『養生訓』 貝原益軒著

 

参考文献 

養生訓全口語訳 貝原益軒 伊藤友信訳(講談社学術文庫)

口語養生訓 貝原益軒原著 松宮光伸訳註(日本評論社)

 

 

巻第一 総論上 より

 

人の身は父母を本(もと)とし、天地を初めとする。天地父母のめぐみをうけて生れ、また養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年(てんねん)を長く保つべし。是天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし。わが身の内、少なる皮はだへ、髪の毛だにも、父母にうけたまわれば、みだりにそこなひやぶるは不幸なり。況(いわんや)、大なる身命を、わが私の物として慎まず、飲食色慾を恣(ほしいまま)にし、元気をそこなひ病を求め、生付(うまれつき)たる天年を短くして、早く身命を失ふ事、天地父母への不幸のいたり、愚なる哉。人となり此世に生きては、ひとへに父母天地に孝をつくし、人倫の道を行なひ、義理にしたがひて、なるべき程は寿福(じゅふく)をうけ、久しく世にながらへて、喜び楽みをなさん事、誠に人の各願ふ処ならずや。此如(かくのごとし)ならむ事をねがはば、先(まず)古の道をかんがへ、養生の道をまなんで、よくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり。人身は至りて貴(とう)とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るにこれを養なふ術をしらず、欲を恣(ほしいまま)にして、身を亡ぼし命をうしなふ事、愚なる至り也。身命と私慾との軽重をよくおもんばかりて、日々に一日を慎しみ、私欲の危(あやうき)をおそるる事、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、つひに殃(わざわい)なかるべし。豈(あに)楽まざるべけんや。命みじかければ、天下四海の富を得ても益なし。財(たから)の山を前につんでも用なし。然れば道にしたがひ身をたもちて、長命なるほど大なる福(さいわい)なし。故に寿(いのちなが)きは尚書(しょうしょ)に五福の第一とす。是万福の根本なり。

 

養生の術は、先(まず)わが身をそこなふ物を去(さる)べし。身をそこなふ物は、内慾と外邪(がいじゃ)となり。内慾とは飲食の慾、好色の慾、睡(ねぶり)の慾、言語をほしいままにするの慾と喜怒憂思悲恐驚の七情の慾を云。外邪とは天の四気なり。風寒暑湿を云。内慾をこらゑてすくなくし、外邪をおそれてふせぐ、是を以(もって)元気をそこなはず、病をなくして天年を永くたもつべし。

 

万(よろづ)の事、一時心に快(こころよ)き事は、必(かならず)後に殃(わざわい)となる。酒食をほしいままにすれば快けれど、やがて病となるの類なり。はじめにこらふれば必(かならず)後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらふれば、後に病なきが如し。杜牧(とぼく)が詩に、忍(にん)過テ事喜ブニ堪タリ といへるは欲をこらへすまして、後は、よろこびとなる也。

 

聖人は未病(みびょう)を治すとは、病いまだおこらざる時、かねてつつしめば病なく、もし飲食色慾などの内慾をこらへず、風寒暑湿の外邪をふせがざれば、其をかす事はすこしなれども、後に病をなすことは大にして久し。内慾と外邪をつつしまざるによりて、大病となりて、思ひの外にふかきうれひにしづみ、久しく苦しむは、病のならひなり。病をうくれば、病苦のみならず、いたき針にて身をさし、あつき灸にて身をやき、苦き薬にて身をせめ、くひたき物をくはず、のみたきものをのまずして、身をくるしめ、心をいたましむ。病なき時、かねて養生よくすれば病おこらずして、目に見えぬ大なるさいはひとなる。孫子が曰(いわく)、よく兵を用(もちう)る者は赫々(かくかく)の功なし。云意(いうこころ)は、兵を用る上手は、あらはれたるてがらなし、いかんとなれば、兵のおこらぬさきに戦はずして勝(かて)ばなり。又曰く、古ノ之善ク勝ツ者ハ勝易キニ勝ツ者也。養生の道も亦かくの如くすべし。心の内、わづかに一念の上に力を用て、病のいまだおこらざる時、かちやすき慾にかてば病おこらず。良将のの戦はずして勝(かち)やすきにかつが如し。是上策なり。是未病を治(ち)するの道なり。

