第35回定期演奏会曲目解説
本文へジャンプ 2007年5月26日 

歌劇『シチリア島の夕べの祈り』序曲  [G. Verdi, 1813-1901]

ヨーロッパの支配が神聖ローマ帝国からローマ教皇派に移り始めた頃の1282年3月30日、シチリアのフランス支配に対して首都パレルモの市民が一斉蜂起した史実「シチリア島の晩祷事件」が、この曲の題材です。

ヴェルディは、イタリアの先輩作曲家ドニゼッティの未完の遺作歌劇「アルバ公爵」の台本から、寛大なフランス総督モンフォルテと前シチリア王の妹エレーナ公女、その恋人アッリーゴ、そして革命家プロチダらの織り成す、相矛盾する感情を盛り込んだ壮大なアンサンブルを構築しました。この劇は何と、婚礼の鐘を合図とする殺戮場面で幕切れとなります。

序曲はパレルモ市民とフランス兵の周囲に流れる緊迫感を暗示する序奏に続き、復讐を秘めたエレーナのアリアや総督が息子への想いを歌う美しいアリアのテーマを織り込みながら激しく切迫した主部が展開されるシンフォニックな構成です。
(Ob. S.M)

バレエ組曲『ガイーヌ』より  [A. Khachaturian, 1903-1978]

『剣の舞』で有名なハチャトゥリアンは、旧ソ連3大作曲家の1人です。劇場音楽の他、交響曲・ピアノ曲・弦楽器曲と多数作曲しており、先月末死去した同じ旧ソ連出身のロストロポービッチには『チェロコンチェルトラプソディー』を献呈しました。なんとハチャトゥリアン自身は20歳から、年下に混じって初めて本格的な音楽の勉強を始めました。が、「若くない」という理由でチェロ専攻に配属され、練習し過ぎで手を痛め、作曲に転向したとのこと。本当に人生何があるか分かりません。

「ガイーヌ」は女性主人公の名前で、3つのバレエ組曲から抜粋されたこの6曲は、当然全て“踊りの曲”です。“踊れる”演奏に仕上げる為の三原先生の苦闘は、まことに涙ぐましいものでした。本日の演奏会でむくわれますように!

ところでハチャトゥリアンは、若い頃からひどい胃潰瘍に苦しみ、おかゆをすすって作曲に没頭。頑固な彼は劇場やオケとのバトルの末、ガイーヌを何回も公演の度に不本意ながら書き直しました。ある時、急遽やむを得ず、一晩の徹夜で書き上げた『剣の舞』が世界的に一人歩きし、本人は嬉しさと悲しさ半分。「早実の斉藤投手」=『ハンカチ』みたいに、「ハチャトゥリアン」=『剣の舞』と言われると不機嫌だったそうで。(例えが悪いか)

今回、彼特有の執拗なまでのリズムが、弦楽器・管楽器・打楽器にこれでもか、これでもか、と現れます。『剣の舞』の他、あまり演奏される機会のない珍しい5曲も楽しんで下さいね。
(Vc. A.I)

交響曲第4番 ニ短調 Op.120  [R. Schumann, 1810-1856]

出版社を経営し、また文化人であったシューマンの父は、息子に音楽の才能を認め、ウェーバーに師事させようと交渉していた矢先に亡くなりました。シューマンは、母の意向にしたがってライプツィヒやハイデルベルグの大学にすすみ法律を学びますが、音楽への思いを抑えきれず、ヴァイオリニストのパガニーニの演奏に出合ったこともあって、ピアノのパガニーニになることを目指します。けれども指を痛めて断念し、作曲家を志しました。その頃から音楽の評論も手掛け、後年ブラームスを見いだし世に紹介したことはよく知られています。

「第四番」は、シューマンの「交響曲の年」といわれる1841年に「第一番」の次に作曲され、’51年「第三番」(ライン)の作曲後に改訂されました。4つの楽章が途切れることなく続くという特色をもち、改訂当初は「交響的幻想曲」と名づけられています。

妻クララの日記(’41年5月31日)には、前日から彼が作曲を始めた様子と、創作中の彼よりも作品を見せてもらえる自分の方が幸せだろうと期待のこもる心情が綴られています。この初稿は9月9日に仕上げられ、同月13日クララへ誕生祝いとして贈られました。今日は、クララ76歳の昇天の日でもあります。彼女が感じたでしょう幸せを、皆さまと共に感じられたらと思います。
(Perc Y.S.)