明神ヶ岳〜明星ヶ岳  2001年3月11日(日)

 約3ヶ月ぶりの山行だった。花粉真っ盛りに杉並木の下を歩くのは勇気?が要る。薬も飲んでいるので、体調も心配だ。・・・しかし、「道了尊」で知られる最乗寺の石段をいくつか登りながらも余り苦しくならないのでほっとした。

 地図でみれば殆ど急登もなく、ゆるやかな道が続くはず。明神ヶ岳までコースタイムで2時間30分ほど。・・・リーダーは女性のS氏。とても優しくて親切なので、ファンも多い。はじめに急ぐと後が辛くなってしまうから、とゆっくりだったので、本当に楽に歩けた。ゆっくり歩いているはずなのに、昭文社のコースタイムより早かった。まさに「遠足コース」。お奨めである。

 途中リフトの鉄塔跡あたりから雪が残っており、コースが平坦になって右に曲がる、山頂間近の地点までは、一部雪の上を歩く。しかし、アイゼンは無くても歩ける程度。

 山頂はなんと雪が舞い始め、風も少しあって、寒い。別の団体が場所を空けてくれて、そこで昼食。この団体とはこのあといろいろあって・・・。
 風が冷たく、おにぎりを持つ手が凍りつきそうだ。みんなも食べ終わるとそそくさと立ち上がって、「寒いから、もう行こう!」と約25分で出発。明星ヶ岳へ向かう。

 この稜線は見晴らしもよく、これから向かう道が1本の線となって見渡せる。歩き出すとまた暖かくなり、着込んだ上着を脱ぐ。「楽しいハイキングだね!」の声があがる。右下には箱根の街。湯煙も上がっていて風情がある。

 大分歩いて明星ヶ岳もあと30分くらいか、という地点で前方に集団発見。のぼり坂のちょうど踊り場状の地形のところで休んでいるようだ。
 「さっきの集団じゃない?」「違うよ、だって20分以上も前に出たんだから、いくら何でももう(宮城野へ)降りたんじゃないの。」・・・行ってみれば何と!やっぱりさっきの団体だった。「あれ、さっきも会いましたね!」「まあ。」

 実はさっき、頂上でこんな会話が。
「これから明星へ行って、帰りに新しく出来たきれいな温泉に入るんですよ! 目の前に富士山がド〜ンと見えていいんだから。」
「へえ、どこの温泉ですか?」
「ダメ、教えてあげない。大勢来ると混雑するから!」
・・・けち!こんなことで出し惜しみなんかして。

 しかも私たちを見て、リ―ダーと思しき、かなり年配のオバサマが一言。「う〜ん、私たちよりちょっと若いくらいかしらね!」・・・そんな訳ないでしょ!「ずっと」若いんだから!
「全く見え張りで、可愛くないよね!」などと、散々コケにしながら歩いてきたので、「ちょっと」年長の皆様がまだ明星に登っていないと分かって、私たちは苦笑しきり。かの集団は大慌てで明星に向かった。

 ここから明星は目の前。暫く休んで写真など撮ってから我々も山頂へ。・・・山頂間近で当然あの集団とすれ違う。今度はわれわれから聞いてみた。「どこの山岳会?」「どこからですか?」・・・「○○県。」「サミットって言うのよ。」(サミット???)「何人の会員?」「30人よ。1mから6000mまで登るのよ。」とのたまわった。

 「おい、聞いたか、summit(頂上)だって!何が1mから6000mだ!」の声があがる。何だか可笑しくて笑ってしまった。別に会員が多いから、歴史が古いから”偉い”などとは毛頭思わないが、何だか妙に気取っているような返答で可笑しくて可笑しくて。それに意地?なのか。私たちには「どこの山岳会?」とは聞かなかった。聞かざあ言ってきかせやしょう・・・とも思ったが、言わぬが花。あとは自信満々のサミットさんを、下り1時間のコースで抜いて行くだけだ。

 うちの会は別名「おりよう(下ろう)」会。下りはなぜか速い速い!(本当は自慢にならないが。)案の状、ちょうど中間地点のしかも一番急なところで追いついた。18人の「サミット」を「ちょっと若い」16人が抜いていく。あちらにもきっと強烈な印象を残したことでしょう。(名はなのらずとも!)

 あとは「勘太郎の湯」(温泉会館はお風呂が小さいそうだ。)730円に入って箱根路の渋滞を夢うつつ?にバスの人となる。湯本へ降りればあとはスイスイ。温泉付きで楽しい山行だった。


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