 

人の身をたもつには、養生の道をたのむべし。針灸と、薬力とをたのむべからず。人に身には口腹耳目の欲ありて、身をせむるもの多し。古人のをしへに、養生のいたれる法あり。孟子にいはゆる 慾ヲ寡(スクナク)スル(寡慾) これなり。宋の王昭素も、身を養ふ事は慾を寡(すくなく)するにしくはなし、と云(いへり)。省心録(せいしんろく)にも、慾多ケレバ則生ヲ傷(やぶ)ル、といへり。およそ人のやまひは、皆わが身の慾をほしいままにして、つつしまざるよりおこる。養生の士はつねにこれを戒(いましめ)とすべし。

 

 

巻第二 総論下 より

 

長生の術は食色の慾をすくなくし、心気を平和にし、事に臨んで常に畏慎(おそれつつしみ)あれば、物にやぶられず。血気おのづから整ひて、自然に病なし。斯如なれば長生す。是(これ)長生の術也。此術を信じ用ひば、此術の貴とぶべき事、あたかも万金を得たるより重かるべし。

 

万(よろず)の事十分に満て、其上にくはえがたきは、うれひの本なり。古人の曰、酒は微酔にのみ、花は半開に見る。此言(げん)むべなるかな。酒十分にのめばやぶらる。少(すこし)のんで不足なるは、楽みて後のうれひなし。花十分に開けば、盛過て精神なく、やがてちりやすし。花のいまだひらかざるが盛なりと、古人いへり。

 

養生の道は、中を守るべし。中を守るとは過不及(かふきゅう)なきを云。食物はうゑを助くるまでにてやむべし。過(あやまつ)てほしいままなるべからず。是(これ)中を守るなり。物ごとにかくの如くなるべし。

 

心をつねに従容(しょうよう)としづかにせはしからず、和平なるべし。言語はことにしづかにしてすくなくし、無用の事いふべからず。是(これ)尤(もっとも)気を養ふ良法也。

 

客となって昼より他席にあらば、薄暮より前に帰るべし。夜までかたれば主客(しゅかく)とも労す。久しく滞座すべからず。

 

素問(そもん)に、怒れば気上(のぼ)る。喜べば気緩(ゆる)まる。悲めば気消ゆ。恐(おそ)るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気泄(も)る。驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結(むすぼお)るといへり。百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調(ととのう)るにあり。調ふるは気を和らぎ、平(たいらか)にする也。凡(およそ)気を養ふの道は、気をへらさざると、ふさがざるにあり。気を和らげ、平(たいらか)にすれば、此二(ふたつ)のうれひなし。

 

七情は喜怒哀楽愛悪慾也。医家にては喜怒憂思悲恐驚と云。又、六慾あり、耳目口鼻身意の慾也。七情の内、怒と慾との二、尤(もつとも)徳をやぶり、生をそこなふ。忿(いかり)を懲(こら)し、欲を窒(ふさ)ぐは易の戒(いましめ)なり。忿(いかり)は陽に属す。火のもゆるが如し。人の心を乱し、元気をそこなふは忿なり。おさへて忍ぶべし。慾は陰に属す。水の深きが如し。人の心をおぼらし、元気をへらすは慾也。思ひてふさぐべからず。

 

