1875年12月4日 リルケは月足らずの「七月子」ででプラハに生まれた。※1
二週間後、聖ハインリヒ教会で洗礼を受け、
「ルネ・カール・ヴィルヘルム・ヨハン・ヨーゼフ・マリア・リルケ(René Karl Wilhelm Johann Josef Maria Rilke)」と命名された。

 ルネ・カール・ヴィルヘルム・ヨハン・ヨーゼフ・マリア がファーストネーム(なお、ドイツ人の名前では、英米のようなセカンドネームという概念はないそうだ。)
 この長ったらしいファーストネームが気になったので、それぞれの由来を探ってみた。

「カール」は祖父の弟の名(ファーストネーム)に合致する。
「ヨハン」は祖父・曾祖父の名に、
「ヨーゼフ」は父及び曾祖父の名前に通ずる。
「ヴィルヘルム」
  リルケの祖父が結婚した女性(リルケの祖母)のファーストネームがヴィルヘルミーネなので、「ヴィルヘルム」はこの関係かもしれない。なお、この祖母は大変勝ち気な女性で「何事も遠慮会釈なく、バリバリとやりぬかねば承知できないたち」で、リルケの母はかなり厳しくこの姑からやり込められたと記述がある。(※2)
「マリア」
 七代ほど遡った先祖(女性)及び、曾祖父の妻にその名前が認められる。(同上) 
 洗礼名としての「マリア」は、一般的に人気が高いという話でもあるので、神の民の肢として洗礼を受けるにふさわしい幼児洗礼名にこの名前を加えたのだろう。「カトリックの家庭では聖母マリアの名を男児につけるのもさして珍しいことではな」いのだそうだ。※3

 第1ファーストネーム「ルネ」については、リルケの母ゾフィヤ(通称 フィア)の希望(ルネ王(roi René)への敬慕)が反映していると思われる。

 プラハの名家の出であるゾフィヤの父は帝室顧問官を勤めた人物であり、ゾフィアは随分そのことをいつまでも誇りにしていたそうだ。(反面、夫は彼女にとって失意の対象であったという。)
 なお、ルネ王(roi René)とは15世紀にプロヴァンス伯ルネ・ダンジューで、ナポリ王(1434-80)にも就いき、「善良王」とも呼ばれていた人物と思える。
 この母ゾフィアの出自に対するプライドと夫への失意が、リルケにあたえた影響の深さを思わずにはいられない。

 ちなみに、ゾフィアの夫、すなわち、リルケの父、ヨーゼフ・リルケは、咽喉の疾患で軍隊退役後、彼の兄である州議会議員のコネツテで国営鉄道会社に入社。
 その後地方小都市の駅長などを勤め、最終的には天下り?で民間?鉄道の検査官として現役を終え年金生活に入った。
 気位の高く、夫の甲斐性に落胆したフィアと夫ヨーゼフ・リルケとは結婚十二年後、別居するに至る。リルケ10歳の出来事だった。
 ゾフィアがリルケを伴って家を去った後、虚弱であったリルケは士官養成学校に入れられる。
 
 前後するが、リルケが幼い頃、母の好みで女の子の恰好をさせられていたことはつとに有名な挿話である。リルケ出生の前年、誕生まもなく夭折した娘を求めるように、リルケに人形をあたえ、女の子の恰好をさせた母は、愚かにもリルケから性を奪ったのだ。
 
 リルケは「1894年12月4日附けで、かのヴァレリーにあてた重要な手紙のなかで、リルケは母親が彼になんらの愛情ももっていなかったことを明言したうえ、たうえ、彼女を『快楽に渇えている憫れむべき女』と呼・・・」んでいる。(※4)

 彼の父母には共通する点があった。
 貴族願望である。(とくに母のセレブ願望は濃厚だったようだ)
 父母の旧弊で根強い階級意識はリルケを捉えた。
 彼は自らが貴族の末裔だと強く信じていたようだ。 
 この価値観は「マルテの日記」を始め詩作品に色濃く反映していると私は考えている。
 いずれにせよ、リルケもまた不幸の子であった。

なお、父とリルケとの関係は良好であったようだ。(良好であったというより、父は母のようにリルケに干渉することがなく、むしろ疎遠であったがために、リルケは父に彼好みの幻想を付与したとも思われる。
 リルケは1906年父の死に捧げるように当時ベストセラーとなったという『旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌』決定稿を上梓する。リルケは、彼と違ってダンディな若い頃の父の肖像を愛し、あこがれ、貴族への奇妙な幻想をさらに強めたように思われる。)

 1897年5月、リルケはミュンヘンで彼の生涯を通じて深い影響をもたらすこととなるルー・アンドレアス=ザロメと出会った。
 ルー36歳、リルケ21歳である。ルーにとってリルケは子供のような年齢だったが、「愛の技巧に長じた情熱的な青年」「リルケの抒情的攻撃にルーはついに抵抗することができなくなった。」
 かくして親密になったルーとリルケであるが、母のようにリルケに接したルーは、リルケのファーストネーム「ルネ」が女性を連想するので、これを好まず、リルケをからかった。
 このことからリルケは、「ルネ」を「ライナー」に改め、以後、ルネを用いることはなかった。(※5)


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※1 リルケの娘 ルートも七月子として生まれた、と解説する評伝があるが、ぼくはリルケができちゃった婚をしたと邪推している。
※2  星野慎一「若きリルケ」
※3 ノーラ・ヴィーデンブルック「リルケ 人と詩人」
※4 アンジェロス「リルケ」富士川英郎・菅野昭正訳  
※5 「ルー・ザロメ」(白井健三郎)
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□■ リルケノート 001 ■□   [リルケの名前]