西暦                        出来事
1940年 1月
2月
3月12日 ソ連がフィンランドと講和条約を締結(1939年11月30日のソ連の侵攻をうけて)

3月20日 リヒテルさん25歳の誕生日

4月8日 モスクワの作曲家同盟会館でプロコフィエフ自身がピアノ・ソナタ第6番を初演
1940年に、プロコフィエフが音楽家たちの集まる内輪のコンサートで、書き上げたばかりの第六ソナタをみずから弾くのを聴きました。すぐに魅了され、覚えようと決心しました。しばらくしてネイガウスが私に、ソ連の作曲家の作品ばかりを弾くリサイタルをモスクワで開かなければならないと言いました。...そんなわけで第六ソナタをはじめて弾き、プロコフィエフの面識を得ました。...終演後、プロコフィエフが祝辞を述べにきて、彼自身の指揮で第五協奏曲を弾かないかと言ってくれました。』(「リヒテル」83n)

5月6日 カーネギー・ホールで、ホロヴィッツさん(37歳)がトスカニーニ指揮のNBC交響楽団とブラームスのピアノ協奏曲第2番を演奏 
5月9日 カーネギー・ホールで、ホロヴィッツさんがトスカニーニ指揮のNBC交響楽団とブラームスのピアノ協奏曲第2番を録音  CD = BVCC−8093



5月10日 ドイツ軍が、北仏とベネルクス三国に侵攻開始
5月26日 イギリス軍がダンケルク撤退を開始(〜6月4日)
6月10日 イタリアがイギリス、フランスに宣戦布告
6月14日 ドイツ軍がパリ占領
6月15日から17日 ソ連軍がバルト三国に追加進駐
6月16日 フランスで親ドイツのペタン政権が成立
6月18日 ド・ゴールがロンドンで自由フランス委員会を結成
7月21日 ソ連軍の圧制下で、バルト三国がソ連加盟を「決定」
8月3日 ソ連がリトエワニア(首都ヴィリニュス)を併合
8月5日 ソ連がラトビアを併合
8月6日 ソ連がエストニアを併合
8月20日 八路軍が華北で大規模な抗日遊撃戦を開始(百団大戦)

9月
10月 ルーマニアがドイツ軍の進駐によりドイツの支配下になる
10月14日 モスクワでプロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番などのピアノ曲を演奏
11月5日 アメリカでルーズベルト大統領が三選される
11月26日 モスクワ音楽院小ホールでプロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番を演奏(SRC)
12月30日 モスクワ音楽院大ホールでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏。指揮はコンスタンティン・イヴァノフ(SRC)
1941年 1月 モスクワのチャイコフスキー・コンサートホールでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番を演奏 メィック・パシャジェフ指(SRC)
2月 ドイツ軍が北アフリカ戦線を展開
3月2日 ドイツ軍がブルガリアへ侵略
 

”リヒテル伝説の誕生”
3月5日 モスクワのチャイコフスキー・コンサートホールでプロコフィエフの指揮でプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番を演奏(SRC)大成功を収める

3月 モスクワ 音楽院小ホールで、ブラームスのピアノ五重奏曲をコミタス四重奏団と演奏(SRC)

3月20日 リヒテルさん26歳の誕生日

4月 モスクワ 音楽院大ホールで、バッハのニ短調協奏曲をグリゴリー・ストリャロフ指揮で演奏(SRC)
4月6日 ドイツ軍が、ギリシャ、ユーゴスラビアに侵攻
5月 モスクワ 音楽院大ホールで、バッハの二つのピアノのための協奏曲ハ長調BWV1061を、アナトリー・ヴェデルニコフと演奏  またシューマンのピアノ協奏曲も演奏。指揮はともにニコライ・アノッソフ

5月6日と14日 ホロヴィッツさんがトスカニーニ指揮NBC交響楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音
CD = BVCC−9931



