ミルシュティンさんのリヒテル論

 ナタン・ミルシュテインさんは、ご存知かも知れませんが、ロシア出身の20世紀を代表するヴァイオリニストのひとりです。昨年の11月に、『ロシアから西欧へ ミルスタイン回想録』(春秋社 青山茂+上田京 訳)が出版されました。原書は、1990年出版。ヴォルコフという人がロシア語でインタビューして英語で出版されました。これはその英語版からの翻訳。ミルシュテインさんが生きた時代のなまなましい記述が魅力です。
 ミルシュテインさんは、1903年12月31日にオデッサで生まれました。
 つまり、リヒテルさんと同郷(リヒテルさん一家はリヒテルさんの生後まもなくオデッサに移転していますから)です。12歳年上となります。
 ロシア革命後のしばらくロシアにとどまり、ホロヴィッツさんと組んで(なんて豪華は!)演奏旅行をしていました。そして、亡命。

 詳しい話は省いて、リヒテルさんをどう見ていたかをご紹介します。
 
 『オイストラフが初めてアメリカにきたときはセンセーションを巻き起こした。チケットを手に入れることはほとんど不可能だった。けれども、その後の演奏会では多くのチケットが残っていた。同じことがピアニストのスヴィヤトスラフ・リヒテルのときにも起こった。彼のニューヨークでの最初のコンサートはまるで火星人の到着のように報道されたものである!今日ソヴィエトの芸術家が西側に来ても、そんなセンセーションにはならない。二度と呼ばれない演奏家もいる。彼らにはもう興味がない、というわけだ。
 ソヴィエトのピアニストはよいが、かといって他のピアニストよりもよいというわけではない。彼らには神秘的なところなど何もないし、リヒテルにしてさえもそうである。リヒテルのピアノ、バーンスタインの指揮で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番とリストのピアノ協奏曲第二番をニューヨークで聴いた。テクニックに関する限りうらやましくなるくらいであったが、音楽的な観点からすると、リヒテルとバーンスタインという全く正反対の個性どおしの不釣合いなぶつかりあいでしかなかった。リヒテルは決して情熱にまかせるピアニストではない。彼はすべてをコントロールしようとしていたのに対し、バーンスタインは指揮台からこれげ落ちらんばかりに体を動かしていた。
 リヒテルは一流の芸術家であるが、人間的な面ではどこかあまりにも理性的なところがある。そんなリヒテルについてアルテゥール・ルービンシュタインと面白いやりとりをしたことを想い出す。私たちはパリのリッツ・ホテルにいた。ある裕福な女性に昼食に招待された後のこと。私は妻のデレーゼと一緒で、そのレストランにはグレダ・ガルボがいたのを覚えている。...中略..
 私たちはリヒテルについての議論を始めた。私はリヒテルはたしかに素晴らしいピアニストだが、世間で噂されているほど完全無欠ではないと言った。彼の音楽が創るものは、私にはあまりにも無味乾燥である。リヒテルのラヴェルの《水の戯れ》の演奏を聴いていると、流れるような水の代わりに凍った氷柱が聴こえてくる。ルービンシュタインは、本格的な曲を弾く気高い騎士であるが、こう反論してきた。
「彼は素晴らしいと思うよ。」
しかし、その後テレーゼがグレタ・ガルボのところに話に行ってしまうと、ルービンシュタインは私に寄りかかるようにしてこう囁いたのである。
「ナタン、ちょっと前までは言いたくなかったんだがね、君の意見に百パーセント賛成だよ!」
ルービンシュタインは、ちょっと前にリヒテルを賞賛したことが、私のリヒテルへの意見を否定したのではないかと心配したのだった。
 ソ連ではテクニックに力点が置かれすぎている。音楽家は大きい音で速く弾ければよいと思っているから、個性とか演奏のスタイルとかは、彼らにとってはあまり重要ではない。』(同書 368〜370n)

 ミルシュテインさんは偉大が芸術家ですが、旧ソ連を好ましく思わない気持ちを隠さず、リヒテルさんの評価についても、ステレオ・タイプな見方をあえてしているように思えます。

        2001年11月19日
                        TANUPON
 



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