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                                             (photo/ponpoko urasawa)

         できれば一生、漂っていたい。じゃあそうすればいいジャン、とも思うけど…
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     ■ 「バックパッカー症候群」とは?

        症例その一・ポンポコ浦澤のバックパック

        旅の哲学 ↓
        
  ■VOL.4  旅先の女 その1 ジェニー〜バリのアル売春ガール  

    男の真っ当な人生を狂わす大きな要因に、“旅”と“女”があることについては、みなさん御
    承知の通りだ。その二つがよりにもよって合体した“旅先の女”が安全であるはずがない。
    これはそんなおはなし。

               *             *            *

    ジェニーは二十歳の中国系インドネシア人で、バリ島のサヌールに住んでいた。
    最初に会ったディスコでは、州都のデンパサールに通う女子大生という触れこみで、俺と
    Hがクタのロスメンに泊まってサーフィンをしていると言うと、「まあ!」と言って驚いてみせた。
    クタは猥雑で汚く、不良が集まる危ない町です、というのである。
    「うん、そうかも知れないけど。でもそのゴチャゴチャした感じが、僕は好きなんです」と俺は
    言った。ああ、これがインドネシアの女子大生というものなのかと、無邪気に感動すらしなが
    ら……。

    ラジオの脚本の仕事で手にした多少の小金を抱えて、その時俺は、2ヶ月の予定で島に来て
    いた。馴染みのクタでサーフィンすることと、小説を一本書き上げるのが目的だった。
    南の島でサーフィンをしながら小説を書く──。
    理想の生活を実践してやるつもりだった。

    話のあった文芸誌の指定では、50枚くらいの短編という注文だったが、俺は最初からそんな
    ものを書くつもりはなかった。
    ──ここは一気に300枚くらいの長編を書いてやる。とにかく中身さえ良ければ、あとはなん
    とかなるだろう。
    正直、乱れに乱れた生活を立て直すチャンスだと思っていた。長編ならそのまま本にできるし、
    生活費の安いバリで、2ヶ月こもって集中すれば、それくらいのことは出来るんじゃないかと、
    なにを根拠にしたのか、勝手に思い込んでいた。

    だが、もちろんそんなわけがなかった。
    島について1ヶ月近くがたっても、小説はさっぱり進まず、ただやたらと健康的に色が黒くなっ
    ただけだった。
    「なんて言うか、リズムがデスクワークに向いてねーんだよな」
    俺はヒマラヤで遭難するアルピニストの話を書いていたのだが、海と太陽とサーフボードは、
    どうやら小説とは両立しないものらしかった。たまに見かける子供連れのカップルが妙に幸せ
    そうに見えたりして、俺はボンヤリと夕陽を眺めたりした。

    Hから連絡があったのは、そんな頃だった。
    Hは中学時代からの俺の悪友で、またナンパの時には常に頼もしい相棒でもあった。「よし、
    ヤツが来たらいっちょう派手にやるか!」──この時まで、俺は掛け値なしに夜は品行方正
    にして小説に打ちこんでいたのだが、それもそろそろ限度だと思えた。
    なにしろ“バリ”なのである。バリと言えば“ビーチボーイ”。ビーチボーイと言えば“ナンパ”。
    俺もそろそろ、やるべきことをやるべきだったのである。

    ジェニーはそのディスコの顔らしく、俺たちと話ながらも、やたらにいろんな奴と挨拶を交わし
    ていた。そうこうするうちに、ジェニーの女友達のひとりとHがくっついた。俺たちは四人でひと
    しきり踊った。

    ジェニーは本当に踊りが好きらしかった。おどけた仕草でこちらを挑発し、愛嬌たっぷりにフ
    ロアの上を飛び跳ねた。ちょっとエキセントリック過ぎるくらいだったが、若くて綺麗な女の子
    が、とにかく自分の目の前でニコニコ身体をくねらせているのだ。俺が楽しくないはずがなか
    った。
    それに実は、俺も踊りがけっこう好きなのだ。ボヴ・マーリーの『ワンラブ』がかかると、俺と
    彼女は歓声を上げ、同時に飛びあがった。お互いこの曲が大好きなのだ。そのことを一瞬
    にして、伝えあった気がした。

    ワン ラブ
    ワン ハート  
    レッツ ゲッツ トゥギャザー フレンド
    フィール オーライ

    熱帯の夜の中に響くボヴ・マーリーの声は、また格別なものがあった。俺とジェニーは歌い
    ながら踊り、踊りながら歌った。
    「これ、これ、これなんだよ。俺が求めてたのは!」
    Hの耳元に俺は大声で話しかけた。奴もワカッテルッてと片手をあげた。奴もヨロシクやっ
    ているようだった。

    実はこのディスコに乗り込む前、俺とHは三軒ほど、サヌールの売春宿をハシゴしていた。
    ハシゴといっても実際に女と挌闘したわけではない。一種の社会科見学のようなものである。
    成り行き上しかたなく、ハシゴしてしまったと理解していただきたい。