養生の要訣一あり。要訣とはかんようなる口伝也。養生に志あらん人は、是をしりて守るべし。其要訣は少の一字なり。少とは万の事皆すくなくして多くせざるを云。すべてつつましやかに、いはば、慾をすくなくするを云。慾とは、耳目口体のむさぼりこのむを云。酒食をこのみ、好色をこのむの類也。およそ慾多きのつもりは、身をそこなひ命を失なふ。慾をすくなくすれば、身をやしなひ命をのぶ。慾をすくなくするに、その目録十二あり。十二少と名づく。必(かならず)是を守るべし。食を少くし、飲ものを少くし、五味の偏を少くし、色慾を少くし、言語を少くし、事を少くし、怒(いかり)を少くし、憂いを少くし、悲しみを少くし、思(おもい)を少くし、臥(ふす)事を少くすべし。かやうに事ごとに少(すくなく)すれば、元気へらず、脾腎損ぜず。是寿(じゅ)をたもつの道なり。十二にかぎらず、何事も身のわざと欲とをすくなくすべし。一時に気を多く用ひ過し、心を多く用ひ過さば、元気へり、病となりて命みじかし。物ごとに数多くはば広く用ゆるべからず。数すくなく、はばせばきがよし。孫思貎(そんしばく)が千金方にも、養生の十二少をいへり。其意同じ。目録は是と同じからず。右にいへる十二少は、今の時宜にかなへるなり。

 

古人は、詠歌舞踏にて血脉(けつみゃく)を養ふ。詠歌はうたふ也。舞踏は手のまひ足のふむ也。皆心を和らげ、身をうごかし、気をめぐらし、体をやしなふ。養生の道なり。今導引按摩して気をめぐらすがごとし。

 

摂生の七養あり。是を守るべし。一には言をすくなくして内気を養ふ。二には色慾を戒めて精気を養ふ。三には滋味を薄くして血気を養ふ。四には津液(しんえき)を飲んで臓器を養ふ。五には怒(いかり)をおさへて肝気を養ふ。六には飲食を節にして胃気を養ふ。七には思慮をすくなくして心気を養ふ。是寿親養老書(じゅしんようろうしょ)に出たり。

 

夜書をよみ、ひととかたるに三更(さんこう)をかぎりとすべし。一夜を五更にわかつに、三更は国俗の時鼓(じこ)の四半(よつはん)過(すぎ)、九(ここのつ)の間なるべし。深更までねぶらざれば、精神しづまらず。

(注)三更は午後十一時頃をさすと思われる。

 

 

巻第三 飲食上 より

 

食は身を養う物なり。身を養ふ物を以、かへつて身をそこなふべからず。故に凡(およそ)食物は性よくして、身をやしなふに益ある物をつねにゑらんで食ふべし。益なくして損ある物、味よしとしてもくらふべからず。温補にて気をふさがざる物は益あり。生冷にて瀉下(はきくだし)、気をふさぎ、腹はる物、辛くして熱ある物、皆損あり。

 

食する時、五思あり。一には、此食の来る所を思ひやるべし。幼(いとけな)くしては父の養(やしない)をうけ、年長じては君恩によれり。是を思て忘るべからず。或(あるいは)君父ならずして、兄弟親族他人の養をうくる事あり。是又此食の来る所を思ひて、其めぐみ忘るべからず。農工商のわがちからにはむ者も、此国恩を思ふべし。二には、此食も農夫の勤労して作り出せし苦みを思ひやるべし。わするべからず。みづから耕さず、安楽にて居ながら、其養をうく。其楽を楽しむべし。三には、われ才徳公義なく、君を助け、民を治むる功なくして、此美味の養をうくること幸(さいわい)甚し。四には、世にわれより貧しき人多し。糟糠(そうこう=かすとぬか)の食にもあく事なし。或(あるいは)うゑて死する者あり。われは嘉穀をあくまでくらひ、飢餓の憂なし。是大なる幸いにあらずや。五には、上古の時を思ふべし。上古には五穀なくして、草木の実と根葉を食して飢えをまぬがる。其後、五穀出来ても、いまだ火食をしらず。釜甑(かまこしき)なくして煮食せず、生にてかみ食はば、味なく腸胃をそこなふべし。今白飯をやはらかに煮て、ほしいままに食し、又あつものあり、菜ありて、朝夕食にあけり。且(かつ)、酒醴(しゅれい)ありて心を楽しましめ、血気を助く。されば朝夕食するごとに、此五思の内、一二なりともかはるがはる思ひめぐらして忘るべからず。然らば日々に楽(たのしみ)も亦その中に有べし。是愚が臆説なり。妄(みだり)にここに記す。僧家には食時の五観あり。是に同じからず。

