スビャトスラフ・リヒテル賛歌

 
私MR.BINは、リヒテルさんがお亡くなりになってしばらくしてもなお、特別なファンではありませんでした。
 バッハの平均率クラビア曲集の演奏を大切に聴いているくらいで、有名なベートーヴェンの録音――テンペストやアパッショナータ――などは、安易に繰り返しきけるものではなく、ご遠慮もうしあげていました。
 1997年にリヒテルさんの死が伝わったとき、「まだ生きてらっしゃったのか!」(ごめんなさい)という驚きはありましたが、それに勝る感慨をもてませんでした。
  私が変わったのは、ブリューノ・モンサンジョンさんがつくったフィルム《リヒテル(エニグマ=謎)》を見てからです。
  声がありませんでした。そして今日までなんど見たか知れません。
 映画は、リヒテルさんの独白をはさんで、生涯の出来事をたどります。CDのジャケットで見慣れた堂々たるリヒテルさんの姿はそこになく、弱々しい痩せた老人の顔が目にささりました。
 リヒテルさんは、1915年生まれですから、このとき(95〜97年)すでに80歳を越えていたのです。
  ご存じのように、リヒテルさんは、1915年にウクライナのジトーミルで生まれました。リヒテルさんの生涯は、そのまま旧ソ連の歴史と重なります。母アンナ・モスカリョーヴァがリヒテルさんを孕んだのは、サラエヴォでのオーストリア皇太子暗殺事件のころでした。第一次世界大戦の発端となる事件です。このニュースを知って、新婚旅行先のウィーンからジトーミルに父母は帰ってきます。翌年の3月にリヒテルさんは生まれます。
 こうして、リヒテルさんは、1917年のロシア革命の混乱のなかで幼児期を、1930年代の恐怖のスターリン体制のもとで青春を、フルシチョフによる雪解け時代に西側デビューを果たし、旧ソ連の終末を晩年に見ることになるのです。
 それがいかなることを意味するのか..........この映画からは一部しか伝わったきません。
 幼い四年間を両親と隔離されたこと、父がうけた迫害と銃殺刑、母の裏切りと西ドイツへの逃亡、自らがうけた不条理な仕打ち―――この世紀の大ピアニストが味わった辛酸を、私はまったく知りませんでした。
 そのとき、ついてゆけないって思っていたリヒテルさんの演奏に窓が開かれた思いでした。
 私は、それ以来、CDをきき、いろんな人がリヒテルさんについて書いているのを読み直しました。 モンサンジョンさんのフィルムと著作におよびもつきませんが、私なりの賛歌のつもりで、リヒテルさんのページをつくろうと思っています。

            2001年11月  
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