第35回定期演奏会曲目解説
本文へジャンプ 2008年6月22日 

スメタナ/交響詩「モルダウ」

数年前「黄金の都」プラハを再訪した夏、ヴルタヴァ川(独語でモルダウ)にかかるカレル橋でプラハ城の彼方に沈む夕陽のあまりの美しさに涙した私の脳裏に流れた曲は、もちろん「ヴルタヴァ」でした。この曲はチェコのボヘミア出身のスメタナが音楽で愛する祖国を賛美しようと考え作曲した6曲からなる交響詩「わが祖国」の第2曲目です。

作曲家自身による解説は『暖かい水源と冷たい水源から流れ出し、せせらぎながら合流して森の狩猟や、婚礼を祝う農民の踊りの場を通る。夜は銀色の月光に照らされ水の精が舞い、過去の栄光を誇る城や岩でせばめられた谷を通り泡立ちながら聖ヨハネの急流に突進する。やがて川幅は広がり堂々とプラハへ流れ込む。その岸辺にはヴィシェフラト城がそびえている。ざわめきながら永遠の流れは彼方に去る』となっています。

本日の演奏で彼の意図がどれだけうまく表現できるか・・・各パートの音が絡まり合い一つの大きな流れとなり、皆様の頭にヴルタヴァ川の風景が浮かんできたら完璧なのですが。

聴覚を失い、晩年は精神の病におかされて60年の障害を閉じた彼の命日の5月12日に毎年プラハの春音楽祭「わが祖国」全曲演奏で開幕します。スメタナ像はカレル橋のそばでそんなプラハの街とヴルタヴァの流れを静かに見守っています。世界各地で演奏される自分の曲にテレたりニガ笑いしながら?・・・
(Vn. Y. Tachibana)

ガブリエル・フォーレ/ドリー組曲

ガブリエル・フォーレは1845年南仏ピレネー山脈のパミエで生まれ、1924年にパリで没したフランスの作曲家。地味な作風だが古典的な輪郭の中に独特の響と叙情的な旋律でクラシックファンには人気がある。

9歳でパリの<古典と宗教の音楽学校>に授業料免除の寄宿生となり、サンサーンスから幅広い教育を受けた。卒業後は母校の教授、パリ音楽院の作曲科教授、同院長を歴任し、晩年難聴になり退職するまでその任にあった。

同時代の作曲科にはチャイコフスキー(1840生)ドボルザーク(1841生)グリーク(1843生)リムスキーコルサコフ(1844生)らがいるから比較してみるもの面白いだろう。

今日演奏する「ドリー組曲」は後にドビュッシーと結婚するバルダック婦人とその娘ドリーのために作られたピアノ連弾曲で、後にアンリ・ラボーが管弦楽に編曲したもの。元曲はピアノ連弾曲として貴重なレパートリーとなっており、子供のおさらい会からプロの演奏会まで幅広く音楽界のプログラムを飾っている。

子供が弾くことを意識して作られているせいか譜面上は一見単純に見えるが、個性的な和音の響き、決して派手ではないが大胆な音の動きを持った名曲。オケ版ではラボーの巧みな編曲が名曲に彩りを添えている。

余談だが、この曲はNHK-FMで平日の朝7時15分からの番組「名曲プロムナード」のテーマ音楽に使われているので、耳なじみの人の多いだろう。

ベートーヴェン/交響曲第7番 イ短調

港北区民交響楽団第18回定期演奏会最後を飾ります曲は、作曲家として最も有名なベートーヴェンの交響曲第7番です。交響曲第5番「運命」や第6番「田園」などの作曲により、名実とともにウィーンを代表する大作曲家として多忙な日々を送っていたこの時代は、ナポレオンがヨーロッパ全土を席巻し1809年にはウィーンはフランス軍によって占領されるなど喧噪を極めたときでありました。

そうした落ち着きのないウィーンでベートーヴェンは、名作ピアノ協奏曲第5番「皇帝」「エグモント序曲」など多くの傑作を書き続け、このような時期におけるベートーヴェンのたくましい力が、自信をもって表出されたものといえます。

この曲は1812年に完成されたと伝えられており、この年は、チャイコフスキーが序曲「1812年」を作曲している様に、ナポレオンがロシアに侵攻してモスクワで大敗した年でもありました。そして、1813年にウィーン大学の講堂で開かれた「戦争傷病者のための慈善演奏会」でベートーヴェン自身の指揮によって初演され大成功に終わり、アンコールで第2楽章を演奏したほど、熱狂的に迎えられました。

皆様ご存じのワーグナーが「舞踏の聖化」と評した様に、全曲にわたってリズミカルであり、人間の生命の源泉である心臓の動き、脈拍を思わすリズムの多様な変化によって推し進められる全曲の迫力は、交響曲の中でも独特の魅力をもっていると言えます。