リヒテルさんの道標

 大音楽家であるリヒテルさんの演奏にも、大きな変化があったのだろうか?
歴史学には時代区分論というものがあって、おおきな議論の的となる。
 音楽家はどうなのだろう?一人の芸術家の演奏という行為に時代区分がありえるものなのだろうか?答えはイエスにちがいない。
 リヒテルさんの年表をつくるうえで、それはとても大切なこと。
 演奏は、リヒテルさんの文脈と時代の文脈で成立するはずだから

 小石忠男氏のリヒテル論がここにある―――それは、リヒテルさんのショパンのスケルツォ集(1977年に録音 VICC−2059)に解説としてついていたものだ。
 
《このピアニストはのびのびとした音彩をつくり出すより、音のなかに常に意味を求めている。したがって、リヒテルのレパートリーは広がるよりもむしろ、せまくなる傾向を帯びてきたが、かつてのリヒテルはそうではなかった。彼は若い頃は、実に広いレパートリーをもち、自己の個性を露わにしながらそれらを積極的に演奏していたという。おそらくその頃には、ショパンの曲も好んで手がけていたのであろう。しかし彼が音のなかに意味を求め、音楽を深めるにつれて、その芸術は個性を絶対普遍化する方向に進み出したようである。しかも演奏としてはますます完璧をを求めることになったので、曲目が古典的な音楽に偏りはじめた。彼が一時期ベートーヴェンやバッハを中心にプログラムを組んだのは、その現れといえる。
 こうしてリヒテルのレパートリーから一時期ショパンは遠ざかることになった。なぜならショパンの音楽は普遍性よりも個性を要求する。造形もかなりの自由さを保証される。これがロマンティシズムの極であることはいうまでもないが、1960年代から1970年代前半にかけて、リヒテルの進む道はショパンとは別の次元にあったように思う。...中略...
 そしてついにリヒテルは新しい境地をひらき、より清澄な世界を自らのものとすることに成功した。たとえば、1970年と1973年に録音されたバッハの「平均率クラヴィーア曲集」にきく端正な様式、透明な表現が、1960年以前のリヒテルに可能であったとは、私にはとても思えないのである。つまりこの10年ばかりの間に、リヒテルは別人のような深慮な芸術をつくることになった...》

 私は小石忠男氏が、いまも同じ見解でいるのかどうか、わからない。
でも、この文章は、私にとって、入り口となりえる文章。
 なぜなら、リヒテルさんの演奏曲目を、さまざまな研究者やファンの努力によって、おおよそ知ることができるようになったから。
 短いものだが、リヒテルさんを紹介した文章は、音楽之友社がときどき組むレコード芸術・別冊で見ることができる。
 手元にもいくつかある。
 古いけれど、1988年の別冊《演奏家別クラシック・レコード・ブック vol.2 器楽奏者篇》)には、岡本稔氏がリヒテルの紹介文を書いている。「類稀なる精神性をたたえた音楽を奏でるピアノの哲人」がそのタイトル。短いけれど、リヒテルさんの演奏活動の全体像や主要な録音がよくわかるように書かれているが、演奏のあり方などについては、つっこみは浅いように思える。
 近くには、同社の《ピアニスト名盤500》(1997)がある。
 これが出たのはリヒテルさんの死(1997年8月1日)の直後である。
 書いているのは、藤田由之氏。
タイトルは「心の赴くままに弾きながら、放漫になることのない音楽 いかなる筆や言葉をも超えてしまうその天性」である。
 それらを入り口にして、マエストロ・リヒテルさんの生きて演奏した文脈にせまりたい。
        2001年11月17日
                        TANUPON
 



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