6月22日 ナチス軍がソ連に侵攻
               リヒテルさんの「サークル」の100回目の集まりの日。演奏は中止。
7月3日 国民へ徹底抗戦をよびかけるスターリン演説 
        →スターリンがナチスにたいする国民的抵抗のシンボル化へ
8月14日 ルーズベルトとチャーチルが太平洋憲章を発表。領土不拡大など、第二次世界大戦の戦後処理の原則を宣言
9月16日 ショスタコーヴィチがラジオ放送で第7交響曲の一部完成を語り、抗戦を訴える        →アシュケナージ指揮の第7交響曲のCDはショスタコーヴィッチ演説そのものを収録
9月24日 ソ連、自由フランス委員会など15カ国が太平洋憲章参加を表明
9月29日から10月1日 米英ソ三国代表モスクワ会議、共同戦線について協議

10月2日 ドイツ軍がモスクワ攻撃を開始

10月  リヒテルさんの公開ソロ・リサイタルが予定されていたが、ナチス軍のモスクワ急迫で中止
11月7日 モスクワ ショパンのワルツ、リストのソナタなどを演奏

      革命記念日の演説でスターリンが帝政ロシア時代の大公、将軍らを美化する
12月8日 米、英、対日宣戦布告
12月8日 ドイツ軍がモスクワ攻撃に失敗。
       ソ連軍はモスクワへ迫るドイツ軍をくい止め、反抗を開始
12月11日 ドイツとイタリアが対米宣戦布告
12月   ソ連軍がトゥーラ奪還。


モスクワは救われたが、レニングラードはいまだドイツ軍の包囲下にあった。41年から42年にかけての冬、レニングラードでは推定で80万人の市民が餓死した
1942年  1月1日 連合国26カ国がワシントンで共同宣言を発表
1月18日 ベルリンで日独伊軍事協定の調印
1月20日 ナチの幹部ハインリヒ・アイヒマンら、1100万人のヨーロッパのユダヤ人を殺害することでユダヤ人問題の解決をはかることを決定
2月15日 モスクワ 作曲家同盟のコラム・ホールで、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をコンスタンチン・イヴァノフの指揮で演奏(SRC)
3月
4月
5月
6月
月5日 モスクワ音楽院小ホール ソロデビュー・リサイタル 
 曲目は、ベートーヴェンの悲愴ソナタ、シューベルトのさすらい人幻想曲、プロコフィエフの第2ソナタ、ラフマニノフの前奏曲集作品23と作品32からから数曲
『ついに、秋以来延期されていたデビュー・リサイタルを1942年7月に行いました。前半でベートーヴェンの《悲愴ソナタ》とシューベルトの《さすらい人幻想曲》、後半はオール・ショパンというプログラムを提案しました。受け入れられませんでした。プロコフィエフを入れろと言われました。仕方なく要請を受け入れ、後半はプロコフィエフの第二ソナタとラフマニノフの《前奏曲》を六曲弾くことにしました。.....いずれにしても、これは悪しきプログラム、低劣な寄せ集めでした。《悲愴ソナタ》と《さすらい人幻想曲》に続く演目として、プロコフィエフの第二ソナタは不釣り合いでした。それで、時をおかず、自分の好きなように組み立てたリサイタルを、あらためて開いたのです。今度は大ホールで、ロシア音楽ばかりのプログラムでした。チャイコフスキーの大ソナタ、ラフマニノフの何曲か、グラズノフの《サーシャの主題による組曲》、スクリャービンの《前奏曲》数曲と《幻想曲ロ短調》というものでした。』(「リヒテル」85〜86n)
8月12日 モスクワで、英米ソ三国会談。ソ連は第二戦線結成を要求

スターリングラードの攻防戦開始

8月22日 ドイツ軍がスターリングラード攻撃を開始

9月
10月
11月8日 米英連合軍が、北アフリカに上陸
11月11日 ドイツ軍がフランス全土を占領
11月19日 スターリングラードでソ連の大反攻がはじまる

12月26日 モスクワ 音楽院大ホール 曲目は上記の引用文を参照ください。
   当局の介入でプログラムを変えさせられたリヒテルさんのいわば口直しのリサイタル
その他の演奏記録
  サン=サーンスの変奏曲をギレリスさんと演奏
  リヒテルさんとギレリスさんが並んでいる写真。年代は後年と思われる

