リヒテルさんとバッハ

 バッハ、この名前のまえに、私はことばを失います。
 マタイ受難曲をきいたときの驚きと衝撃、その他たくさんの傑作...感動したって話をしだすと際限がなくなります。
 リヒテルさんの弾くバッハを、私はとても好きです。好きといったら、対等みたいですけれど、心の糧にしています。
 他のひとたちのバッハ、たとえば、平均率クラビィア曲集は、少ないけれど10数名の演奏家のものを聴いています。エドヴィン・フィッシャーさん、テューレックさん、アファナシェフさん、カークパトリックさん、レオンハルトさん...もちろん、グールドさんもその一人。
 グールドさんのバッハは、とても透明感があり、刺激的で、それでいてチャーミングです!しかし、心の奥底が乾いたとき、目はリヒテルさんのCDを探しているのです。
 
 リヒテルさんにとって、J.S.バッハは特別な存在だと思います。
 だって、曲集としては全曲を演奏し録音しているのは、バッハの平均率クラビーア集第1巻と第2巻だけ。
 これは、リヒテルさんの気質を考えると偶然ではありえないことです。
 それに、バッハを選ぶことが、ソ連のピアノ曲目の選択基準からはずれていたらしい...リヒテルさん自身のことばによると、

 『古い伝統の源泉がロマン主義的なものであったせいで、ソ連ではバッハを弾くピアニストがほとんどいませんでした。《平均率クrヴィア曲集》はコンサートの演目にはけっして入りませんでした。オルガン曲をリストやブゾーニが編曲したものだけが市民権をもち、四十八の〈前奏曲〉と〈フーガ〉はただ音楽院の試験科目に適した曲とみなされていました。私以前に(のちにはマリア・ユージナがいますが)プログラムに入れたのは、サムイル・フェインベルクくらいしか思いあたりません』(『リヒテル』90n)

 わたしには確かめるすべはありませんが、リヒテルさんのいうとおりだったのでしょう。
 では、なぜ、ソ連で時流に適していないものをリヒテルさんは、リサイタルでとりあげたのか?
 そして、あえて全曲演奏したのか?

 ご自身の証言があります。

『私は全曲録音にこだわる人間ではありません。たとえばショパンの《練習曲》を全部弾くわけではありません。ちゃんとした理由がありまして、あのなかの何曲かは弾き心地がよくないのです。たとえば完全八度の練習曲がそうで、好きではありません。ベートーヴェンのソナタも全部は弾きません。二十二曲だけです。唯一の例外は《平均率クラヴィア曲集》の全曲演奏で、これはピアニストなら誰にとってもひとつの義務でしょう。私も挑戦のつもりで、自分を乗り越えるべく、無理してやりました。最初はそれほど好きではなかったのに習得しようと決意したのは、おそらくは、父が教えてくれた、あらゆる音楽への敬意でしょう。しかしひとたび没頭すると、この曲集がよくわかり、夢中になりました。』(『リヒテル』95-96n)

 リヒテルさんが『自分を乗り越えるべく、無理してやりました』ということばが、私に強い印象をうけました。
 でも、リヒテルさんは、なぜパルティータを弾かなかったのでしょうか?
なぜ、ゴールドベルグ変奏曲を弾かなかったのでしょうか?
それらが『弾き心地がよくな』かったのでしょうか。
 わかるかたはいらっしゃいますか(笑)?

        2001年11月18日
                        TANUPON
 



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