    事情は、こんな感じだった。
    長いブランクのせいか、日本人のギャル相手ではいまいち成果を上げられないでいた俺と
    Hは、その日、目標を日本人から地元の女の子に切り換える作戦を立て、顔見知りのビーチ
    ボーイに相談を持ちかけた。
    「なあ、なあ、どっかに地元の女の子と仲良くなれる場所ないかな?」
    「なに、アナタ、インドネシアの女、好きか、それカンタンよ。イクくか? ワタシ案内よ」
    そう言われて、とにかくついて行ってみると、案内されたのは鬱蒼とした森の中に建つバカで
    かい屋敷だった。なんのことはない、要するにただの巨大な置屋だ。

    庭の中央でタクシーを降りると、庭のそここから途端に女たちがわらわらと集まってきた。見る
    と、庭の暗がりのあちこちに、小ぶりなバンガローが建っており、そこが彼女たちの仕事場ら
    しかった。
    気がつくと俺たちのまわりを、40、50人はいる女たちがグルリと取り囲んでいる。そして目が
    合うと口々に「オニッサァ〜ン」「選んで、選んで」「アイ ラブ ユー」などと、疲れと退廃の混じ
    ったネバネバした視線を投げかけてくるのである。

    これには正直、相当に腰が引けた。逆に女たちから輪姦されているような気分だった。とても
    その気になどなれない。
    別に主義主張があってのことではないのだが、Hにも俺にも、いわゆる“オンナを買う”という
    習慣がなかった。とにかくどんなにチャチくてもいいから、それなりに出会いがあり口説きが
    あり、擬似恋愛的なストーリーがなくては、パンツを脱ぐ気になれないのである。まあ単純な
    話、たんに遊び慣れていないというだけのことかも知れないが…。

    「違うんだよ、違うんだよ」──とにかく俺は案内役のビーチボーイにささやいた。「俺がウォ
    ントなのはこういうんじゃないんだよ。仲良くなるってのはつまり、ほら、お喋りしたり、ダンス
    したりさ。そりゃあ、ヤレるに越したことはないけど、こんな風に即物的にじゃなくて、つまり…
    わかるかなぁ」
    「オウ、わかるゥ、わかるね。すぐヤル、ダメね。ムードないよ」
    「そう、そう、そうなんだよ」
    「ヤル前、話すね、ダンスね、OK、レッツゴーよ。アイ アンダースタンドよ」

    そうやって次に連れて行かれたのは、野外ビア・ガーデンつきの、が、しかしやっぱり置屋だ
    った。客の男たちがビールを飲むテーブルに女たちがつき、軽く会話を交わし、話がまとまれ
    ば、庭を取り囲むようにして建っているそれぞれの個室の中に消える。もしどうしても言うなら
    庭の隅でダンスを踊ることも可能だ。
    アバだのクイーンだの、ラジカセから流れてくる20年落ちのヒットソングが、俺の純な心を空し
    くかきむしった。
    「…違う、ちがうんだよぉぉぉ」

    そんな風にして、4軒目にようやく辿り着いたのが、このディスコだった。
    そこで俺とHは、それまでの不調がまるでウソのように速攻で女たちをゲットし、楽しく踊った。
    それも“クタ”と聞いただけで、瞳を曇らすような女子大生とである。
    ──なんだか話がうますぎるかも…
    と思わないこともなかったが、熱帯の夜の勢いの前では、そんな警告のベルなど、イノシシの
    耳にとなえる念仏ほどにも、役に立ちはしなかった。

    「カズ!」
    ジェニーが俺の名前を呼んだ。俺たちは手をつなぎ、フロアーの真ん中に踊り出て行く。
    またボヴ・マーリーが流れ始めた。
                                                    (つづく)

        ■ 旅の哲学 バックナンバー/list

vol.         vol.
1 原風景という病 その1 2 原風景という病 その2
3 放浪の果てに山里の仙人になれるか? 4 旅先の女 その1
 
ジェニー〜バリのアル売春ガール上)
5 旅先の女 その1
 ジェニー〜バリのアル売春ガール
(中)
6 旅先の女 その1
 ジェニー〜バリのアル売春ガール
(下)
7 旅先の女 その2
 ティン〜中国の美しい石
 以下、続刊

                            
     ■ 「バックパッカー症候群」とは?