リヒテルさんは、つぎの曲をはじめて演奏した
 ラフマニノフの二つのピアノのための組曲第2番
 スクリャービンの前奏曲作品11の11、15と16 
1943年 1月18日 モスクワでプロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番を初演
『1943年には、私にとって忘れがたいできごとが起こりました。プロコフィエフが第7番のピアノ・ソナタを書き上げたばかりで、その初演を私に託そうと決めたのです。手書きの楽譜を初演の直前までもらえなかったので、四日で暗譜しなければなりませんでした。...このソナタは聴衆から熱狂的な歓迎を受けました。すばらしい作品ですが、私は第4ソナタ、そしてとくに第8ソナタのほうが好きです。』(「リヒテル」100n)

独ソ戦の転換点―――スターリングラードでドイツ軍が降伏

2月2日 スターリングラードのドイツ軍が降伏
 
2月 モスクワ プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番変ロ短調作品83を演奏

包囲下で「レニングラード交響曲」の初演

3月5日 ナチス軍包囲下のレニングラードのクイビシェフ文化宮殿でショスタコーヴィッチの第7交響曲「レニングラード」が初演される。指揮は、サミュエル・サムスード
 
私は、サミュエル・サムスードがどのような人物かほとんどしらないまま、この年表にのせました。なおさんから、『ガリーナ』自伝を推薦され、いま(12月24日)読んでいますが、そこに登場したのです。
 《著名な指揮者サムイール・サムスートは、長年にわたってボリショイ劇場で仕事をしていたが、彼が政府上層部の全員が出席している公演を指揮したときのことを話してくれた。休憩時間のときに彼はスターリンに呼ばれた。サムイートは前方のボックス席に一歩足を踏み入れたとたんに、スターリンは遠慮なく告げた、「同志サモスート、今夜の公演は......どういうわけか....フラットが欠けているね」 サモスートは麻痺したようになり、すっかり当惑してしまった。いったいこれは冗談なのだろうか。しかし政治局員や他のすべての人びとは真面目くさってうなずき、「そうだ、フラットに注意したまえ」とつけ加えた。ただし彼らのなかには、自分たちが馬鹿なまねをしていることをたしかに理解しているモロトフのような人びともいた。 サモスートは心を落ち着けて、冷静に答えた。「わかりました。同志スターリン。批判していただいて有難うございます。われわれはかならずそれに注意を払います。」》(『ガリーナ自伝』103n)
 たしかに、これはモーツァルトとオーストリア皇帝との会話を想い出させるエピソードである。スターリンが皇帝以上に残忍であったために、サムスートがモーツァルトほどの回答ができなかったという違いはあるにしても。
 

3月20日 リヒテルさん28歳の誕生日

3月28日 ラフマニノフ、アメリカのロスアンジェルスで死去
『ムルマンスクではラフマニノフの〈前奏曲ト短調〉を弾いたのを覚えています。大好きな曲です。あまりに頻繁に演奏される傾向がありますが。行進曲のテンポで、神秘的に弾かねばなりません。のちに知ったのですが、私がこのすばらしい前奏曲を弾いたまさにその日にラフマニノフは亡くなったのです。』(「リヒテル」97n)

4月13日 カチンの森でポーランド人将校4000人以上の遺体が発見される
4月25日 カーネギー・ホールで、ホロヴィッツさんが、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏
CD= BVCC−8097



4月26日 ソ連、ポーランドのロンドン亡命政府と断交
5月12日 ドイツ軍が北アフリカで降伏

6月29日 ショスタコーヴィッチの第7交響曲がロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで国外初公演
7月19日 ショスタコーヴィッチの第七交響曲がトスカニーニ・NBC交響楽団によってアメリカ初公演

     → BVCC-9725 トスカニーニの歴史的ライブ演奏が聴ける

8月3日〜10月28日 コーカサス地方を演奏旅行
秋 『1943年の秋にコーカサス地方、とくにトビリシでコンサートを行っていたころに、《平均率クラヴィア曲集》第二巻を習得しました。』(「リヒテル」94n)
9月8日 イタリア、連合国に無条件降伏
10月19日〜30日 モスクワで英米ソ三国外相会議

