雪中行路

 大晦日のお昼過ぎ.
 日勤→夜勤→休日残業とこなして,僕はようやく家路についた.さっきまではなかったのに,ちょうどイヤなタイミングで雪が降り始めていた.今日の雪は細かくて,軽い.ひょっとしたら,積もるかも.イヤだなぁ,今日はカミさんの実家まで車で移動するのに,こいつは面倒なことになるかも知れん….
 でもこの時点ではたいした雪ではなく気温もそれほど低くなかったので,濡れた路面を気にしつつも僕はいつも通りのペースで明治通りを下っていった.

 年末もここまで押し迫ると,都内はすいている.ガラガラだ.思ったより仕事が早く終わったし,この分なら夕方出かけるまでにはだいぶ時間があるな…と計算し,最近東八道路に新しくできたナップス(バイク用品店)に寄っていくことにした.こないだのSLY以来フロントタイヤが終わっていたのだが,仕事が詰まっていて買いに行けなかったのだ.
 東八道路に入った頃には雪はもうやみかけていた.腹が減っていたが,ぐっと我慢して牛丼屋の前を通過.メシはタイヤ交換中に食べれば良い.
 さてナップスに着いて,タイヤ選びはいつもだったらあれにしょっか〜,これにしょっか〜と散々迷うのだが,今日はさくっと決めた.リアと同じBT-020.隼に履かせるタイヤじゃないね〜とかつて言われたこともあったが,てやんでぇ,こちとら通勤に毎日乗ってんだ,あっという間にセンターがすり減っちゃうようじゃ,話しにならないのだ.

 ピット作業は20分待ちということだったが,どうせ食事して帰ってきたらちょうどいいくらいだろう.隼を預け,メシ屋を探しに外へ.また少し雪が降ってきていた.寒そうにしている警備員に尋ねるとすぐ近くに焼き肉屋「万世」があるという.そりゃいい,こんな寒い日はニクに限る.
 万世の所在はすぐ知れた.でも1人で焼き肉というのは,ちと寂しいな….肉を待つ間することもなく外をみていると,みるみる雪が強くなってきていた.先ほどとは違って牡丹雪だが,食事をしている間も雪はさらに降り続け,店をでるころには歩道や植え込みにうっすら雪がつもり始めていた.  ちょっと心配になってきたぞ….僕は食事を済ませると(御飯のお代わりはしたけれど…),さっさとナップスへ戻った.ピットを覗くと,かれこれ40分くらい経つが,隼はまだ前足がはずれたままだった.待合室でしばし本を読んだりして待つも,やっぱり落ち着かなくて席を立つ.窓外の風景はますます白一色.うっすらではない,しっかり雪が積もってきていた.状況は時間とともに悪くなっている.こんな中を、僕は新品のタイヤを履いて帰るのか…?

 早く終わってくれ〜と祈るような気持ちで作業を見つめる.隼の前輪はようやくとりつけが終わり,アクセルシャフトを締め付けているところ.ブレーキキャリパーがまだプラプラしてたから,まだ時間がかかりそうだ.タイヤにエアが入り,キャリパーが両側固定され,ようやくメンテナンス・スタンドが外された(…そういえば,僕もいろいろバイク用語が分かるようになってきたなぁ).よし,これで作業終了か…と思ったが甘かった.アクセルシャフトの本締め.どうやら作業をしているのは新人らしい.トルクレンチを,締めて,見て,締めて,見て,締めて…延々と続くその作業が終了し,隼が僕の前に引き出されて来たのは,食事後戻ってから30分以上も経ってからだった.

 エンジンはすっかり冷たくなっていた.チョークを引き,エンジンスタート.いつもはしないけど,身支度をする間しばらく暖機した.さぁ,いよいよ出発だ.バイクに乗るのに,久々に,緊張している….

 裏口に面した道路は数センチの積雪だったが,なんとか走ることができそうだった.東八道路は,どうかな…? 幹線道路なら,と期待したがどうやら甘かった.車量は相応にあるのに,ここも真っ白け.轍(わだち)を拾ってなんとか行けるかどうかといった案配だった.おそるおそる,時速20kmくらいで進む.周りの車もノーマルタイヤばかりだし,僕が転んでも止まってくれるとは期待できない状況だ.なるべく車通りの多いところを選んで帰らないと,裏道はとんでもないことになっていそうだ.東八道路から三鷹通りに折れてみた.思った通り,はるかに雪が深い.轍のみを選んで走っても,リアブレーキなぞかけようものなら簡単に後輪がロックする.ゆるやかな下り坂を,これまで走ったことのないような低速でそろそろと走る.後ろの車がいらついているのがよく分かるがしょうがない.こっちはミラーを見るのも不安な状況なのだ.ようやく下り坂を下りきったところで,しばし休憩.
△およそバイクに乗ることができる路面状況では,ない.


