西暦                         出来事
1685年 ヨハン・セバスチャン・バッハがアイゼナハで誕生

 J.S.バッハは、リヒテルさんの重要なレパートリーを構成しています。
しかし、旧ソ連のなかでは、それは普通のことではありませんでした。
『古い伝統の源泉がロマン主義的なものであったせいで、ソ連ではバッハを弾くピアニストがほとんどいませんでした。《平均率クrヴィア曲集》はコンサートの演目にはけっして入りませんでした。オルガン曲をリストやブゾーニが編曲したものだけが市民権をもち、四十八の〈前奏曲〉と〈フーガ〉はただ音楽院の試験科目に適した曲とみなされていました。私以前に(のちにはマリア・ユージナがいますが)プログラムに入れたのは、サムイル・フェインベルクくらいしか思いあたりません』(『リヒテル』90n)
リヒテルさんのバッハ・アルバムのなかで、平均率クラヴィーア曲集をのぞくと、もっともまとまっているのが、フィリップスのソロ・アルバム。三枚組になっています。演奏は、1990年代のものです。
 PHILIPS 438 613−2

ドメニコ・スカルラッティ誕生(〜1757)



リヒテルさんはスカルラッティを演奏しません
 スカルラッティについて、リヒテルさんはつぎのように述べています。
『スカルラッティは宝石のような名曲をいくつか書きましたが、ヨハン・セバスチャン・バッハを前にすると見劣りがします。』(「リヒテル」204n)』

スカルラッティをピアノ音楽のレパートリとして定着させるうえで、ホロヴィッツさんの功績は大です。
 その他、ギレリスさん、ハスキルさん、ポゴレリッチさん、ブーニンさんなどがまとまったDISCを制作しています。個別には、リパッティさんやグールドさんも演奏されています。
下のCDジャケットは、ホロヴィッツさんのスカルラッティのソナタ集です。
ピアノの音色の美しさにほれぼれします。SRCR 2058

クララ・ハスキルさんも、スカルラッティのソナタを1950年10月に録音している。
CDは、WESTMINSTER 289 471214−2

1703年 1月 ロシア最初の新聞『ヴェードモスチ』が発行される
5月 ロシアで、新都ペテルブルグの建設が開始される
1709年 最初のピアノの発明
パドゥア出身のバルトロメオ・クリストフォリがフィレンツェで発明する
『ピアノという楽器を語る際、忘れてはならない要因が一つある。
 政変などの歴史的事件である。ある意味においては、戦争と革命がピアノを発展させたといえるかもしれない』(西原稔著『ピアノの誕生 楽器の向こうに「近代」が見える』講談社選書メチエ 1995年 8n)


7月9日 ポルタヴァの戦い
  ロシアのピョートル一世が、スウェーデン軍を破る。
  スウェーデン王カール12世はオスマントルコに亡命
ロシアは、フィンランド全土を占領する
1715年 バッハが《イギリス組曲》を作曲
 リヒテルさんは、全6曲中以下の録音を残しています。
   第1番 BWV806
   第3番 BWV808
   第4番 BWV809
   第6番 BWV811
 写真のCDは、第1番と第3番が収録されている STRADIVARIUS STR 33333 のジャケット
 1991年6月のトゥールーズでのライヴ録音です


下の写真は、第4番と第6番が収録されている STRADIVARIUS STR 33334 
1991年4月9日のフラデクでのライヴ録音です

1721年 バッハが《ブランデンブルグ協奏曲》を作曲
リヒテルさんには、ブランデンブルグ協奏曲第5番のライヴ録音があります。
1978年3月26日の録音。モスクワでの音楽院オーケストラとの共演です。指揮は、ニコラエフスキー
CDは、LIVE CLASSICSから出ています。LCL 103

1722年 バッハが《平均率クラヴィーア曲集》第1巻(自筆稿)を完成
リヒテルさんの平均率クラヴィーア曲集の録音は、金字塔だと思います。→1970年代参照
1723年 バッハが、インヴェンションとシンフォニアを作曲
1727年 バッハが《マタイ受難曲》を初演
ジャケットは、カール・リヒターの1958年の録音のもの。
1730年 バッハが、2台のチェンバロのための協奏曲第2番 ハ長調 BWV.1061を作曲(1727〜30年頃)
1731年 バッハが《クラビーア練習曲集》第1巻(パルティータ)を出版
リヒテルさんは、パルティータを演奏しません。なぜかわかりません。
しかし、パルティータの演奏をあれこれ比較して、その感想を『音楽をめぐる手帳』に書き残されています。
そこの登場するのは、グールド、ヴェデルニコフ、そしてリパッティです。