11月
12月7日 モスクワ プロコフィエフのフルートのための第二ソナタをニコライ・チャルコフスキーと初演
この年に、リヒテルさんは、つぎの曲をはじめて演奏した
 プロコフィエフのピアノ協奏曲第1番
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番
 スクリャービンのピアノ・ソナタ第9番
 プロコフィエフのピアノ・ソナタ第4番

12月22日 ホロヴィッツさんが、ニューヨークのタウン・ホールで、カバレフスキーのピアノ・ソナタ第3番ヘ長調作品46を録音 CD = BVCC−8974 
1944年 1月14日 ソ連がレニングラード戦線で大反撃を開始
1月20日 レニングラード解放

1月31日 モスクワ リストの超絶技巧練習曲から4曲を放送
2月
3月
4月
5月18日 エレヴァン ショパンとリストの作品を放送
6月6日 連合軍がノルマンディ上陸(第二戦線の結成)
7月
8月25日 連合軍がパリ入城
9月29日から10月7日 米英ソ会談
10月9日 国際連合案を発表
10月9日から18日 モスクワでチャーチル・スターリン会談

10月15日 モスクワ ショパン、ラフマニノフ、リスト、シューマンの作品を放送
10月29日 モスクワ ショパン、ラフマニノフ、リスト、シューマンの作品を放送
11月
12月5日 モスクワ ショパン、ラフマニノフ、リスト、シューマンの作品を放送
12月8日 モスクワ ショパン、ラフマニノフ、リスト、シューマンの作品を放送
12月30日 ギレリスさんがプロコフィエフのピアノ・ソナタ第8番を初演
リヒテルさんがこの年にはじめて演奏したのは
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品10−2,作品14−1
 ラベルのパヴァーヌ、
 スクリャービンのピアノ・ソナタ第6番

1945年  全ソヴェト音楽コンクールのピアノ部門で第一位
1月
2月4日から11日 米英ソのヤルタ会談
3月 ベートーヴェン、シューベルト、ラフマニノフ、ショパンの放送用演奏
4月12日 アメリカ大統領ルーズベルト死去
4月28日 ムッソリーニ処刑
4月30日 ヒトラー自殺
5月7日 ドイツが連合国に無条件降伏

5月9日 モスクワ プロコフィエフの第6,7,8番のピアノ・ソナタを演奏
6月26日 連合国が国連憲章に調印
7月 ベートーヴェン、シューベルト、ラフマニノフ、ショパンの放送用演奏
7月17日から8月2日 米英ソのポツダム会談
8月15日 日本が無条件降伏=第二次世界大戦終結
8月16日 スターリンがトルーマン米大統領に千島列島とともに北海道北半分の占領を要求
8月下旬から1946年6月 ソ連が日本人捕虜60万人をシベリアへの強制連行。死者は6万人におよぶ。
9月2日 スターリンがソ連の対日参戦を日露戦争への報復と演説


9月22日と10月6日 ニューヨークで、ホロヴィッツさんがプロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番をスタジオ録音
CD = BVCC−8974



10月 ベートーヴェン、シューベルト、ラフマニノフ、ショパンの放送用演奏
11月
12月 モスクワ プロコフィエフのピアノ・ソナタ第8番、リストの超絶技巧練習曲第8番 
この年に
 レニングラードで、歌手ドリアークとリサイタル
 リヒテルさんと妻ドリアク

 モスクワで、チャルコフスキーとプロコフィエフのフルートソナタを演奏
 モスクワで、 ドリアクとプロコフィエフの歌曲を演奏
1946年
1月 モスクワ フランクのピアノ五重奏曲の放送
2月3日 ソ連が千島、歯舞、色丹をロシア共和国に編入
3月5日 チャーチルがフルトン演説「鉄のカーテン」

