第35回定期演奏会曲目解説
本文へジャンプ 2005年4月2日 

ブラームス/大学祝典序曲 作品80

祝典序曲と言えば輝かしいトランペットのファンファーレで始まる華麗なショスタコーヴィチの祝典序曲、これしかないと以前から勝手に思い続けてきた。この偏見に満ちた個人的なものさしで測るとブラームスの大学祝典序曲は完全に不合格である。ところがこの曲、なかなかファンが多いのは何故だろうか?

スコアの解説に依ると大学祝典序曲はブラームスがドイツのブレスラウ大学から名誉博士の称号を受けた礼に書いたものだそうだ。四つの学生歌を継ぎ合わせ、自作の主題も加えて作ったブラームスにしては珍しい、楽しく陽気な曲だと言う。

ところで解説の中には嬉しくなる記述を発見した。ブラームスはこの序曲の命名に際し、祝典序曲以外の名前をつけようとあれこれ悩んだ挙句アイディアが湧かず、仕方なく大学祝典序曲という名前にしたと言う。これはやはり祝典序曲ではないのである。

祝典序曲と思って聞くとがっかりするが別の曲だと思えば確かにいい曲である。大先生ブラームスも私と同じ疑問を持ったのだ、にも関わらず命名と言う最後の段階で妥協してしまったのである。命名がうまく行けば私も含めさらに多くのファンが得られただろうに。

Trp. Y.S

モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第3番

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聴くたびに私は子供の頃を思い出します。・・・自転車に楽器をくくりつけヴァイオリンの先生の所に行き、何度も何度も弾き直しさせられた記憶・・・。40年近くたった今もこのいっぱい書き込みをいれられた楽譜を大事に使っています。でも不思議とモーツァルトの曲は、何回弾いても、何回聴いても清清しい魅力があると思うのですが、最近はヴァイオリニストはもっと高度で派手な曲を好むためでしょうか、演奏会でもヴァイオリン協奏曲だけは比較的とり上げられる機会が少ないようです。

1775年モーツァルトは19才の時にザルツブルグで5曲ものヴァイオリン協奏曲をたて続けに作曲しましたが、その中でも後半の3,4,5番が特に親しまれています。今回の第3番の協奏曲は簡潔な中に当時の華やかなパリ風の香りをとり入れた若々しい曲です。

ディベルティメントを思わせる第1楽章アレグロで始まり、第2楽章のアダージョは特に優しく美しいと私は思うのですが、弱音器をつけた弦楽器の伴奏に乗って甘美にソロが歌います。第3楽章は軽快なリズムのロンドの旋律の間に、ト短調のアンダンテの部分と、ストラスブルク地方の民謡からとったといわれるト長調のアレグレットが挿入され変化をつけています。

それでは皆様と共に、独奏される天満さんの美しいヴァイオリンの音色を楽しみましょう。

Vn. A.S

ブラームス/交響曲第4番

ブラームスの4つの交響曲の冒頭の気分には、学生の頃から私は四季を当てはめて考えると言う偏見を持っている。つまり、厳格な第1番は冬、ほのぼのとした第2番は春、豪放な第3番は夏、そしてヴァイオリンがむせび泣く憂愁の気分に満ちた第4番は、やはり落ち葉の舞い散る晩秋にふさわしい。

今回、この曲の解説を、唯一出番のないパートの私が書くことになったのは何かの巡りあわせと考え、楽器編成を中心に書いてみたい。

ブラームスは、ほとんど駄作を書かなかったことから、「十割打者」に例えられることがあるが、彼は「楽器使い」の面でもまさしく「十割打者」であった。フル・オーケストラの曲を見る限り、ブラームスが無駄な使い方やつまらぬ使い方をしたパートは、ただのひとつもない。ブラームスにとってのオーケストラは、世の中が大編成の方向に向かっていたにも関わらず、弦五部・二管編成の木管・ホルン・トランペット・ティンパニが基本セットで、不必要な「大盤振るまい」からは無縁であった。

しかし、金管低音にしろ、他の打楽器にしろ、彼がひとたび使おうと決心した楽器は、必ずその楽器の持ち味が出るように熟慮した。(ヴィオラや木管の2番など目立ちにくいパートの扱いがうまいのも定評がある。)この交響曲でも、終楽章のパッサカリアにはこの楽章しか出番のないトロンボーンのために心にくいばかりのコラールが用意されている。また第3楽章は、他の交響曲ではティンパニすら使わなかったのに、この曲ではピッコロやトライアングルといった「笛や鐘」(失礼)さえ入れて、お祭り的な賑やかさをだしている。特にトライアングルは、古今この楽器をこれほど効果的に使った傑作は例を見ず、この楽章を「トライアングル楽章」と呼んでも過言ではないだろう。

それにしても第4番はそれまでの曲に比べたら懐古的で、第2楽章のクラリネットのくすんだ響きなどには、最晩年の五重奏曲につながるものが感じられる。

Tub. S.N