       これは私が勝手に造った言葉、造語です。

       ポスト・ベトナム・シンドロームというのをご存知でしょうか?
       戦地ベトナムでの体験があまりにも苛烈で、生命の根源にまで触れる出来事だった
       ために、本国への帰還後もそれを消化しきれず、様々な形で社会不適応の症状を示す、
       ベトナム戦争帰還兵の多くが陥るある種の精神病です。

       例えばベトナム戦争での米兵の直接の戦死者は約5万8000人ですが、戦後、その
       3倍近い、約15万人ものベトナム帰還兵が、このシンドロームのために自ら命を絶って
       います。

       なぜ彼らがそこまで精神を病むのか、確かなことはむろんわかりませんが、生の歓喜から
       死の恐怖まで、命を極限まで振幅させる戦場での日常に比べ、帰還後の本国での生活は、
       あまりにも平板で無機質であり、ある種の人々にとては、そのギャップを埋めることが
       ひどく困難だったのではないか──

       映画でいえば、「ディアハンター」や「ランボー」は直接この問題をテーマに扱っているし、
       「タクシードライバー」のように戦争とは一見関係ないように見える映画でも、主人公の
       人物像の重要なファクターになったりしています。

       また日本人でも、作家の開口健がベトナム戦争に記者として従軍しましたが、その体験を
       結実させた傑作「輝ける闇」(ロクデナシの本棚:参照)を書き上げた後は、深い虚脱の中に
       入りこんで、終生酒と美食と釣りに明け暮れたという印象が残ります。
       「オーパ」などの釣り紀行を読むと、ベトナム以降、彼がもはや心の底から何かを喜ぶこと、
       楽しみ切ることが出来なくなってしまっているのがわかります。たとえアマゾンで幻の大魚を
       釣り上げたとしても、ふと立ち止まると彼の心は一瞬にしてベトナムへとさ迷い出ます。
       魂に刻まれた極限の体験であり、だから究極に甘美な、ベトナムの記憶へ──
       彼の戦場体験は、合計しても僅か数ヶ月に過ぎないにもかかわらず、です。

       もちろんこれは、感性の問題です。同じような体験をしながら、そんなシンドロームとは
       まるで無縁の人も、それ以上に多くいるはずですから。

       翻って「バックパッカー症候群」についてですが、長い旅を終えて日本に帰ってきた
       バックパッカーの中にも、ある種の社会不適応の症状に陥る人たちがいます。
       どうにもこうにもこの国のシステムに馴染めず、社会との折り合いがつけられない。
       表面上はまともな社会人の振りをしていても、心の底では常に醒めてる。こんなの
       ウソっぱちだと思っている。だって俺は、知ってるからな、と。
       正直に言えば、私もその一人だと思います。

       戦場での極限の体験と、自分の旅先でのみみっちい経験とを、横に並べて考えるのは
       あまりに不遜なこととは思いますが、胸の奥深くに刻印されたある強烈な記憶のために、
       そのあと何を見ても空虚なものとしか映らない、リアリティを欠いたポンポコ踊りとしか感じ
       られない。そういう点では、やはり共通しているように思います。

       そしてそんな記憶を抱えている人は、ひどく生きづらいでしょうが、同時にやはり幸福である
       と言えるのではないでしょうか。

       そう、他の多くのバックパッカーの人たちと同様、私も別に旅に出たこと自体を後悔している
       わけではありません。見てしまったこと、知ってしまったことを、多少誇りにも思っています。

       だからこのサイトの名前は《さらば漂泊〜「バックパッカー」治療室》ですが、本当に「さらば」
       する必要があるのか、別に「治療」なんてしなくてもいいんじゃねぇーの、とも思っています。
       その辺のところから、皆さんと一緒に考えていければと思っています。

       自分が見たこと、知ってしまったことについても、少しづつ書いていくつもりです。

       というわけで、皆さんからの感想、質問、お叱り、励まし、ご意見、なんでも待っています。
       よろしくお願いします。

                  
        症例その1・ポンポコ浦澤のバックパック

       漂泊した国 : 

合計    33 国と地域
アジア   11 日本
中国、香港、フィリピン、シンガポール、マレーシア
タイ、インドネシア、インド、ネパール、バングラディシュ
アフリカ  15 モロッコ、アルジェリア、ニジェール、マリ、セネガル
ブルキナファッソ、トーゴ、ベニン、ナイジェリア、カメルーン
チャド、中央アフリカ共和国、ザイール、ウガンダ、ケニア
ヨーロッパ 6 イギリス、フランス、スペイン、イタリア、スパニッシュ・ノース・アフリカ
ジブラルタル
北アメリカ 1 アメリカ

      漂泊した時間 : 海外 合計で18ヶ月くらい
                 国内 最初の長い旅(1990−91)から帰ってきて以来、国内にいる時も
                     働いている時も、旅している時もずーと漂泊しているような気がする
      
      漂泊した職業 : 新聞記者、タクシー・ドライバー、火力発電所作業員、ラジオの脚本書き、
                 山小屋の兄ちゃん、スキー場の兄ちゃん、広告代理店社員、牛乳屋の店長
                 海の家の店長、土方、ビジネス雑誌の編集者

      その他の漂泊 : 女に刺されたことが2度ある(同じ女、腕と太もも)
                  「人間のクズ」と呼ばれたことが2度ある。(別々の人に、別々の場面で)

      今後の漂泊  : とりあえず、やっぱ南米には行きたい気がする

      漂泊の理由  : なんだかんだ言って、結局は生まれつきの性のような気もする


                     CONTENTS 旅ってなんだ、何故なんだ?旅の哲学

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