3月9(?)日 プロコフィエフのピアノ・ソナタ第6,7,8番を演奏
4月23日 モスクワ プロコフィエフのピアノ・ソナタ第6,7,8番を演奏
5月9日 モスクワ プロコフィエフのピアノ・ソナタ第6,7,8番を演奏
6月
7月1日 アメリカがビキニ環礁で原爆実験
8月
9月
10月1日 ニュールンベルグ国際軍事裁判最終判決
10月9日 レニングラード ショパンの放送用演奏
10月26日 モスクワ シューベルトの歌曲をドリアクと演奏

11月18日 ムラヴィンスキー指揮のレニングラード交響楽団が、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を演奏
ライヴ録音 CD BVCX−4027


12月
この年のほかの演奏記録は、
 バクーで、シマノフスキーの歌曲をドリアクと演奏
 モスクワで、バッハの平均率クラビア曲集全曲演奏(SRC)
1947年 1月16(18)日、モスクワでプロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番を演奏
2月 モスクワでプロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番を演奏
下の写真は、31歳のリヒテルさん


3月 リヒテルさん、32歳の誕生日

4月
5月
6月
7月
8月14日 パキスタン独立
8月15日 インド独立
9月22日から27日 ヨーロッパ9カ国共産党・労働者党会議でコミンフォルム結成を決定

10月
11月

11月7日と12月22日 ニューヨークで、ホロヴィッツさんがムソルグスキーの「展覧会の絵」(ホロヴィッツ編)をスタジオ録音 CD = BVCC−8973


12月7日 モスクワでプロコフィエフのフルートとピアノのためのソナタ第2番を初演
その他の演奏記録
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品2の3、作品14の2
 スクリャービンのピアノ・ソナタ第5番とエチュード
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番
1948年
ソ連における「形式主義」批判
1月10日、12日、13日 ソ連共産党中央委員会におけるソヴェト音楽活動家会議でジダーノフ演説。「形式主義」という名前のもとで、ショスタコーヴィッチ、プロコフィエフ、ミャスコフスキー、ハチャトゥリアン、ポポフ、カバレフスキー、シェバーリンらが名指しで非難される。

     →この演説も『党と文化問題』(国民文庫 大月書店 1954)に全文が掲載されている。
1月6日 アメリカのロイヤル陸軍長官の日本を「反共の防壁」演説
1月28日 モスクワ ドリアークの伴奏でプロコフィエフとリムスキー=コルサコフの歌曲を演奏
1月30日 ガンジー暗殺
2月19日 モスクワ シューマンのピアノ協奏曲を演奏
2月27日 モスクワ バッハのカプリチョースBWV993,ソナタ第4番BWV963、イギリス組曲第3番BWV808、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品54、シューマンの幻想曲ハ長調作品17を演奏
2月28日 モスクワ ウェーバーのピアノ・ソナタ第3番ニ短調、リストを演奏

3月20日 リヒテルさん33歳の誕生日

3月26日
4月1日 ソ連がベルリン封鎖
5月14日 イスラエルがユダヤ国家成立を宣言

6月14日 タリンでシューベルトのピアノ・ソナタ・ト長調作品78、シューマンの蝶々、リストのピアノ・ソナタを演奏。
     →記録に残るリヒテルさん最初のシューベルトのピアノ・ソナタ公開演奏
6月15日 タリン ドリアクと、グリンカ、チャイコフスキー、ラフマニノフの放送用演奏を行う
6月23日 ヴィリニュスで、モーツァルトとシューベルトの放送用演奏
7月
8月
9月25日 モスクワ ドリアクとショスタコーヴィッチのユダヤのフォークソングを演奏
10月4日 モスクワ 音楽院で、ドリアクとバッハの歌曲などを演奏
       バッハのカプリチョースVWV993、ソナタ第4番BWV963、イギリス組曲第3番BWV808
10月14日 モスクワ ニーナ・ドリアクと
       バッハのアリアと歌曲、バッハのイタリア協奏曲、グリンカ、など

10月23日 ホロヴィッツさんが、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団とブラームスのピアノ協奏曲第2番を録音
CD= APR 6001