 

脾虚(ひきょ)の人は、生魚をあぶりて食するに宜し。煮たるよりつかへず。小魚は煮て食するに宜し。大なる魚はあぶりて食ひ、或(あるいは)煎酒(いりざけ)を熱くして、生薑(しょうが)わさびなど加へ、浸し食すれば害なし。

 

四時、幼老ともにあたたかなる物をくらふべし。殊に夏月は伏陰(ふくいん)内にあり。わかく盛なる人も、あたたかなる物をくらふべし。生冷を食すべからず。滞(とどこおり)やすく泄瀉(せっしゃ)しやすし。冷水多く飲べからず。

 

朝夕飯を食するごとに、初(はじめ)一椀は羮(あつもの)ばかり食して菜を食せざれば、飯の正味を良く知りて飯の味よし。後に五味の菜を食して気を養なふべし。初より菜をまじへ食うへば、飯の正味を失なふ。後に菜を食へば菜多からずしてたりやすし。是身を養ふによろしくて、又貧に処するによろし。魚鳥蔬菜(そさい)の菜を多く食はずして、飯の味の良きことを知るべし。菜肉多くくらへば飯のよき味はしらず。貧民は菜肉ともしくして飯と羮(あつもの)ばかり食ふ故に、飯の味よく食滞の害なし。

 

 

 

巻第六 病ヲ慎シム より

 

病なき時、なめてつつしめば病なし。病おこりて後、薬を服しても病癒(いえ)がたく、癒(いゆ)る事おそし。小慾をつつしまざれば大病となる。小慾をつつしむ事は、やすし。大病となりては、苦しみ多し。かねて病苦を思ひやり、後の禍(わざわひ)をおそるべし。

 

病を早く治せんとして、いそげば、かへつて、あやまりて病をます。保養はおこたりなくつとめて、いゆる事は、いそがず、その自然にまかすべし。あまりよくせんとすれば、返つてあしくなる。

 

 

巻第六 医ヲ択ブ より

 

保養の道は、みづからの病を慎しむのみならず、又、医をよくえらぶべし。天下にもかへがたき父母の身、わが身を以(もつて)、庸医(ようい)の手にゆだぬるはあやふし。医の良拙をしらずして、父母子孫病する時に、庸医にゆだぬるは、不孝不慈に比す。おやにつかふる者も、亦医をしらずんばあるべからず、といへる程子の言、むべなり。医をえらぶには、わが身医療に達せずとも、医療の大意をしれらば、医の好否(よしあし)をしるべし。たとえば書画を能(よく)せざる人も、筆法をならひしれば、書画の巧拙をしるが如し。

 

文学ありて、医学にくはしく、医術に心をふかく用ひ、多く病になれて、其変(へん)をしれるは良医也。医となりて、医学を好まず、医道に志なく、又、医書を多くよまず、多くよんでも、精思の工夫なくして、理に通ぜず、或(あるいは)医書をよんでも、旧説になづみて、時の変をしらざるは、賤工(せんこう)也。俗医、利口にして、医学と療治とは別の事にて、学問は、病を治するに用なしと云(いい)て、わが無学をかざり、人情になれ、世事に熟し、権貴の家にへつらひちかづき、虚名を得て、幸にして世に用ひらるる者多し。是を名づけて福医と云、又、時医と云。是医道にはうとけれど、時の幸ありて、禄位ある人を、一両人療して、偶中(ぐうちゅう)すれば、其故に名を得て、世に用らるる事あり。才徳なき人の、時にあひ、貴富になるに同じ。およそ医の世に用(もちい)らるると、用られざるとは、良医のえらんで定むる所為(しわざ)にはあらず。医道をしらざる白徒(しろうと)のする事なれば、幸にして時にあひて、はやり行はるるとて、良医とすべからず。其術を信じがたし。

 

貧民は、医なき故に死し、愚民は庸医にあやまられて、死ぬる者多しと、古人いへり、あはれむべし。

 

