色鉛筆画とエッセイ
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  『…』
ある日の新聞に……
歌は心で歌うと言うけれど、感情を込めすぎて歌を台無しにする事がある。
歌自身の語る力をまっすぐに伝えられればそれが1番。
と、いう言葉があった。
~~ 惹かれる言葉 ~~
例えば 創作でいうと、ものの形にとらわれないで存在をみる
と、いう事なのかな 等と考えてみたりした。

size:14×14
 
  
 




 
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世界は全部ぼくのもの

どんな時に(あ、こんな絵を、描こう!)と思うのか?

そのカタチが額縁に入った状態で目の前に浮かぶ時。

詩を書いてる人には頭の中になにかしらの光景が浮かんでるはずだし。
音楽家だって誰かや何かの光景を思い描いて弾いてたりする

実際にはない光景がそこには存在する。




size:10cm丸


 
  
 



 
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世界は全部ぼくのもの
どんな時に(あ、こんな絵を、描こう!)と思うのか?

そのカタチが額縁に入った状態で目の前に浮かぶ時。

詩を書いてる人には頭の中になにかしらの光景が浮かんでるはずだし。
音楽家だって誰かや何かの光景を思い描いて弾いてたりする

実際にはない光景がそこには存在する。

size:10cm丸


 
  
 









 
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じっと見ると何かにきづく絵
ニッポンの霊峰 富士の山頂から自由に天空を翔けまわる妖精たちを描いています。

富士は中央、下の方。その富士から天辺あたりに岩に腰掛けた福禄寿も描いています。
家人の故郷 愛知に向かう新幹線の車窓からは、途中神々しいばかりの富士山の姿が目に飛び込んできます。
急いでカメラを取り出す人…両手を合わせ何かを願う人。
富士には日本人の心を一つにする力があると思うのです。

size:A3

 
  
 












 
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花育ガール
咲いた咲いた♪と童謡のようにリズミカルに眺めてしまう絵。

フェルメールの絵をみた私の感想です。
人物が花のように、可憐に、キャンバスの上でふわり咲いてました。

今年の盛岡のフェルメール展は、皆様足を運ばれた方も多い

のではないでしょうか?

ところで…
わたしだけ、でしょうか?(´◉ω◉` )

『えっ!あのフェルメールが来た!!』こう勘違いして(本物だと思って)
胸踊らせて会場へ向かった人。
リ.クエイト画(写真)というのだそうです。おかげで沢山の写真撮影が
自由にできましたけど。
ちなみにルーブル美術館のモナリザは壁に飾られたままです。

展示に掛ける保険金が何百億とかでなかなか二の足が踏めないらしいです。

この話は知ってたのに☆
size:変形

 
  
 








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リカパーティ

言葉を風にしないために
言葉に形をつけて
色塗りをして
1枚をしあげる。絵は文字ほどストレートには伝わらない(かも)
でも絵の中にはたくさんの言葉が入ってる。
その絵がなぜか好きというのは絵が取り込んでる言葉の一つを

拾ってるからかもしれない。

size:はがき

 
  
 








 
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アリスは花の中
今年は縁あって
海外展に出展してみました。
ご縁って本当にさりげない。
じゃーん☆
と、行く手に目立つように飛び出しては来ない
海外展のきっかけのもとも“1枚の色紙”だったのだし。
ひょんなきっかけで絵だけが、旅をして...帰ってきた1枚に海外の
残り香がないか、私は顔を近付けたりしたけど。
不思議だ。
井の中の蛙、のように自宅保管にいたままでも、海にドボンと飛び込む
事が可能になる。
時代なんだなぁ……今の時代を他人事のように想ってしまう。

size:10×10

 
  
 









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過去と未来
絶滅危惧種に指定されている紫草(むらさき)を真ん中に描きました。

植物図鑑で初めて見た時、その枝葉の濃い翠と白く小さい花のコントラストに目がとまり
ました。紫草(むらさき)という名前に・・・そういえば何年か前、そのむらさきの根から
作ったという化粧水の小瓶を貰ったことを思い出したのです。『これがあのムラサキ?』と
当時の光景が重なりました。この事が描きたいというきっかけになったのです。(絶滅危惧種

の指定は後に知りました)
春先に近くの園芸講座に出かけ紫草の芽をもらいました。
夏になり順調に伸びてきた葉は、やはりぴんとしていて、白い花は肉眼では細部が分か
りにくい程小さくて。だから私が描いた花は大きく掲載されている図鑑の花です。

むらさきについての文献を読むと・・・
その根から抽出される紫の色が古くから染料や薬用として大切にされてきたこと。その
希少性から東西を問わず高貴な色とされ、古代エジプトやローマでは皇帝の色として、
一大分化を形成していた時代もあったこと、日本でも万葉集や源氏物語に登場し、最上の
女性には紫の一文字が入っていた事、などが書いてありました。
“枕草子のたくらみ”という著書も興味深く拝読しました。むらさきへの理解を深める事で
その都度「描いていこう」という気持ちを奮い立ててもいまさした。
打ち明けると、
途中『あ、これは厳しいなぁ』と、なんどか中断してしまった絵です。
まずこの縦長の形に苦戦しました。(縦長と向き合う姿をご想像ください(笑))
更に紫という色自体、私にはちょっと苦手な色でした。
そうして完成した絵は最初の構想からは随分変わりました。
思い入れもプラスして、平安を彩る女性達を描き入れました。
存在こそしてませんが、
残された歌や物語が音のない声を今も現世に伝えています。
その声を“聞こえる音”
として、ちゃんと拾おうとすると、『その存在は確実に今も生きる』こう思えるのです。
存在していても無関心を装われたら、どこか消えてしまいそうになる気持ちを考えると
尚更そう思います。
見えないから何もない、というのではなくて・・・
例えて言えば、土の下で這うように伸びた根が、春には地上に出る花の輪郭を想いえがいていたり。

私が一番描きたかったのは、
そういう(忘れたりしない)記憶の根だったのかもしれない。

size:86×42

 
  
 


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