第35回定期演奏会曲目解説
本文へジャンプ 2010年6月3日 

歌劇「イーゴリ公」序曲 [A. P. Borodin, 1833-1887]

ボロディンによる「イーゴリ公」はロシア国民楽派を代表する歌劇で、その音楽は「だったん人の踊り」がよく知られています(原題はポーロヴェッツ人の踊り)。踊りは劇中でポーロヴェッツの頭領がイーゴリ公をもてなす宴の場面です。本日演奏する「序曲」には劇全体から選りすぐりの叙事詩が流れています。

劇の時代は12世紀のルーシ(西南ロシア、キエフ公国)。村落が遊牧民ポーロヴェッツに襲われ、焼け落ちた暗い闇を表すような序奏から音楽は始まります。決起するルーシ軍に不吉な予兆を感じる妃ヤロスラーヴナの制止を振り切ってイーゴリ公は遠征に発ちます。夫を案じる妃の思い。敵軍来襲を暗示する響き。一方ポーロヴェッツ陣営で捕虜となったイーゴリ公が自らの境遇を嘆き、妻への愛を歌うアリアは2通りのメロディーで表れます。 広大なステップ(草原)を駆け抜けるポーロヴェッツの騎馬や、イーゴリ公の息子ウラディーミルとポーロヴェッツ頭領コンチャーク汗の娘コンチャコーヴナの恋の情景も織り込みながら、敵陣を脱出し帰還したイーゴリ公率いるルーシ軍の力強い再出発までが描かれています。

なお、著名な化学者だったボロディンは本業に忙しく、この歌劇は彼が世を去るまでの18年間かかっても完成せず、序曲もリムスキー=コルサコフの弟子、グラズノフが書き上げたものです。
(Ob. S.M)

交響曲第9番変ホ長調 作品70 [D. D. Shostakovich, 1906-1975]

旧ソビエト連邦を代表する作曲家であるショスタコーヴィチの真骨頂は、交響曲・弦楽四重奏曲・協奏曲などに発揮されています。かつてのソ連時代が“現代”から“歴史”へと移りつつある今、ショスタコーヴィチの評価は以前に増して高まり、作品の演奏機会も多くなってきています。

小規模で軽妙洒脱な交響曲第9番は、1945年の終戦直後に作曲されました。曲はそれぞれ個性の明確な5つの短い楽章から成っており、奇数楽章はテンポが速く軽快で、偶数楽章は緩やかで陰鬱です。3・4・5楽章は続けて演奏されます。印象的な独奏が多いのがこの曲の大きな魅力のひとつで、第1楽章のピッコロやヴァイオリン、第2・3楽章のクラリネット、第3楽章のトランペット、第4・5楽章のファゴットなどは聴き所(演奏者にとっては腕のみせ所!)です。

文句なしに聴いて楽しいショスタコの第9ですが、とにかく演奏が難しい!!本日は、多少のスリルと共にこの曲の魅力を味わっていただけるとうれしいです。
(Fg M.K.)

交響曲第3番イ短調「スコットランド」 作品56 [F. Mendelssohn, 1809-1847]

本日のプログラムの表紙を飾りますのは、スコットランドはエディンバラにある、ホリールード寺院跡です。1127年に建立され、廃墟となった後現在まで同じ地に残るこの史跡を、若きメンデルスゾーンが訪れたことから、この交響曲は誕生しました。

1829年7月30日の夕刻、スコットランド旅行中であった二十歳のメンデルスゾーンは、このホリールード寺院跡を訪れます。彼自身が家族に送った手紙によると、当時、寺院跡は既に廃墟と化し、草や蔦が生い茂り、屋根のあるべき場所からは明るい空が見えていたそうです。そんな風景から、彼は交響曲の着想を得、その場で即席の五線譜を作って最初の16小節(ヴァイオリンによる斉奏の直前までに当たります)、を書き留めました

しかし、その後ほどなく多忙のため作曲は中断、結局全曲の完成は1842年1月となりました。出版順により第3番と呼ばれていますが、実際にはこれが彼が最後に完成させた交響曲となります。初演は1842年3月3日に、彼自身の指揮で、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により行われました。

ところで、この曲の大きな特徴の一つに、「全楽章を切れ目なく続けて演奏する」点が挙げられます。音楽用語で「アタッカ」と呼ばれるこの手法は、楽章同士の統一性を出す等の効果がある反面、初めて聴く際には「今、何楽章?」という事態が起こりかねないのですが、この交響曲の場合は各楽章の終止が明確なため、楽章の変わり目が比較的分かりやすいと思われます。哀愁に満ちた第1楽章、牧歌的な第2楽章、葬送行進曲風とも評される第3楽章、戦闘的な主題から勝利のコーダへと続く第4楽章、さてそれぞれどこで切り替わるか? そんな境目探しも楽しみながらお聴き頂ければ幸いです。
(Vn Y.U.)