるのも…」

 嬉しかったです、と。照れ臭そうに俯いて呟き、離れようとする手を握り返すと、火神は淡く染まった頬に音を立てて口づけた。

 

 たまたま近くを通りかかった白人がピュウッと口笛を鳴らし、首まで赤くした黒子は振りほどいた手を火神の腹に叩き込むと早足でゲートへ向かう。

 喰らった拳の強さに涙目になりながらも、火神は可愛い恋人の後を追って再び指を絡ませた。