リヒテルさんは、グールドさんのパルティータを聴いて、1972年12月につぎのようなメモを残されています。
 《グレン・グールド、「バッハのもっとも偉大な演奏者」
 グレン・グールドは自分のバッハを発見した。そしてその意味ではそのような讃辞を受けるに値する人物だ。
 彼の主たる美点は音色面にあると思える。それはまさにバッハに相応しいものだ。
 とはいえ、バッハの音楽は私に言わせればもっと深く、もっと厳しいものを要求する。然るにグールドにおいては、いっさいがちょっとばかり輝かしすぎ、外面的すぎる。その上、いっさいの繰り返しを行わない。これは許せない。つまはバッハの音楽をそれほど愛していないということなのだ。》(『リヒテル』271n)

ヴェデルニコフのバッハのパルティータ全曲の録音
CDは、MELODIYA BVCX−3700−2

下のDISCに収録されているのは、リパッティのパルティータ第1番の録音です。
ほかのパルティータの録音はありません。


1732年 ヨセフ・ハイドンが生まれる(〜1809)
1733年 バッハが、チェンバロ協奏曲 BWV.1052を作曲(1730〜33年頃)
1734年
1735年 バッハが《クラビーア練習曲集》第2巻(「イタリア協奏曲」BWV971と「フランス序曲」(BWV831))を出版
  イタリア協奏曲は、1948年のリヒテルさんのライヴ演奏が(MMP−02)があります

  また晩年のライヴ演奏(1991年11月2日)もきけます(LCL421)
  演奏時間は、前者が @3:36 A4:42 B3:25
           後者が @4:02 A5:19 B4:13
1736年
1737年
1738年
1739年 バッハが《クラビーア練習曲集》第3巻(オルガン・コラール前奏曲集)を出版
   このうちBWV802−805の「ドゥエット」のリヒテルさんの演奏は、LCL421できけます
      1991年11月2日のライヴ

1742年 バッハが《クラビーア練習曲集》第4巻(ゴールドベルグ変奏曲)を出版
残念ながら、リヒテルさんは、この大曲を演奏していません。1957年にモスクワでグレン・グールドさんの演奏を聴いて感想を述べておられます。→1957年の項目
1975年6月29日に、ズザナ・ルージチコワの演奏で、ゴールドベルグ変奏曲を聴いて、次のメモを残されています。
『バッハのこの巨大な作品をハープシコードで聴くのは初めてだ。
 グールドの演奏会での演奏とレコードは聴いたことがある。いつの日か自分も弾いてみたいものだ.....最後まで弾き通せるものなら。』(『リヒテル』303n)
リヒテルさんが聴いたレコードは、当然ながら、旧盤のほうです。下はCD化されたジャケット。

1749年 バッハが《フーガの技法》を作曲
1750年 J.S.バッハ死去
ロシアで最初の一般人むけの劇場が、ヴォルコフ(17278-63)によってヤロスラヴリに設立される
1751年
1752年 ムツィオ・クレメンティ誕生(〜1832)
 クレメンティをピアノで演奏することも、ホロヴィッツさんがやっていることです。
 CD R−BVCC 7343
    R−BVCC684
1753年
1754年
1755年
1756年 七年戦争開始 フリードリヒ2世がシレジア侵入  〜1763年
オーストリアとプロイセンがドイツを戦場とした戦争を起こしたために、ドイツのピアノ製造業者がイギリスに渡る
エリザヴェータ女帝が、モスクワにロシア最初の常設劇場をつくる。
ロシア最初の劇作家スマローコフ(1717-77)が総監督になる。
ヴォルコフはここで名優・名演出家としてロシア演劇史上に名を残す
1757年
1758年
1759年
1760年
1761年
1762年
1763年
1764年
1765年
1766年
1767年 ハイドンが、チェンバロ協奏曲ニ長調 Hob.XVIII−2を作曲(1767年以前)
リヒテルさんのLD SUN CROWN CRLB 55004(4LD)
   1983年12月18日 モスクワ ツィリュク指揮のミンスク室内管弦楽団と

