第35回定期演奏会曲目解説
本文へジャンプ 2006年2月11日 

「エグモント」序曲 ヘ短調 Op.84 (L.V.Beethoven)

1810年、ウィーン宮廷歌劇場で初演されたゲーテの戯曲「エグモント」には10曲の劇付随音楽があり、その中の序曲です。実在したラモラル・エグモント伯はネーデルランド(後のオランダとベルギーの一部)の独立につくした英雄で、彼の名を冠した庭園、像、そしてベルギービールの銘柄と、市民に親しまれている人です。フランスの対スペイン戦争で軍功をあげ、祖国での新教の普及とネーデルランドの独立を志したエグモント伯は、スペイン軍に反抗し反逆罪で捕らえられ、1568年にブリュッセルで処刑されるのですが、これが契機となりネーデルランドは独立へと歩み出すことになります。

ゲーテの戯曲では、身を挺して捕われのエグモントを救い出そうとしてかなわず、自ら毒をあおいで命を絶ってしまう恋人クレールヒェンが創造されています。処刑直前のエグモント伯の前に、その幻影が自由の女神として現れ、彼の勇気と正義を祝福します。目覚めたエグモント伯は、自分の死は無駄ではないと強い足どりで断頭台へと向かう。というストーリーです。

お聴きいただく序曲は3つの部分から成ります。序奏は宿命的な運命、民衆の叫びをオーケストラ全体が強奏し、のちの悲劇を予感させる管楽器による主題で始まります。中間部では圧迫と恐怖、エグモントの強い信念、クレールヒェンの純真な愛などが繰り返し表現されます。ピアニシモで静かになった後、最後に長調に転じて現れるのは、エグモントの志やネーデルランドの独立を暗示している輝かしい勝利の行進曲と言えましょう。

悲劇に終る英雄のストーリーではありますが、同じベートーベンの歌劇「フィデリオ」で、獄中の夫を救い出すレオノーレにも通じる力強い女性像は、ここでもベートーベンの心を捕えていたのかもしれません。

(Ob. S.M)

管弦楽組曲「絵のような風景」(G.C.Massenet)

マスネは1842年(天保13年)に生まれ1912年(大正元年)に没したフランスの作曲家。弱冠11歳でパリ音楽院に入学した天才。20歳の時にローマ大賞を受賞、後に母校の教授となりシャルパンティエなどを育てるなど教育界にも貢献しています。また、普仏戦争に従軍するなど激動の時代を生きた人です。

代表作は「マノン」「タイス」などのオペラであり、当時のフランスでは他を寄せ付けない人気を誇っていました。優雅に繊細な感傷をうたい、色彩感に富む作風の持ち主で、他の作曲家が彼のことを「我々の音楽の宝石箱の中で、マスネが最も輝かしいダイアモンドの一つであることは疑いない」(サン=サーンス)「私らと同世代の作曲家のうち、いちばん心から愛された人であった」(ドビュッシー)「フランスのあらゆる音楽家は、みな、その心の中にいくらかのマスネを持っている-ちょうど、イタリア人なら誰もがヴェルディやプッチーニのかけらを持っているように」(プーランク)と評しています。

本日演奏する「絵のような風景」は7曲ある管弦楽組曲の第4番。南フランスの農村風景を音画として描いたものです。皆様にはマスネが頭の中でどのような絵を描いていたのか想像しながら聴いて頂きましょう。なお、以下各曲の紹介は筆者の勝手な想像です。

【第1曲:行進曲】
農民たちが農作業に向かう様子なのか、朝もやの中、善男善女が教会に急ぐ様子なのか、農村ののどかな風景が想像される。

【第2曲:舞踊曲】
なんとなくあか抜けしない農村の娘たちの踊り。歳がくると無理やり踊りに参加させられ無表情でだらしなく踊っている娘やそれを見て和やかに談笑している大人たちの様子が想像される。

【第3曲:晩鐘】
夕焼けを背景とした夕べの祈りの様子。ミレーの「晩鐘」のような風景が想像される。

【第4曲:ジプシーの祭り】
ジプシーたちのにぎやかな祭りの様子がポロネーズ調で表現されている。年に一度のお祭り。着飾った男女たちが大声でワインを酌み交わしている風景が想像される。
(Vla. T.S)

ブラームス 交響曲第2番 ニ長調Op.73(J.Brahms)

我が港北区民響がこの交響曲を取り上げるのは12年振り。12年と言えば干支が丁度一回りするわけで前回演奏した当時(会場は港北公会堂)が世の中“戌年”で今年も戌年。当時10歳の人は22歳に!そして当時40歳の人は52歳というわけで、12年も経てば人間、山あり谷ありでさぞかし演奏してても趣に変化が出てもよさそうなものですが・・・ 果たして、残念ながらほとんど心境に変化はありませんでした。私事で恐縮ですが、その間家族の一員が二人も(父と祖母)亡くなり、いよいよ人生のはかなさやせつなさをこのブラームスの佳曲に託そうと張り切っておりましたが、音程の取り辛い2楽章、テンポが速くなるとやたらアンサンブルが乱れる3楽章、プロでも嫌がる4楽章・・・ 何しろ「ワビ」「サビ」どころでなく難しいのです。12年振りに『ブラ2』の難しさを再認識した というのが本音でしょう。

交響曲第2番は1877年、ブラームス44歳の頃の作品です。ブラームスを語る上で必ず引き合いに出される交響曲第1番の「生みの苦しさ」(何と1番を完成させるのに発案から完成まで20余年という歳月が流れます)から比べれば、2番のほうは半年足らずで完成させています。で、誤解をしてはいけないのは短期間に完成させたから単純か?と言えば前述の通りなのです。

第1楽章は低弦のD-嬰C-Dで冒頭に奏される動機がとても重要で、この楽章の最後までそのモティーフで支配され、又チェロとビオラで奏される美しい主題がとても印象的です。

第2楽章はチェロがいきなりブラームスらしい大きな主題を朗々と歌いその後バイオリンや管楽器に主題が引き継がれます。

第3楽章はオーボエによる素朴でまた何処となくうら寂しい歌が弦のピッチカートを伴奏に歌われます。中間部の弦のコミカルな動きに注目です。

第4楽章はユニゾンで奏される息の長い主題から始まり、一旦静まると『芸術は爆発だ!』と突然歓喜が炸裂するかの如く、ブラームスとしては珍しいほどの喜びと自信に満ちた音楽を繰り広げます。

(Vc. T.T)