大トリ物


「捕まえてくれ,誰かコイツを捕まえてくれ〜!」

タクシーの,開け放たれた助手席から逃げようともがく男.
血だらけになりながら,男の手を離さない運転手.
助けを求める女性の悲鳴.
そして男の手にはギラリと光る刃物が….

突如,舞い込んできた非日常.
ハヤブサと僕の目の前で起きた事件.

タクシー強盗だ….
何も考えず,僕はバイクをタクシーの後方に停めた.


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 クジロクジの仕事をほぼ時間通りに終え,僕は雑司ヶ谷から家路についた.途中,馬場口の洋服屋がたまたま閉店セールをやっていたので寄り道をする.メッシュのTシャツと短パンのセットが780円と超お買得で,鎧(プロテクターのこと)の下に着るのにちょうど良さそうだったので,買ってしまった.
 店を出たのはちょうど19時くらいだったろうか.明治通りを新宿に向かって南下.ここらあたりは地下鉄を掘っているせいで,道がガタガタで走りづらい.道も混んでいたが,そこはハヤブサのこと,耳(ミラー)をたたんで,するすると車の間を縫うように(なみ縫い)すり抜けていった.

 異変は突然にやってきた.
 ちょうど花園神社の前あたりだろうか.左車線を走行中の車がウィンカーを出し,次々と右に割り込んできていた.こういう時バイクは逆を行くに限る.僕は車列の左側に出ていった.すると目の前にタクシーが停まっていたのだが,左に寄せもしないでなんとも中途半端な場所で停車しており,それに何だか様子がおかしい.タクシーの助手席は大きく開け放たれており,背中を丸出しにした男が車内に首をつっこんでいたのである.

 え?と思い,ようやく気付いた.運転手が「捕まえてくれ,コイツを捕まえてくれ〜!!」と連呼しているのである.何だ,何ごとだ? 歩道では通行人とおぼしき女の子が「助けてあげて,助けてあげて!」と叫んでいる.これはタダゴトではないぞ….

 とりあえず僕はハヤブサをタクシーの後方に停めた.バイクを降り,様子を見に近寄っていって,ギョッとした.なんと男はナイフを持っていたのである.運転手はそのナイフの手を掴んでなんとか防御しており,助けを求めていたのだ.

 と,その時,一人の男性(たぶん通行人? 男性Aとしようか)が男の腕に飛びついた.つられて僕も飛び出してしまう(しまった,行くつもり無かったのに!).飛び出してしまったものはしょうがない,まずナイフだ,ナイフをどうにかしなくては.僕もまず男の腕をとり,まずナイフを誰もいない方に向けさせた.都合のいいことに,この日はレーシング用の一番ごついグローブをしていたので,ナイフの刃のところを掴み,首尾よくナイフを取り上げることに成功した.運転手はと見ると,血だらけであったがヤバイ状態ではなさそう.とりあえずはまず犯人の方に集中した.

 ここでもう一人の男性(男性B.男性Aの連れらしい.二人ともハーフ(?)と思われる,めっちゃいい男)が加勢してくれて,男を歩道へ引きずり出した.腰のあたりに跨がり男を押さえ付けると,酒のにおいがものすごい.酔っぱらいだ.ナイフはコンビニでも売ってそうな果物ナイフだったが,押さえ込みながら持っているのは恐かったので,ナイフは通行人の女性に渡す(素手で触らないように,タオルで持ってて貰った).この間に男性Bが110番通報.男は大人しくしていたが,110番通報が耳に入るとまた暴れだしたので,右腕を締め上げて肩関節を極めると,観念したようだった.