モーツァルトがピアノ協奏曲第1番ヘ長調 K.37を作曲
1768年
1769年
1770年 『ドイツ、オーストリアでは、とくに1770年代から宮廷の財政状況がきわめて悪化した。かさむ戦費のほかに、過度な音楽熱も負債の原因であった。
 つまり国家経済を無視して、壮麗な宮廷劇場をかまえ、有名な作曲家、歌手を法外な契約料でかかえ、華美な宮廷文化を競ったのである。そのために壮麗な音楽文化を誇ったマンハイムやドレスデン、エステルハージー、シュトゥットガルトなど有力な宮廷は、莫大な負債のためにオペラ劇場を解散し、楽団も極端に縮小せざるをえなくなっていった。』(西原稔著『ピアノの誕生』講談社選書メチエ 1995年 9n)
1771年 ハイドンが、ピアノ・ソナタ ハ短調 Hob.XVI−20を作曲
1772年
1773年 ハイドンが、ピアノ・ソナタ ホ長調 Hob.XVI−22を作曲(1773?)
リヒテルさんは、1967年7月14日にスポレートで録音した自分の演奏のLPを聴きながら、「音楽をめぐる手帳」1971年3月につぎのように記しています。《ハイドンのホ長調のソナタは大好きだ。これを初めて弾いたときのもの。》(241n)
ハイドンが、ピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.XVI−24を作曲(1773?)
モーツァルトがピアノ協奏曲第5番ニ長調 K.175を作曲
1774年 ハイドンが、ピアノ・ソナタ ヘ長調 Hob.XVI−29を作曲
ハイドンが、ピアノ・ソナタ ロ短調 Hob.XVI−32を作曲(1774〜76)
1775年 モーツァルトが ピアノ・ソナタ第1番ハ長調 K.279を作曲
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調 K.280を作曲
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調 K.281を作曲
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調 K.282を作曲
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第5番ト長調  K.283を作曲
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第6番ニ長調  K.284を作曲
1776年
1777年 モーツァルトがピアノ協奏曲第9番変ホ長調 K.271「ジュノーム」を作曲
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第7番ハ長調  K.309を作曲
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第9番ニ長調  K.311を作曲
1778年 モーツァルトが ピアノ・ソナタ第8番イ短調  K.310を作曲

1779年
1780年 ハイドンが、ピアノ・ソナタ ハ長調 Hob.XVI−35を作曲(1780年以前)
1781年 モーツァルトが ピアノ・ソナタ第10番ハ長調  K.330を作曲(〜83)
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第11番イ長調  K.331「トルコ行進曲つき」を作曲 (〜83)
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調  K.332を作曲(〜83)
1782年
1783年 モーツァルトが ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調  K.333を作曲
1784年 ハイドンが、ピアノ・ソナタ ト長調 Hob.XVI−40を作曲(1784年以前)
モーツァルトがピアノ協奏曲第15番変ロ長調 K.450を作曲
モーツァルトがピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453を作曲
モーツァルトがピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.456を作曲
モーツァルトが ピアノ・ソナタ第14番ハ短調  K.457を作曲
1785年 モーツァルトがピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466を作曲
モーツァルトがピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467を作曲
モーツァルトがピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482を作曲
1786年 モーツァルトがピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488を作曲
モーツァルトがピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491を作曲
モーツァルトがピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503を作曲
1787年
1788年 モーツァルトがピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537「戴冠式」を作曲
1789年 フランス革命
『...フランス革命が起こると、今度はエラールに代表されるフランスの業者がイギリスに渡り、イギリス・アクションの発展に貢献することになる。それらが基礎となり、19世紀の最初の50年間にわたりウィーンとともにロンドンはピアノ生産の中心地となり、しかも両者のピアノは、響きも楽器の機構も大きく異なることから、音楽の異なった方向へと美意識を発展させていくことになる。』(西原稔著『ピアノの誕生』 9-10n)
ハイドンが、ピアノ・ソナタ ハ長調 Hob.XVI−48を作曲
ハイドンが、ピアノ・ソナタ 変ホ長調 Hob.XVI−49を作曲(1789〜90)
1791年 モーツァルトがピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595を作曲
リヒテルさんは、オールドバラ音楽祭でブリテンとこの曲を演奏しています
CDは、KICC 2269

1792年
1793年 ハイドンが、アンダンテと変奏曲ヘ短調 Hob.XVII−6を作曲
ベートーヴェンがピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19を作曲(年代と作品番号が逆ですが94〜95年改訂)

リヒテルさんは、ピアノ協奏曲第2番を演奏されません。同様に第4番、第5番「皇帝」も演奏されません。
1794年 ハイドンが、ピアノ・ソナタ 変ホ長調 Hob.XVI−52を作曲
ハイドンが、ピアノ・ソナタ ハ長調 Hob.XVI−50を作曲(1794〜95)
1795年 ベートーヴェンがピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15を作曲
リヒテルさんは、ピアノ協奏曲第1番は繰り返し演奏し、またCDで私たちも聴くことができます。ただ、1964年から1987年の間は、演奏記録がないと思います。CDで入手できるものを挙げておきます。
   1956年12月18日 ブルノ バカラ指揮ブルノ州立管弦楽団 PRAGA 254 024
                         *これは15枚セットのなかにも入っています
   1960年11月1日  ボストン ミュンシュ指揮ボストン交響楽団 AS DISC AS 335/6
   1960年11月2日〜3日 ボストン ミュンシュ指揮ボストン交響楽団 RCA 6804−2−RG
   1962年5月     モスクワ コンドラシン指揮モスクワ・フィル RUSSIAN DISC RD CD 11041
   1962年6月21日 プラハ アンチェル指揮チェコ・フィル PRELUDE PRE 2157
   1988年7月6日  フレンスブルグ エッシェンバッハ指揮 RCA 61534−2

