![]() The 8th Tale ![]() 暫く其の紙片を眺めた後、目だけをこちらに向けて暗号屋は云つた。私の答は決まつてゐた。其の為に此処まで来たのだ。もう暗号なんて懲り懲りだ、早く終わりにしてくれ… 「ええ、御願ひします。」 漸く絞り出した其の声に対する暗号屋の反応は私の予想を超えてゐた。彼は堰を切つたやうに、腹を抱へて笑ひ出したのだ。目に涙まで浮かべて彼は笑ひ続けた。何時までも何時までも続く哄笑の中で、私は怒るよりもただ、途方に暮れてゐた… * * * <平成廿伍年九月廿弐日 日曜日 晴> 不可解な手紙が自宅の郵便受に投函されてゐた。一見何かのチラシのやうな其れは、印刷屋で印刷された代物ではなく、筆記機の印刷物か複写物のやうであつた。問題は、これが何が書ひて在るのかさっぱり判らない事だつた。日本語で、片仮名で書ひてあり、所々意味有り気な云葉も見受けられるのだが、全体では何が書ひて有るのか読めた物では無い。気になつて隣近所にも訊いて見たのだが、其のやうな手紙は入つて居なかつたさうだ。 暇に任せて解読を試みたのがいけなかつた。私は元より謎解きの類は得意な方である。だがその日曜の午後一杯を費やしても糸口さへ掴めず、夕食後就寝まで考えたが結局謎は解けなかつた。私はすっかり意地になつて仕舞つた。選良を自負する私にとつて、このやうな事で敗北感を味わうなど矜持が許さない。遅寝したにも拘わらず、私は翌朝普段より早く目が覚め、出社するまでの間もこの問題を考へ続けた。 <平成廿伍年九月廿四日 火曜日 曇/雨> 一日経ち、二日経つたが謎は依然謎のままで在る。只一つ、手懸かりらしき物は発見した。紙片の右下に在る文字−ワリビキ←→ヤミイチ−である。此処だけ意味の有る云葉で構成されてゐる。そしてこの矢印。間違ひ無い。これはこの文章の筆者より与えられた解読の糸口なのだ。しかしそこまで分かってゐるのに解法が解らない事がまた私を苛立たせる。 <平成廿伍年九月廿九日 日曜日 曇/晴> 妻の命日。八回忌。 <平成廿伍年拾月弐日 水曜日 晴> 十日経つた。今や暗号は私の意識を完全に支配してゐる。自宅で暇潰しに考へてゐる内は良かつたのだが、このところ出社中でも気が付くと暗号の事を考えてゐる。当然仕事が疎かになり昨日も手痛ひ失敗を犯した。挙げ句には暗号が気になる余り、私は不眠症に陥つてゐる。だがもう後には引けない。この文章の意味が明らかに成る迄は、私は安らかになど眠れないだろう… <平成廿伍年拾月拾弐日 土曜日 雨> 今日久々に学生時代の友人、卓朗に会つた。この男は雑誌の記者をしてゐて、職業柄暗号等を扱う事も有ると聞いた事が有つた。思ひ余つた末、私はこの男に話を聞いて貰う事にしたのである。 落胆した事に、卓朗にもこれが何の文章なのだか分からなかつた。しかし彼は私に爆心街に在るという暗号屋に行けと云つた。この暗号屋は軍事・政府関係・民間を問わずあらゆる暗号に精通しており、金さえ払へば殆どの暗号は解ひて仕舞うと云う。店の場所を聞ひてみたが、卓朗も詳しい場所までは知らなかつた。明日早速神田に行かうと思ふ。 <平成廿伍年拾月拾参日 日曜日 嵐> 神田爆心街は、昭和が終わる直前の北鮮のミサイル誤爆により、旧神田が焼けたあとに出来た街である。たつた五十年の間にこの街は二回も平らになったのだ。ミサイルの弾頭は通常弾頭だつたが、神田は二日の間燃へ続けた。死者は数千人を数へ、既存の建築の約七割は倒壊/全焼した。しかし人々はタフだつた。未だ焼け跡で赤いスミが燻つてゐる内からバラックが建ち始め、政府が今度こそ都市計画に基づいた街作りを、と計画を立案したにも関わらず、勝手に、アッと云う間に復興して仕舞ったのである。但し新しい神田は私がかつて訪れた以前の街とは大分様相が異なる。 暗号屋の所在はすぐ知れた。神田駅の程近くの闇市横町と呼ばれる一角、旧紺屋町近辺に在るらしい。噂屋に参千円ばかりの金を払ひ、私は其のスペクタァズと云ふ名の暗号屋の方に向かつて歩き出した…。 |