 警官はなかなか来なかった.押さえ込み状態で10分弱ほどしてから,やっと2名の巡査が到着.だが警官は状況が呑み込めておらず,僕と男がケンカをしているとでも思ったのか,いきなり僕に対し詰問調.さすがにムッとしたが,タクシー強盗であることを説明すると警官は顔色を変え,慌てて無線で応援を呼びだした.(お〜い,いいから早いとこ押さえる方を代わってくれよ)

 2名の警官が犯人を確保した後,ようやく僕は運転手を見に行くことができた.助手席は血まみれ,運転手は頭部から血を流し,シャツも血まみれだった.意識は問題ない.話を聞こうとして気付いたのだが,車内/車外に猛烈な音量の防犯ブザーが鳴っている.僕は警官が犯人を確保したことを告げ,防犯ブザーを解除するよう頼んだが,なんと運転手はブザーの消し方を知らないと言う.仕方なくそのまま傷を見たのだが,あまりの音で頭がクラクラした.
 運転手は数カ所を切られており,左耳の付け根(約1cm),右人さし指の付け根(約2cm),左人さし指の先端(約5mm)の切創からはまだ血が滴り落ちていた.指が動かなくなってたり,感じなくなってたりということはなく,まず重傷じゃなさそうだ.

 止血を手伝いながら話を聞くと,男はまず後部座席に普通に乗ったらしい.しかしそのうち,酔って気分が悪いから前に乗せて欲しいと言い出した.運転手が信号で止まった時に助手席の扉を開けてやったところ,凶行に及んだという.男はホールドアップもせずに運転手の頭部を切り付け,もみ合いになり,怯んだ運転手から財布を奪い取った.運転手はまた斬られると思いナイフを持つ手を掴んで離さず,通行人に助けを求めていたという.助けが入るまでが,ずいぶん長かった,と彼は語った.

 肩を叩かれて振り向くと刑事と思われる私服の男性が,運転手に事情を聞きたいという.止血もほぼ良好だったので,警官に場所を譲ってやった.車を降りて辺りをみると山ほど警官が来ており,また野次馬も相当集まっている.エライ騒ぎになっていた.僕も警官に事情を尋かれ,調書を取るために警察署までの同行を頼まれた.入院中の親父の見舞いにいくつもりだったのだが,時間はだいたい1時間前後とのことなので,まぁ仕方がないと了承した.(しなかったら,どうなってたんだろう?)

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 四谷警察署の場所を聞き,ハヤブサで移動.御苑下のトンネルは移動式オービスがよく出るところだが,いま捕まったらバカバカし〜な〜と思い,制限速度程度で走行.四谷警察署前にハヤブサを停めると,署内に入った.加勢してくれたイケメン2人は先に着いていて(パトカーで送って貰ったようだ),僕は初めて彼等と話をすることができた.まっ先に男にとっついた男性A(勇気ある奴だ)は,歩道で女の子が助けを求めていたので「思わず」体が動いてしまったとのこと.しかし,ナイフを持っている男に近寄っていくってのは相当なものだ.僕なら彼がナイフの手を押さえてなかったら,近寄れなかったろうな….

 さて2階の刑事課(いわゆるデカ部屋ってやつか!?)に呼ばれ,男性ABとは別の部屋で,一人で調書を取られた.まず私の身元,職業,家族構成などなどが根掘り葉掘り聞かれた.(どんな身元の人間からの調書かということにより信憑性が大分違うそうだ)それが済むと漸く今度の事件の話になった.

 一度でも警察の調書を取られたことがある人はよく知っていると思うけど,警察の話の聞き方はなにしろ細かい! 要約すると「明治通りに止まっているタクシーの助手席に不振な男が居り,ナイフで運転手を傷つけ,財布を奪い取っている現場に遭遇し,通行人らと共に取り抑え,110番通報,駆け付けた警官に身柄を引き渡した.」程度のことを,なんとA4用紙5枚に渡る大作に仕立て上げるのだ.

 例えばこうだ.