11月2日 アメリカ大統領にトルーマンが当選
12月18日 モスクワ ショスタコーヴィッチのユダヤ民族詩からを演奏

12月19日 モスクワでバッハのイギリス組曲第3番を録音
リヒテルさんの「音楽をめぐる手帳」(1971)から
『かなり古い録音で、録音技術的にはもちろん時代遅れの代物。が、私にはその種のことがとんと分からないので、まったくどうでもよい。....(中略)...このイギリス組曲の録音は悪くない、と思う。当時、懸命に曲を勉強したことを覚えている。同じ頃、《イタリア風協奏曲》や《カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちにあたって」》や、四番と五番のソナタなどを弾いていた。
 当時は「雅な」バッハの方に真剣に取り組んでいたもので、そちらの方が「厳格な」バッハ《平均率クラヴィア曲集》よりもよほど演奏上の難問をつきつけてきたものだ。』(『リヒテル』252〜253n)
CD MELODIYA 74321 29461 2

ニーナ・ドリアクとのライヴ録音がある
DHR−7786 1948年ブカレストのライヴ
 
この年のその他の演奏記録
ショパンのポロネーズ第一番
CD MELODIYA 74321 29465 2

  ベートーヴェンのバガテル集をはじめて演奏
1948年の録音だが月日が不明 バッハ イタリヤ協奏曲
CD MELODIYA MMP−02演奏

この年、コロンビアがLPレコード(33回転)を開発
   LP時代へ
1949年
1月6日 国連総会で中国の内戦への不介入を決議
2月
3月4日 ソ連でモロトフ外相が更迭される。後任は、ヴィシンスキー
3月9日 モスクワ モスクワ音楽院大ホール オレグ・アガルコフ指揮のソ連国立管弦楽団とグラズノフのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第1番を演奏
3月29日 モスクワ モスクワ音楽院大ホールで チャイコフスキーのピアノ・ソナタト長調とムソルグスキーの「展覧会の絵」を演奏
4月
5月
6月2日 タリン モーツァルトのピアノ・ソナタ第8番、ハイドンのピアノ・ソナタ第52番、ショパンのスケルツォ第4番などを演奏
6月18日 タリン ニーナ・ドリアクと歌曲を演奏
6月19日 タリンで、レオニード・ヴィガー指揮のエストニア交響楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を演奏
7月
8月

第4回 ショパン・コンクール開催 前回から12年後のことである
     ショパン没後100年を記念して
9月15日〜10月15日 14カ国 54名が参加
  第1位 ハリーナ・チェルニ=ステファンスカ(ポーランド)
       ベラ・ダヴィトヴィッチ(ソ連)
  第2位 バルバラ・ヘッセ=ブコフスカ(ポーランド)
  第3位 ヴァルデマル・マチシェフスキ(ポーランド)
  第4位 ゲオルギ・ムラヴロフ(ソ連)
  第5位 ヴラディスワフ・ケンドラ(ポーランド)
  第6位 ディシャルト・バクスト(ポーランド)

9月25日 ソ連が水爆保有を宣言

ロストロポーヴィッチさんとの初共演
9月27日 モスクワの作曲家同盟会館でロスとロポーヴィッチさんとプロコフィエフのチェロ・ソナタ作品119を演奏する


10月1日 中華人民共和国の樹立を宣言
10月2日 ソ連が中華人民共和国を承認

11月
12月6日 モスクワでロストロポーヴィチさんとプロコフィエフのチェロ・ソナタを演奏
12月8日 モスクワの演奏会でシューベルトのピアノ・ソナタD845を演奏
12月16日から1950年2月17日 毛沢東がモスクワでスターリンと会談:インドや日本の共産党への干渉をおこなう
12月29日 クレムリンでスターリンの70歳の誕生日を祝う演奏会
               リヒテルさんはラフマニノフの前奏曲を2曲演奏
その他の演奏記録
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第7番作品10−3をはじめて演奏
 ベートーヴェンの変奏曲作品35をはじめて演奏
 スクリャービンの前奏曲作品37をはじめて演奏

同年 アンペック社がテープレコーダーの原型にあたる「モデル300」を開発