平成19年5月28日、午前一時に突然の痛みで目が覚めた。

これが僕の頚椎椎間板ヘルニア・神経根症の発病だった。

右の首から肩甲骨や右腕の芯が痛くて寝られない。

枕を直して入眠するも午前三時頃に再び目が覚めた。

朝になっても痛みは引かない。

我慢すれば仕事は出来るので出掛けたが症状は徐々に悪化した。

夕方帰宅してからは座っていられなくなりベッドに寝込んだ。家内に血圧測定を頼んだが正常だった。

痛みは激痛、かつ持続性。さらに波を打つように強く痛む時もある。

その他の症状は、右腕のしびれと筋力低下。

右の人差し指と中指は常にしびれていて、ほとんど感覚がない。

右の上腕三頭筋の筋力低下がある。

痛みと筋力低下で右腕を上げるのが苦痛だった。パソコンのキーボードやマウスまで腕を伸ばすのも痛くて困難だ。

右腕は二頭筋と三頭筋のバランスがわるいので、洗顔をすると左右の腕の動きが対照ではない。

発症三日目に大学病院で診察を受け、四日目にMRIの検査を受けて、頚椎椎間板ヘルニア・神経根症の診断が確定された。

初診医は「激しい痛みは六週間続きます」と言った。

ペインクリニックで硬膜外ブロックを受けた。効果不十分かつリバウンド現象のため二回で中止した。

ペインクリニックの処置室でカーテン越しの隣のベッドの患者さんは二回とも癌患者さんのようだった。

 

疼痛は激痛だが僕の疼痛は癌ではないというのが不幸中の幸いだった。

精神的な痛みは癌性疼痛よりはるかに楽なはずだった。しかし、痛みが続くことは精神的にもきつかった。

手の自由がきかない。痛みのために体の動きも自由ではない。

そして、些細なことで腹を立てるようになった。

子供にもイヤな思いをさせた。

激痛の期間は、ほぼ初診医の説明通り七週間続いた。

 

患者の気持ちを理解するということは非常に難しい。患者のつらさを理解することも難しい。

僕は死の淵から生還したわけではないが、あの痛みの苦しさは辛かった。

あの時はどうすることも出来なかった。良い父にもなることは出来なかった。

どうすることも出来なかった経験から、僕にとっては「死生学」など無用なことを学んだ。

僕にとって価値があるのは、元気な間にどうするかの「現世学」と、患者さんを見舞う時の「見舞い学」だということも学んだ。

用語に、あえて“死”という忌み言葉を使う必要はない。

避けて通りたいものを言い出すことはない。

死にたくはないし、死ぬ苦しみを経験したくもない。

イヤなことは言わないし、イヤなことはしない。

嫌がられることは言わないし、嫌がられることはしない。

普通のことを普通に言うことに悪いはずがない。

このことについて、用語が必要になることもある場合には「現世学」と表記してみる。

 

富豪が庶民を集めて裕福になる方法を説いているのと同じようなことを、医療の現場でするのは間違いではないか。

裕福なのは、家柄と運。健康も、血筋(遺伝子)と運が多くの部分を占める。

血筋とか運とかどうにもならない部分が多いのに、残りの部分を過大に話すことが正しいことなのだろうか。

庶民は一日一日を大切に生きて、その中に小さな笑いがあれば幸せなのだと思う。

人前で言うほどのことでもないし、考えなくてもわかることではないか。

 

「見舞い学」もエチケットが守れれば必要のない用語だ。

例えば、病んでいると思われる人に「顔色が悪い」とか「やせましたね」と言うのは禁句で、良い部分を取り上げて誉めて帰るのが正しい。

お見舞いは患者の立場に立ち、時間は短時間に済ませる。見舞いの品は、重いものやかさばるものを持っていかない。

 

平成19年10月28日

 

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