十一月 

 

三日 文化の日 

『大辞林』によりますと、自由と平和を愛し文化をすすめることを趣旨とする国民の祝日、とあります。昭和二十三年の「国民の祝日に関する法律」により「文化の日」と改称されましたが、十一月三日が明治天皇の誕生日だということを知っている人は少なくなったのではないかと思います。現在、学校の文化祭などの行事が文化の日の前後に行われています。昭和初期から終戦直後までは「明治節」と呼ばれ、明治天皇誕生日に際してその聖徳を記念する日とされていました。

 

七五三

三歳の男女、五歳の男子、七歳の女子のお祝い。神社に参詣して今日までの無事とさらなる成長を祈願する儀礼。現在では十一月十五日を中心に行われています。十一月十五日に行われるようになったのは徳川綱吉の子の徳松の髪置きの祝いからとも、陰陽道によるものともされています。七五三という名称は明治以降に作られたもので、それ以前は、三歳、五歳、七歳で、それぞれ別の祝い方がされていました。一般には、三歳では紐落し(ひもおとし)、髪置き、帯結びなどの祝いが行われ、五歳では袴着(はかまぎ)の祝いが行われました。七歳になると、近くの山に登拝する七つ参りが行われる地域もありました。

「七歳までは神の内」といって、七歳を過ぎてからようやく人格を持った人間として扱われ社会人としての一歩を踏み出すものと考えられていたようです。

 

酉の市(とりのいち)

十一月の酉の日に行われる鷲(おおとり、大鳥)神社の祭礼。酉の日は十二日に一回巡ってくるので、十一月初めの酉の日を一の酉、二回目を二の酉といいます。三の酉まである年は加地が多いともいわれます。鷲明神は大阪府堺市鳳北区の大鳥神社を本社とし、東京およびその周辺に末社が多いそうです。酉の市の日には、福を掻き込むという意味から、お多福面、千両箱、大福帳などをつけた熊手が縁起物として売られます。現在は開運の神として、特に客商売や料理店の信仰を集めているといことですが、もとは武道守護の神として武士の信仰をあつめていたということです。

 

二十三日 勤労感謝の日 

勤労感謝の日は、農耕文化を中心としてきた日本の祭りの中でも、重要な祭儀である新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)を元にしています。新嘗祭は新穀感謝の祭儀で、記紀には、高天原で天照大神が新嘗の祭りをしたことが記され、起源の古さがしのばれます。古代より十一月の下の卯の日(中の卯の日)に行われるのが例でした。明治になり太陽暦が使用されるのに伴い、十一月二十三日に定まりました。戦後、勤労感謝の日として国民の祝日になりました。

新嘗祭は十一月二十三日に天皇陛下が新穀を神さまに奉って感謝をし、共食される祭儀で原則として天皇陛下の親祭とされます。一方、新穀感謝の祭儀は、民間においても古くから行われており、現在でも各地の神社の重要なお祭りとして執り行われています。