歌をよむに、ひろく歌書をよんで、歌学ありても歌の下手はあるもの也。歌学なくして上手は有まじきなりと、心敬法師いへり。医学も亦かくの如し。医書を多くよんでも、つたなき医はあり。それは医道に心を用(もちい)ずして、くはしからざればなり。医書をよまずして、上手のあるまじき也。から・やまとに博学多識にして、道しらぬ儒士(じゅし)は多し。博く学ばずして、道しれる人はなきが如し。

 

医は仁心を以て行ふべし。名利を求むべからず。病重くして、薬にて救ひがたしといへども、病家より薬を求むる事切ならば、多く薬をあたへて、其心をなぐさむべし。わがよく病を見付て、生死をしる名を得んとて、病人にあたへずして、すてころすは情なし。医の薬をあたへざれば病人いよいよちからをおとす理(ことわり)なり。あはれむべし。

 

医を学ぶに、ふるき法をたづねて、ひろく学び、古方を多く考ふべし。又、今世の時運を考へ、ひとの強弱をはかり、日本の土宜(どぎ)と民俗の風気を知り、古今わが国先輩の名医の治せし迹(あと)をも考へて、治療を行ふべし。いにしへに本づき、今に宜しくば、あやまりすくなかるべし。古法をしらずして、今の宜(よろしき)に合せんとするを鑿(うがつ)と云。古法にかかはりて、今の宜(よろしき)に合ざるを泥(なずむ)と云。其あやまり同じ。古(いにしえ)にくらく、今に通ぜずしては、医道行はるべからず。聖人も、故ヲ温ネ新ヲ知 以師とすべし、と、のたまへり。医師も亦かくの如くなるべし。

 

或曰(あるいはいわく)、病あつて治せず、常に中医を得る、といへる道理、誠にしかるべし。然らば、病あらば只上医の薬を服すべし中下の医の薬は服すべからず。今時(こんじ)、上医は有がたし、多くは中、下医なるべし。薬をのまずんば、医は無用の物となるべしと云。答曰(こたえていわく)、しからず、病あつて、すべて治せず。薬をのむべからずと云は、寒熱、虚実など、凡(およそ)病の相似て、まぎらはしくうたがはしき、むずかしき病をいへり。浅薄なる治しやすき症は、下医といへども、よく治す。感冒咳嗽に参蘇飲(じんそいん)、風邪(ふうじゃ)発散するに香蘇散、敗毒散、霍香(かくこう)、正気散。食滞に平胃散、香砂平胃散、かやうの類は、まぎれなくうたがはしからざる病なれば、下医も治しやすし。薬を服して害なかるべし。右の症も、薬しるしなき、むずかしき病ならば、薬を用ずして可也。

 

 

 

巻第七 薬ヲ用フ より

 

人身、病なき事あたはず。病あれば、医をまねきて治を求む。医に上中下の三品あり。上医は病を知り、脈を知り、薬を知る。此三知を以(もって)病を治して十全の功あり。まことに世の宝にして、其功、良相(りょうしょう)につげる事、古人の言のごとし。下医(かい)は、三知の力なし。妄(みだり)に薬を投じて、人をあやまる事多し。夫(それ)薬は、補瀉寒熱の良毒の気偏なり。その気の偏を用て病をせむる故に、参耆(じんぎ)の上薬をも妄に用ふべからず。其病に応ずれば良薬とす。必(かならず)其しるしあり。其病に応ぜざるは毒薬とす。ただ、益なきのみならず、また人に害あり。又、中医あり。病と脈と薬をしる事、上医に及ばずといへ共、薬は皆気の偏にして、妄に用ふべからざる事をしる。故に其病に応ぜざる薬を与へず。前漢書に班固(はんこ)が曰(いわく)、病有テ治セズ 常ニ中医ヲ得。云意(いうこころ)は、病あれども、もし其病を明らかにわきまへず、その脈を詳(つまびらか)に察せず、其薬方を精(くわ)しく定めがたければ、慎んでみだりに薬を施さず。ここを以病あれど治せざるは、中品の医なり。下医の妄に薬を用て人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良医なくば、庸医の薬を服して身をそこなふべからず。

 

 

 

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