 ここまで1台のバイクともすれ違わなかった(当たり前だ)
 写真を撮っている間にも,先ほど通った車の轍が消えていく.慌てて僕は隼に跨った.深大寺五叉路の信号を過ぎたところで難所に差し掛かった.深大寺上のあたりから中央高速をくぐるあたりが,かなりの坂なのだ.なんとか,行けるかな…とゆっくり轍作戦で進入するも,スピードコントロールの為のほんのちょっぴりのブレーキだけであっさりフロントロック!! わぁぁぁぁっ.
 とりあえず,バイクを左に寄せてしばし困惑.よ,よく転ばなかったものだ.しかし,どうしよう…? 悩んだ末に出した結論は,およそ隼に似つかわしくないものだった.僕は恥を忍んで左ウィンカーを出すと,ギアをニュートラルに入れ,両足を地につけた.ブレーキを解除してゆるゆると走り出す.両足をソリよろしく,滑らせてバランスを取る.タイヤのグリップは信用しない.いつ滑ってもいい体勢だ.この姿勢でゆっくり,ゆっくり坂を下っていった.どんどん車に抜かれるが気にしない.いや,気にできない.
 屈辱の補助輪つき隼.ううっ,ごめんよぉ….

 なんとかかんとか坂を下りきるが,今度は休憩などできる余地がない.後ろの車に煽られつつもがんばって走る.もう少しで甲州街道だ,もう少しだ,「もう少しで甲州だ…」.気が付くと声に出して云っていた.本当にてんぱっていた.もう少し,もう少しだ….

 神戸屋の角まで来た.20号だ.轍を外れて,両足をまたついてなんとか左折…成功.顔を上げて愕然とした.なんだ,これは….
 ここまでとほとんど変わらない,いや,これはそれ以上か….ここまでは轍のあとはなんとかアスファルトが見えていた.でも甲州街道は,轍が既に踏み固められてアイスバーン状態だったのだ.おまけに車の流れが速い.
 びっくりしつつも,すでにもう,走ってしまっているものはしょうがない.よくグリップしてるな…と自分でも驚きつつ,なんとか時速10km前後で低速走行.1速で走ってると開けてもホイールスピン,閉めてもグリップを失う,という有り様なので,2速でずっと半クラで走っていた.もちろん車はどんどん僕を抜かしていく.左手がつらい.惨めだ….

 僕の家に帰るには,甲州街道から右折する必要がある.でも,この状態で右折車線に出ることはためらわれた.そこで,一旦左折し,Uターン(切り返しする余裕は無かったので,5mほど歩道を走ることすらして(-_-;;),なんとか向きを変えた)して,さらに雪深い「奥地」へ分け入っていった.
 我が家は「谷」の底にある.つまり、どこからどういうアプローチをしても下り坂は避けられない.どのルートを取るのが賢明か? 結局僕が選んだのは「比較的傾斜はきついが,車通りが一番多そうな道」.
 ところが….今日は何度でも裏切られる日だった.轍を求めて選んだ道は,なんと「ぴっかぴかの新雪」だったのだ! あげくにその斜度ときたら,これまで気にしたことすらなかったが,雪が乗るとなんと恐ろしく見えるんだろう.スキー場の「初心者コース」にこんなところがあったら,みな立ちすくむこと,請け合いだ.
 引き返したいのはやまやまだが,もはやUターンする場所もないし,雪が深くて無理と思われた.仕方なく,僕は下り始めた.またしてもニュートラルギアの,補助輪モード.この斜度では一度滑り出したら後はない.前ブレーキのみのコントロールで,秒速20cm(おおげさではない)の微速で,そ〜ろり,そろりと下りていく….途中で一瞬フロントロック! やっちまった,と思うも,右足を踏ん張りなんとか転倒をまぬがれる.止まっちゃだめだ.止まってはいけない.そのまま,ポンピングブレーキを駆使して(バイクで初めてやったよ…)方向修正をしつつ,微速で斜面を下る.もう少しだ….
 もう2度と,隼で雪道は走らない,もうゴメンだ….「もうたくさんだ…」気が付くと,またつぶやいていた.ようやく坂が終わり,ほっと一息。ふぅ、新幹線の速さで走ったときよりも緊張した…

 自宅まであと400m.ふかふかの新雪が続く.最後が肝心だ,最後まで気を抜くな,と自分に言い聞かせて,とうとう家までたとりついた.自宅前にバイクを停めて,後ろを振り返る.一筋の轍が新雪に残されていた.自然に笑みが沸いてくる.やった、やったぞぉ…。 よし,この様を写真に撮ってくれよう.かじかんだ手でウェストバックから携帯カメラを取り出す.轍に向けてカメラを構えたその時…,宅急便のトラックが路地に入ってきて,僕の轍を踏みつぶした.
 まったく,なんて日だ(鬱


自宅帰宅直後。降り始めからたった1時間で積雪は8cmくらい。
子供達はおおはしゃぎ。

Jan.1st.2005