24+
「Happy Birthday.」
「………」
携帯が漸く恋人からの着信を告げたのは、夜がすぐ目の前まで迫っている時刻だった。
ディスプレイに表示された名を睨むこと十数秒。ゆっくりと通話をオンにして耳に押し当てれば発音の美しい英語が滑り込んで来たが、黒子は深く溜息を落とす。
「ありがとうございます。覚えてたんですか。」
「ああ?! 当たり前だろ!」
礼と共に嫌味をひとつ。恋人は忘れるはずがないなどと言うが、だったら何故、こんな時間なのか。黒子はぷうと唇を尖らせる。
今日、一番に祝いの言葉を贈ってくれたのは、黄瀬だった。キミはボクの恋人ですかと呆れつつ突っ込んだものの、黄瀬の無駄なマメさは今に始まったことではないし、自分に対してだけのものでもないので、礼を言って切った。本物の恋人からかかって来るかもしれないからと。
なのにどうだ。待てど暮らせど恋人からの連絡はなく、漸くかかってきたのはこんな時間。しかも、何故遅くなったのか言い訳するどころか、悪びれる様子すら感じられない。折角の誕生日だと言うのに、拗ねた気分になっても仕様があるまい。
しかし。
「ちゃんと日付が変わってすぐ電話してんだろ!」
「………は?」
恋人の誕生日くらい当然覚えていると、叫んだその後に続いた言葉に目が点になった。そんなことをしても顔が見える訳ではないが、思わず携帯を耳から離して見つめてしまう。
「…キミは一体何年、そちらに住んでるんですか、バカガミくん。」
「バカガミ言うな!!」
だが、おかげで火神の言葉が理解できた。頭を抱える思いで、携帯を再び耳に押し当てる。
「時差と言うものの存在は知っていますか? 日本とロスとでは確か十七時間ありましたね。」
「………あ…」
「そちらは日付が変わったところかもしれませんが、こちらはもう夕方の五時ですよ。」
言えば本気で忘れていたらしい。全く、そんな相手をバカガミと呼ばずして何と呼ぶのか。誕生日だと言うのに、溜息ばかりが漏れる。
「まあ、ちゃんと覚えていて、日付が変わると同時に連絡しようとした、そのことは評価しますよ。」
一番に祝おうと考えていたこと、そのこと自体は評価する。評価するがしかし、零時になった直後に鳴り出した携帯を開いた瞬間のあの落胆、ベッドの中にまで携帯を持ち込んだ夜と、メールも着信も入っていないそれを目にした朝とを思えば、あっさり許してやる気になどなれるはずがない。
「電話ありがとうございました。そちらは夜も遅いんでしょうし、切りますね。ボクもこれから、黄瀬くんと二人で飲みに行くことになっているので。」
「なっ?! ちょっ、待っ…!」
「おやすみなさい。」
二人で、の部分を強調すれば、火神が電話口で慌てる声が聞こえる。もちろん、飲みに行くなど嘘だが、このくらいの意趣返しは許されるだろう。にっこり笑って通話を切る。
さて恐らく、黄瀬の方へも連絡が行くだろう。口裏を合わせてもらわなければ。
「黄瀬くん? ちょっとお願いがあるんですけど。」
火神には明日にでも連絡すれば良い。そう考えながら、黒子は黄瀬へと連絡を入れた。
翌朝、まさか目の前に火神が立つなどとは露知らず——。
「…何でここにいるんですか…?」
一体どこから疾走してきたのやら。玄関先で両膝に手を付き、ぜいぜいと息を吐く恋人を呆然と見下ろす。
まだ陽も昇りきらない午前六時過ぎ。インターフォンを連打する迷惑な訪問者に、不機嫌を露にドアを開けたら、そこにはロスにいるはずの恋人。眠気など当然、一瞬で吹き飛んだ。呆然とするしかない黒子の前で、恋人はまるでアメリカから走って来たとでも言わんばかりの態で、荒い呼吸を繰り返している。
「空港、から…だよ…っ。」
「え?」
「電話、っ!」
その口から切れ切れに紡がれる言葉。解らず問い返せば、実はあの電話は搭乗前にかけたものであると知る。
「最初から、来るつもりだったんだよ。本当は黙って来て驚かせようと思ってたけど、出発が少し遅れるってんで、電話する時間出来たから…」
ならば電話して何喰わぬ態度でそれを切って、そうして訪れて驚かせようと考えたらしい。
ところが、時差を頭に入れていなかったと言う、痛恨のミス。通話を切られて、本当に日本まで走る勢いで飛行機に飛び乗ったのだと言う。
「…まったく、キミって人は…」
十分驚きましたよ、と腕を伸ばせば、僅か躊躇い勝ちに腰に手が回されて。
「あー…と。遅れて悪かった、な。」
「遅れてませんよ。向こう時間では、まだ三十一日でしょう?」
一段と逞しくなったその腕の中で、黒子は柔らかな笑みを浮かべた。
本誌でまさか本当に時差を忘れるっつーことをやらかしてくれるとは
思いもよりませんでした…。