ご無沙汰しています。
クリスマス及び新年のウラジオ式迎え方の紹介です。
残念ながら私が向こうにいた時にはクリスマスの日は特にイベントはありませんでしたね。
せいぜいシャンペンを飲むぐらいでしょうか。
ロシアのクリスマスは、ロシア正教カレンダーにより1月7日です。
この日は祝日で休みですが、特に人を呼んでパーティーを開くなどということはやりませんでした。もしかすると、敬虔な信者の家庭は祝ったかもしれませんがあいにく我が家は軍人一家だったのでそういう楽しいことはやりませんでした。
しかしです!新年は別ですよ!
まず、ウラジオでは31日の昼まで働きます。その後、女性も男性も家事に追われます。女性は料理の準備、男性は買出しや家の細かな修理にいそしみます。ツリーは町で売られますし(約2mの高さ)その年によってはツリーは買わずにツリーの枝を3本ほど花瓶に飾りそれにツリー用の飾りを付ける場合もあります。絨毯が汚れることは一切気にせずツリーや花瓶の真下に必ずモミの木の小枝を敷きます。ここに後述するサンタタロースの人形やら子供たちへのプレゼントを置きます。このツリーの飾りつけは遅くとも30日には終わらせますが、日本の様に早々と飾りだすなどということはありません。(よく11月から飾っているところもありますよね。まあ日本の場合、クリスマスの後すぐ正月が来ますからしかたないかな。)町の中央公園にはタイガ(永久凍土の森林地帯)が近いので軍のヘリで立派なモミの木をぶら下げて運んできます。このツリーをどんなに立派に飾り立てるかがその時の市長の力量の目安となるようです。また各企業が31日にそこで働く従業員の子供たちに新年のプレゼントを配る光景も見ました。主に菓子の詰め合わせが多いようです。驚いたのは夫の父が勤める軍関係の事務所で杏奈にもプレゼントをよこしたことでした。普通、従業員の孫にまでプレゼントをよこす雇用主なんて考えられませんよね。これにはびっくりしましたね。(腐っても鯛か、なんちゃって。)そういえば物不足の1992年にはボーナスを出せない代わりに新年を祝うシャンぺンだの肉だの現物支給もありましたね。現金がなくて新年のシャンペンを買えないことはロシア人にとっていわゆる年も越せない状況なのです。なぜかウオッカではなくシャンぺンですが。なかなかサンタクロースまで話が行き着けません。書いている内に枝葉が分かれてそこに話の花が咲いてしまうもので。
さて、新年の料理ですがスープ類は作りません。ザクースカという前菜が主です。例えばにしんのサラダや塩漬けキュウリ、ハムだのサラミ、といった冷たい料理です。にこごり風冷菓を作る時はさすがに30日から作り始めるようです。温かい料理はシベリア風水鮫子やキャベツやトマトを長時間煮込んだ煮込み、必ずじゃがいもを添えます。デザートはケーキを3種ほどと果物ですか。なにしろどれも大量、多種類作ります。主婦ひとりでは大変なので親戚など数家族が集まる時は31日の昼からどこかの家庭に集まりわいわい料理を主婦たちが作ります。これを7時ぐらいまでに作り終え、男たちは酒の買いだしに行きます。これまた半端な量ではありません。例え、一家族4人で新年を迎えるとしても最低、ウオッカ1ダース、シャンペン半ダース、ジュース半ダース、ビール2ダース、コニャック数本、ワイン1ダースは貫います。というのも31日から1日にかけては近所の人々やら友人やらがとっかえひっかえ現れて一杯二杯とひっかけて出たり入ったりするからです。私たち夫婦もー晩中友人宅を順番に襲い新年を迎えたことがありました。まだ香奈が生まれる前でしたけどね。そんなこんなで酒も料理もひと段落したら−杯はじめる人もいればパーティー前に一眠りとそれぞれ思い思いに時間を過ごします。そして、22時ごろ。テーブルセッティングを始め、準備開始。招いた客やら親戚やら近所の−人暮らしのお年寄りやらが集まり始め、まず軽くウオッカで一杯。四方山話をしていると24時10分前になるとモスクワ放送をテレビで見ます。大統領の演説があり、来年から公共料金を減額するとかバス代を高くするとかしないとか今後の方針が語られ皆、唖然としたり喜んだりするのです。そしていよいよモスクワ赤の広場にあるスパスカヤ塔の大時計が24:00を告げる1分前、全員のグラスにシャンペンを注ぎ固唾を飲みます。時計が新年を告げると一斉に「ウラー!」と叫び乾杯、です。これがすごい。冬だから二重窓で外の音は聞こえないはずなのにこの叫び声がそこかしこからきこえるんです。死んだ者以外全員がこの放送を聞いて乾杯しているからでしょうね。ここらへんがやはり腐っても社会主義国家ソビエトなのでしょう。などと感慨耽る間もなくシャンペンからいきなりウオッカヘスイッチ。一杯乾杯ごとに今年の抱負やら戯言を言ってはまた乾杯。外では軍が花火を打ち上げるは(私時々思ったんですけどあれは実は花火じゃなくって高射砲じゃないかしらと。)若者達が自前の花火を打ち鳴らすは大騒ぎ。ですから22時までしっかり睡眠をとっておかないとすぐダウンする羽目になります。
ところで、31日から1日にかけて国営バスは一晩中無料でバスを走らせます。まず年寄りと赤ん坊以外は誰も寝ませんね。というより寝かせてくれません。さて家の中では祝宴が続きますが我々若者はあんまり食べたり飲んだりしているとかえって疲れるのでひと段落つくと散歩に出かけます。といっても1時頃からかな。中央広場に行くと天然氷で造られた氷の造形や氷の滑り台、スケートリンク(これも天然)などがありトナカイはいないが馬がいたり去年なんぞはアルタ顔負けの巨大スクリーンが設置されモスクワだのの新年の風景を映していました。広場から少し離れると市場がある広場に高いポールをツリーに見立て、てっぺんから何十本もの色とりどりのリボンをぶらさげてありそのリボンを子供達が手に持ちポールの周りをぐるぐる回ります。するとポールにリボンがからみつき美しい造形物の出来上がり。その側に本物のツリーが立っていてそこに所謂サンタクロースが孫娘と立っているわけです。このサンタクロース、赤い服を着ている時もあれば青い服を着ている時もある。手には長い杖を持ち白ひげです。ロシア語で「ジェッド・マローズ」直訳すると極寒じいさん。別にプレゼントの袋はかついでいませんね。そのじいさんの側にいるのがじいさんとペアの「スネグーラチカ」直訳すると雪娘なり。金髪の長い髪、青い眼、青いロングドレスを着ています。最近の雪娘は多少色気が出てきて時々ミニスカートになったりしますが。
基本はロングドレス、髪飾りはあのアフガンの青のモスクに良く似た尖塔風の冠ですね。このじいさんと娘は新年のお祝いを言う以外特に何する訳でもなくただ笑って立っているだけです。さて家に戻ると新年になった途端、遠い親戚やら友人から電報や電話ラッシュです。1日も朝9時頃になるとさすがに皆疲れが出てきて仮眠をとります。この後がまた怖い。夕方になるとまた元気回復。残ったメンバーで残った料埋をつまみ今度は乾杯なんかしないでひたすら呑むのです。のん兵衛にはたまらないロシアの正月事情でした。
以上です。
英