「本日私は職場である豊島区雑司ヶ谷○-○-○ ××を午後6時30分頃出発し,バイク(スズキ製1300cc大型バイク,多摩○○ ふ ○○○○)にて帰宅開始致しました.明治通りを雑司ヶ谷から新宿方向に進行し,途中馬場口にある洋装店(アオキ)にて…」(以下略)  

 とか とか,

  「私は
    まず凶器をなんとかしなければ危険である,
  と考え,
  駆け付けた男性Aが押さえている,男のナイフを持っている方の手を両手で抑え,
  運転手の方向からナイフを外しました.そこで私は
    バイク用手袋をしているため手が傷付くおそれはない,
  と考え,
  左手で男のナイフを持っている手を押さえたまま,右手でナイフの刃の部分を持ち,
  男の手からナイフをもぎ取りました…」
(以下略)


 で,まず最初にばぁ〜っと話をしたあと,担当の警官がそれをワープロで清書する.それを読んで問題がなければ,最後に署名をしてお終い…という段取りなのだが,下書き終了の時点で既に1時間半も経ってるぞ,をい!(怒)  それに,まぁお客さんじゃないのは分かってるけど,茶は出ない,期待してた「取り調べカツ丼」も出ない.時刻は午後9時を回ってて周りの警官はメシ喰ってるのに(さすがに目の前で調書とってる警官は喰ってなかったが),こっちはスキッパラってのは非道くないかい? 

 下書き取りが終わって,係官が雨だれ式に人さし指でワープロを打ち始めたに至って,ようやく理解した.これはあと数時間は絶対かかるな….

 係官がブツブツ云いながら(ホントに独り言の多い人だった)ワープロを打ってる間は基本的にヒマ.許可を貰って1F駐車場脇にある自販機でオレンジジュースをゲット.一息ついてふと見ると,先程のタクシーが構内に回送されてきていた.さすがにもう警報はなっていない.血痕も既に拭き取られていたようだ.(きっとその前に「鑑識」ってやつが撮れるだけの写真を撮ってたんだろうな…) 運転手は救急車で連れて行かれたから,まだ病院だろう.傷はいずれも深くて縫わなきゃいけなそうだったから,大変だ.(おそらく病院を出たら,彼もこの調書地獄が待っているハズ.大変だ.)

 ジュースを持って部屋に戻る途中,道に迷ってうろついてたら,「どちらへ?」と誰何された.道を教えてもらって戻ろうとしてたら,今度は私服の警官に「おたくさん,何?」と聞かれた.ナニといわれてもなぁ….
 刑事課に戻ってもすることがないのは変わりない.持っていたバイク雑誌を開いて読んでいたのだが,この間,いろいろなギョーカイ用語が聞こえてきた.

「マルガイ」:おそらく被ガイ者のこと.(でもそれを云うなら加ガイ者もありでは?)
「ホシ」   :犯人(容疑者か?)のこと.刑事ドラマみたい….
「マルキ?」 :凶器のこと?
「オトーサン」:刑事のアダ名? デカチョーは別にいた様である.
「ダイリ」 :何かを代理してるんでしょう,きっと.
(他にもいろいろあったんだけど,思い出せないもんだなぁ…)

 清書がようやく出来上がったのはもう夜11時を回っていた.僕は調書の誤りをいくつか正して押印,さらに「提出した凶器は返してくれなくていいです用紙」にもサインをした.(凶器のナイフは女の子が持っていたが,女の子は警官に凶器を渡すとどっか行ってしまったらしい.俺も消えるべきだったなぁ)

 最後に,市民によって犯罪者が逮捕された場合には謝礼を差し上げている,とのことであり,まぁ拘束時間も長かったし断る理由もなかったので「警視庁」マーク入りの茶封筒を受け取った.その場で内容を確認させられたが,中には5000円が入っていた.(時給1000円くらいだなぁ(苦笑))


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 最終的に家に着いたのはちょうど日が変わるころだった.あぁぁ,疲れたぁ!
(カミさんはとっくに寝てたけど,聞いて聞いて〜って起こしちゃった(^^; でもビックリしてたよ)
 親父のお見舞いには行けなくなったし,ひさびさに家族と食事できそうだったのがパーになったけど,まぁ面白い経験だったから良しとしよう.

 なお翌日の東京新聞に,小さく今回の事件のことが出ていた.市民らによる逮捕については,全く触れられていなかった.たぶん最初に来た警官の手柄,ってことになるんだろうな.(別にいいけど)


平成16年6月5日(土) 東京新聞朝刊より切り抜き
Jun.6th.2004