第35回定期演奏会曲目解説
本文へジャンプ 2006年7月2日 

歌劇「ウィリアム・テル」序曲 (G.A.Rossini)

ウィリアム・テルといえば、息子のアタマにりんごを乗せて矢で打ち抜いた、というのが一般的なイメージかと思われます。一体何の酔狂でそんなマネをしたのか今まで知らなかったのですが、実はこの方、スイスを独立に導いた英雄だったらしい。

そもそも、ことの起こりはその街を治めていた悪代官が「オレの帽子にお辞儀しろ」というとんでもないおふれを出したこと。当然テルは頭を下げず、罰として息子の頭の上のリンゴを矢で射るか・死ぬかの二者択一(この選択肢ってどうなんでしょう?)を迫られ、これを見事打ち抜き、ついでに悪代官も倒してめでたしめでたし、というのが歌劇のあらすじです。ロッシーニ37歳、歌劇としては最後の作です。

歌劇のエッセンスを抽出したこの序曲は4部構成となっており、続けて演奏されます。日本では第4部の行進曲が有名で演奏される機会も多いのですが、全曲通して演奏されることは少ないようです。

  1. 夜明け : チェロによる美しく物悲しげな序奏
  2. 嵐 : 遠くから雷鳴がとどろき、やがて全ての楽器で演奏される暴風雨となる
  3. 牧歌 : 一転、静かな中、コールアングレとフルートによる牧童の笛がきこえてくる
  4. スイス独立軍の行進 :  トランペットの勇壮かつ華やかなファンファーレで始まる軽快なマーチ
この曲、最初のチェロ独奏もかなり難関ですし、マーチでは弦楽器の飛ばしが超絶技巧的に難しく、金管のファンファーレも有名なだけにごまかしがきかず、各楽器でミョーに緊張させられる部分があるのですが、ウチの業界(某木管楽器)でもかなりの難曲として知られております。 というのは、この楽器にしては使われる音域が低いこと、かつ、細かなアルペジオに装飾音が付加されリズムがとりにくいこと、後半に「どう聴いてもこりゃ拍がずれてんじゃねーか」という音形があること、しかも、こんなに苦労してるのにメロディーではないっっ!!難しいオケ曲は数あれど、そんな、とても悲しい宿命を背負った大ソロはこの曲の他にはないと思われるのでございます。

・・一説にはオケに災いを呼ぶとも言われるこの曲、本日の出来はいかがでしょうか?

(Fl. S.O)

バレエ組曲「眠りの森の美女」(P.I.Tschaikowsky)

チャイコフスキーの三大バレエの2番目に位置する「眠りの森の美女」は1889年にペテルブルグの帝室マリンスキー劇場・監督官であるウセヴォロジスキーの依頼により作曲されました。このバレエのストーリーは、「魔法使いのカラボスによって100年間の眠りについたオーロラ姫が、デジーレ王子の口づけによって目覚め、王子と結婚する。」という内容です。

今回演奏する組曲は、チャイコフスキー自身が選んだ以下の5曲で構成されています。

第1曲 序奏とリラの精  (プロローグ)
最初に魔法使いカラボスのテーマが強烈に流れ、やがてリラの精のテーマがイングリッシュ・ホルンによって静かに流れます。 

第2曲 アダージョ  (第1幕)
求婚者である4人の王子たちに支えられてオーロラ姫が踊り、王子たちからバラの花束を受け取る場面で流れる曲です。このためにバラのアダージョとも呼ばれます。 

第3曲 パ・ド・カラクテール  (第3幕)
城の広間で行われるオーロラ姫とデジーレ王子の結婚式、童話のキャラクターがお祝に来て、長靴をはいた猫と白猫が踊ります。 

第4曲 パノラマ  (第2幕)
ハープと管楽器の伴奏に乗ってヴァイオリンが美しいメロディーを奏でるこの曲は、デジーレ王子が真珠貝の船に乗ってオーロラ姫が眠る城に向かう場面で流れます。 

第5曲 ワルツ  (第1幕)
この組曲の中では最もよく知られた、なじみのある曲です。オーロラ姫の誕生日を祝う盛大な宴を舞台に若者たちが踊る場面で流れます。 

・・・さて、我々の演奏は果たして100年の眠りから覚めるほどの素晴らしいものとなるでしょうか?

(Vn. S.T)

ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 Op.70

正直、この曲の解説を、と言われても困る。誰もが知っている名作ではない。余り演奏する機会もないので、個人的な思い出もない。良い曲だ。筆者としてはドボルザークの交響曲の中で1番好きだ。しかし8番、9番「新世界」に比べれば完成度は劣る。曲の成立経緯も、特異な経歴の作曲者本人に比べ地味に過ぎ、ネタになりそうなエピソードは無い。

この曲の次に書かれた8番は「イギリス」と呼ばれ親しまれている。その理由は楽譜の出版元がイギリスの出版社になったからだ。実際にはロンドンのフィルハーモニー協会からの依頼に基づいて作曲された7番の方こそ「イギリス」と付されるには相応しい。だが、そんな事情とは無関係に聴衆は8番に「イギリス」という語のロマンチックなイメージを重ね合わせてしまう。

7番の注文を受けたときドボルザークは齢40過ぎ。ようやく国際的に名前が知られるようになって来たところへ舞い込んだ大仕事。

事業が軌道に乗り始めた町工場の社長にとって初の大口受注とでも言えば分かりやすい。となれば、ドボルザークは、ようやく訪れた脚光に感慨を覚えつつ、持てる全ての技量を駆使しクライアントの満足を勝ち取ろうと努めただろう。

残念ながらそういう仕事では私小説的な要素は極力排除されるだろう。私事を語っている場合ではない。可能な限り、ドボルザークという個人を知らぬ者にとっても十分説得力ある仕事でなくてはならないのだから。この曲を聴いていると、どうにもそんな妄想を持ってしまうのである。

作曲に先立ちブラームスの交響曲3番の初演に立ち会ったということもあって、この曲には随所にブラームスの作品を思わせるような技巧が凝らされている。いわゆる"「国民楽派」の(それ故民族色溢れた叙情的な作風の)作曲家の作品"ではない。手堅く緊密で構成的。正統なロマン派の(要するに当時国際的な標準仕様の)交響曲となっている。

これに比べれば8番や9番など遥かに単純/平易である。正しく持てる技量の粋を凝らしたと言えば聞こえが良いが、所詮は「力み」であるかもしれない。複雑な音の綴れ織りはむしろ聴衆に明解な印象を与えることを拒む。洗練された技巧は重い音の奔流に埋め込まれ、その響きは暗い情念のうねりを思わせる。

しかし、後世はこの曲に酷く誤解を招く解釈を与えて来たのではないか。誰もが、後に8番や9番を書くことになる作曲家の作品として7番を演奏しようとする。スラブ的で叙情的、時に情熱の余り形式を踏み超える、あるいは「泥臭い」というレッテル。だが、この曲でドボルザークはむしろ逆のことを志向していた筈だ。国際的な洗練された作風の作曲家として認められること。

と、ここまで書いて来たことは所詮妄想である。もっとも、当時のドボルザークの年齢に達してみると、若い頃には見えなかったものが見えて来た気がする。オジさんはオジさんに共感する。だから、かなり確信に近いのだが、どうだろう?

(Hr. N.S)