ベートーヴェンが作品2の三つのピアノ・ソナタを作曲
  第1番ヘ短調作品2−1(1793−95)
  第2番イ長調作品2−2(1794−95)
  第3番ハ長調作品2−3(1794−95)

リヒテルさんは、作品2のうち、第2番は演奏されません。
第1番は、1970年代に集中的に演奏されているようです。
 CDは、1976年6月 トゥールーズ EMI CMS 64429 2
      1976年10月10日 MUSIC&ARTS CD 775(4CD)
第3番は、1950年代と60年代に演奏されていますが、第1番同様に1970年代(74年から75年)に集中的に演奏されています。
 CDは、1950年代 モスクワ RUSSIAN MASTERS RM 10
      1960年6月 レニングラード LENINGRAD MASTERS LM 1323
      1960年10月19日 ニューヨーク COLUMBIA M2L 272
      1975年1月12日 モスクワ MUSIC&ARTS CD 775
      1975年4月3日から14日 ヴィーン MELODIYA/JVC VDC−1084
      1975年6月2日 プラハ PRAGA 254 020
      1975年6月11日 オールドバラ BBC BBCL 4052−2

 ベートーヴェンのピアノ・ソナタについては、そのページを参照ください
1796年 ベートーヴェンがピアノ・ソナタ(ソナチネ)第20番ト長調作品49の2を作曲
リヒテルさんの演奏は、二種類のCDで聴けます(2002年1月時点)
 1963年6月から7月 パリ PHILIPS 464 710−2
 1992年10月25日 アムステルダム PHILIPS 438 486−2
 リヒテルさんは、ベートーヴェンのすべてのピアノ・ソナタを演奏しませんが、それは曲の大小にかかわりのない基準で選ばれているのだということが、ふたつのソナチネ(作品49)が含まれていることでわかります。
1797年 ベートーヴェンがピアノ・ソナタ第4番変ホ長調作品7(1796−97)を作曲
リヒテルさんは、この曲を演奏していますが、1970年代(74年と75年)に限られるようです。
 CDは、1975年1月12日 モスクワ MUSIC&ARTS CD 775
      1975年4月3日から14日 MELODIYA/JVC VDC−1084

ベートーヴェンがピアノ・ソナタ(ソナチネ)第19番ト短調作品49の1を作曲(1797?)

リヒテルさんは、このソナチネを1960年代に演奏したあと、30年を経て、1992年に集中的に演奏されています。なぜ?
 CDは、1963年6月から7月 パリ PHILIPS 464 710−2
      1992年10月25日 アムステルダム PHILIPS 438 486−2
1798年 ベートーヴェンが作品10の三つのピアノ・ソナタを作曲
 第5番ハ短調作品10−1
 第6番ヘ長調作品10−2
 第7番ニ長調作品10−3
リヒテルさんは、第5番を演奏されません。
第6番は、1980年と81年に集中的に演奏されています。
CDは、1980年10月26日 POLLING VICTOR VICC−60075
     1980年11月7日 パリ PYRAMID 13500/1
第7番は、リヒテルさんにとってお気に入りのピアノ・ソナタのように思えます。それは、演奏のすばらしさもありますが、1950年代から80年代はじめにかけて、ほぼ均等に演奏され続けるからです。第2楽章の有名なラルゴのせいでしょうか?リヒテルさんのこの楽章の演奏はバックハウスさんで聴いていた私にはショッキングでした。ただ晩年には、このソナタをもう取り上げて演奏されていません。
CDは、1959年11月1日 プラハ PRAGA 254 020
     1960年2月28日 ブカレスト PRESTIGE 1920.4017−2
     1960年6月 レニングラード LENINGRAD MASTERS LM 1323
     1976年6月 トゥールーズ EMI CMS 7 66429 2
     1976年8月25日 ヘルシンキ MUSIC&ARTS CD−1020
     1980年10月20日 POLLING VICTOR VICC−60075
     1980年11月7日 パリ PYRAMID 13500/1
  演奏されている姿が見えるLDもあります。

ベートーヴェンが「悲愴」ソナタ(第8番ハ短調作品13)を作曲
リヒテルさんは、1950年代に演奏されたあと、40年間近く演奏されていません。ふたたび演奏されたのは、1993年のことだと思います。
 1958年4月7日 モスクワ PARNASSUS PACD 96−005/6
 1959年6月4日 モスクワ MELODIYA/BMG 29462 2
下の写真は、PARNASSUS
 

1799年 ベートーヴェンが作品14の二つのピアノ・ソナタを作曲
 第9番ホ長調作品14−1(1798−99)
 第10番ト長調作品14−2(1799?)