| 図書名 | 私 人 ―ノーベル賞受賞講演 |
| 著 者 | ヨシフ・ブロツキイ 沼野 充義 訳 |
| 発行年月 | 1996.11 |
| 出版社名 | 群像社 |
| 目 次 | 1987年ノーベル文学賞受賞講演 訳注 ・ 解説 ------------------------------------------------ 「詩を書く者が詩を書くのは、何よりもまず、詩作が意識や、思考、世界 感覚の巨大な加速器だからです。 この加速を一度体験した人間は、その体験を繰り返し味わうことをもはや 止めることができず、この過程の虜となって行きます。 それはちょうど、麻薬やアルコールに溺れて行くようなものでしょう。」 「もしも芸術が何かを教えてくれるとすれば(それはまず第一に、芸術家 自身に教えてくれるということですが)、それはまさに、人間存在の私的性格 でしょう。 芸術はもっとも古い、そしてもっとも本来的な意味で私的活動の形態で あるがゆえに、どう転んでも結局、自分が個別で、独自な、二つとない存在 であるという感覚を持つように人間を鼓舞し、人間を社会的動物から個人へ 変身させるのです。 多くのものは、他人と分かち合うことができます。 パンも、寝床も、恋人でさえも。 しかし、例えば、ライナー・マリアーリルケの詩を他人と分かち合うことはで きません。 芸術全般、特に文学、そしてとりわけ詩は人間に一対一で話しかけ、仲介者 ぬきで人間と直接の関係を結びます。だからこそ芸術全般、特に文学、そして とりわけ詩は、全人類の幸福を熱烈に擁護する者や、大衆の支配者、歴史的 必然の宣伝者たちに嫌われるのです。 なぜならば、芸術が通り過ぎ、詩が読まれた後に、彼らは期待していた 合意と一致の代わ りに冷淡と不一致を、そして行動への決意の代わりに 無頓着と嫌悪を見出すからです。 言葉を換えて言えば、全人類の幸福の熱烈な擁護者や大衆の支配者 たちが小さなゼロたちを操ってやろうとたくらんでいるとき、芸術はそのゼロたち の中に「ピリオド、ピリオド、コンマ、マイナス」と記号を書き込んで、 ゼロの一つ一つを、常に魅力的ではないにしても、ともかく人間らしい顔に 変えてしまうのです。」 |
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