三月 雛祭り

 

雛祭り

『神道のしきたりと心得』(神社本庁教学研究所監修 池田書店)によりますと、上巳(じょうし)の節句・桃の節句ともいい三月三日雛人形を飾って女児の成育を祈る行事、とあります。

童謡ひなまつりの「お内裏様とお雛様」にみられるように、雛祭りに最上段に飾るお人形は、天皇皇后両陛下のお姿に似せた男女一体の雛人形です。「内裏」とは、皇居、禁裏、禁中、御所とも同義です。そのお内裏様とお雛様の左右の関係は、現在では向かって左がお内裏様で、右がお雛様が一般的ですが、その反対の雛人形もあるそうです。通常の結婚式でも、新郎・新婦の並び方は、現在の一般的なお雛様の配置の仕方と同じです。この並び方・配置について、私はちょっと違和感がありました。というのは、日本では「左が上座」ということが言われているからです。「向かって右・左」は、お雛様から見たときには逆になりますので、お内裏様が下座の「右」にいらっしゃると思ったのです。かって、「右と左」についてのお話をお伺いしたことがありましたが、その時に私の疑問が解決しました。天皇陛下は、左右関係なく中心であるのだそうです。お内裏様が天皇陛下のお姿に似せたのであれば、お雛様の右側にいらしても、「左が上座」の原則とは無関係なのでしょう。

さて、「流し雛」なる言葉があり、今でもこうした風習を続けている地方があります。この場合の雛人形は、現在の私たちが大事に飾っている「お内裏様とお雛様」とは意味合いが異なるようです。この風習では、節句の終わりに和紙などで作った人形で体を撫でたり、息を吹きかけたりして罪・穢(けがれ)を託し、川や海へ流すという祓いの意味があったということです。雛祭りの終わりに、こうした雛人形を送ることは、そうした意義を伝えているもののようです。この風習は六月と十二月の大祓(おおはらい)の風習とよく似ており、私たち日本人が大切にしてきたものを伝えているように思います。雛祭りは、桃の節句ともいわれますが、桃は古くから悪鬼などを祓う力があると信じられていたとも言われていますので、「流し雛」の元来の意義と関係が深いようです。

お雛様に関してのその他の話として、お雛様を飾らないとお雛様が泣いているということも言われます。お雛様に「こころ」や「たましい」を考えてのことだと思いますが、私もそう思えてなりません。また、お雛様を雛祭りの後、いつまでも出しておくと娘が嫁に行けなくなるという言い伝えも聞いたことがありますが、この出典はわかりませんでした。

 

春分の日 

春のお彼岸のお中日が春分の日です。

春分とは、二十四節気のひとつ。二月の中気。太陽の黄経が0度になる時をいいます。春の彼岸の中日で、太陽暦では三月二十一日頃となります。この日、太陽は真東から出て真西に沈みます。昼夜は同時間になる計算になりますが、光の屈折現象のため、昼間の方がやや長くなります。

春分の日は、春分にあたり、春分をたたえ、生物をいつくしむ日。戦前は春期皇霊祭の名称の祝祭日であった。(以上、『大辞林』より。一部改訳)

『神道のしきたりと心得』の「彼岸」から引用します。彼岸とは、仏教用語で煩悩の世界を離れて仏の涅槃の世界に行くことを彼岸にわたると言うそうです。春分の日、秋分の日を中日に前後各三日の七日間を彼岸といいます。一般にお寺参りや墓参りの日とされ、仏教の影響が強く現れています。しかし、そこには仏教渡来以前からの日本古来の祖霊信仰が深く息づいています。

春期皇霊祭は、明治国家祭祀の中では、宮中三殿・神嘉殿で行われる恒例祭祀のひとつ。その大祭の中に春期皇霊祭が含まれています。皇室祭祀の祭日に準拠した祝祭日制度を通して国民に浸透していくことになったと言うことです。

春分の日、春のお彼岸を調べていきますと、二十四節気のひとつというのはよくわかりましたし、小学校の理科でも習いました。しかし、その内容は、仏教の影響と神道が入り交じっていて、書籍による解釈は難しいと思いました。こういったときには、祖父母・両親から受け継いだことが大事だと思います。私はおばあちゃん子でしたが、幼いときからお彼岸には、おばあちゃんとお墓参りにいきました。そのおばあちゃんが亡くなってからも、おばあちゃんがお参りしていたお墓には、ずいぶん長い間、お墓参りに行っていました。