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平成8年5月4日 横浜ラポールにて


白河先生に指揮をお願いして三年目になりましたが、これまで練習以外で接する機会はほとんどなく、先生の事をあまり存じあげませんでした。そこで先日、先生ご自身の事や港北区民オケの印象についてお話を伺いました。

先生が音楽の道を歩もうと決心なさったのはいつ頃で、そのきっかけは何でしたか

白河:もともと父は音楽教師で兄も姉も音楽大学に進んでいたんです。その中で僕自身は英才教育を受けず、むしろ音楽をするなんて女々しいもんだと思っていたんだ。ところが高2の時、当時東京芸大でトロンボ−ンを専攻していた兄が帰省してきてその姿を見て、何ていうかなあ。カッコイイというか音楽をやる人が素敵に見えたんですね。丁度多感な時期で音楽もいいものだと思いはじめていたんだなあ。

その後、東京芸大のファゴット科に進まれたんですね

白河:当時、ファゴット科は入るのがそれほど難しくなかったから。(一同爆笑)とりあえず入ってみようという感じで…。

指揮者になられたきっかけは

白河:高校生の時に指揮をやらされてそれが少しだけ様になっていたのかなあ。その時に自分でもいつかはこんなこともやってみたいなあと思ったんですね。

港北区民オケを振ろうと思われたのは

白河:実は中村さんから電話をもらったときは、ものすごくうれしかったんです。指揮の仕事から離れて、慣れない(?)大学の仕事しばらくやっていて、ストレスからなのか体調をくずして入院したんです。そして退院の二日後に電話があって…。その時「ああ、僕はまだやれるんだ」という気持ちが湧いてきましたね。入院中は本当に気弱になっていたからなあ。

港北区民オケの印象は

白河:まじめというか音の並びがきちんと揃っているということですね。前の指揮者の方が、きちんと形を作られている。ただ僕は音楽は生きたもの。生きた音を出さないと相手に伝わらないと思うんです。その意味で港北オケの人達はちょっと消極的というか、表現しているつもりで表現できていないと思いました。

練習中はどのような事に気を配っていらっしゃいますか

白河:細かい事をくどくど言わないことかなあ。あまり教えてもらえない事が、逆にみなさんの危機感を煽っていると思いますが(笑)それがまた良い演奏につながっていくと思います。港北オケのみなさんの音楽の表現の幅も広がってきていると思います。

「教えすぎ」にこだわるところが教育者である白河先生らしいですね

白河:これはあまり人には言っていないことなんですけど。以前から大学の付属幼稚園で週に一度、子供たちに歌のレッスンをしているんですよ。英才教育なんて程遠くて音楽と戯れているという感じかな。ところが一年もすると子供たちは急成長をしていて、簡単なオペレッタができるくらいになってしまうんです。

ヘエー!(信じられないという感じで)

白河:子供たちに遊びながら音楽に触れさせて、そしてそれを表現させる機会を与えるのはとても大切な事だと思うんです。将来の日本のためにもね。

先生のご趣味は

白河:今はマウンテンバイクかな。浅草やら六本木やら東京中あちこち出かけるんです。車と違って世の中のながれが肌で感じられるのがいいですね。もう一つは服です。お金がないからほとんどウィンドウショッピングですけど。

家ではどんなお父さんでしょうか

白河:妻と大学生の娘、あと犬(雌)が一匹いるんですが、もう完全にバカにされていますね。(笑)父親の権威なし。家の中にいるときも、外にいるときと全く変わらないと言われていますよ。

本日はお忙しい中、ありがとうございました。

白河:こちらこそ。どうもありがとう。




 常に自分を飾ることなく、ありのままでいらっしゃる白河先生。なごやかな雰囲気の中予定の時間はあっという間に経ってしまいました。白河先生ありがとうございました。

ポコ・ア・ポコ第13号(1996年5月19日発行)より収録


Last update:Mar.03 2005
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