雪の愛鷹山  2001年3月31日

 朝から冷たい雨。駅まで歩く間にみぞれになり、雪になった。いきなりの寒波。もう桜も開いているのに・・・。こういう日は何だか気が重い。
 今日は愛鷹山。予定では北東側の登山口、田向から位牌岳〜呼子岳〜愛鷹山〜桃沢という縦走コース。新宿6:40出発だ。

 大型バスで東名道へ。もう大雪の様相を見せ始め、山での積雪はいかばかりか、と思いやられる。・・・当然リーダーは地図を広げ、携帯で情報を収集し、コース変更となる。

 選んだコースは沼津側から”愛鷹山”のみのピストン。水神(すいじん)社から伸びるコースを検討する。大型バスをゴルフ場入口で降りると冷たい雨に変わっている。・・・合羽を着、スパッツをつけても何だかその気になれない・・・。とにかく舗装道路を歩き出す。寒いなあ〜。

 30分で水神社へ。ここは昔、沼津在住のころ、一度行った記憶がある。地元では「水神(すいじん)さん」と親しまれている。赤いのぼりがなびくこの光景はやはり既視感がある。すごく懐かしい気分になった。小学生のときだから・・・本当に大昔のことだ。

 ここからまっすぐ登る予定が、悪天候と大人数のこともあって、等高線沿いの林道を行って、それから愛鷹山登山口から登ることになる。この冷たい雨で、まずは8人リタイア。

 この林道、行けども行けども先がある。・・・結局1時間30分も歩いてようやく登山口へ。出発から2時間経過。雨の中、お昼は立ち食い。・・・更に17名リタイア。みんなはまた雨の中、2時間かけてバスへ戻るのだ。行くも帰るも”ご苦労様!”

 登山口には上り2時間、とある。ようやく山道へ。笹が、雪の重みもあって覆い被さり、終始藪漕ぎを強いられた。しかし、道は分かりやすい。林道を2本横切って、高度計から、「もうすぐですよ!」と言ったものの、なかなか稜線が見えない。
 寒さでみんな無口だ。気圧の関係で、高度計がかなり狂っていて、1180mのはずが、私の高度計で1300mにもなっている。

 ようやく行く手が明るくなって、稜線に出た。このころは積雪10cmくらい。だんだん登山靴の底に泥ではなく雪が付くようになってきた。あたりが白く覆われてきて、浄化されていくように感じる。後一息ののぼりで、最後の石段を数段上がり、鳥居をくぐって、社のある広場を通過して左手に折れると、愛鷹山頂上。バンザイ!

<精鋭(物好き?ヤケクソ?)25名、銀世界での一枚>

山頂で小休止していると、一人の男性から、「あの、ホームページの○○さんですよね?ピアノをなさっているんですよね?」と思いがけず声をかけられる。
「指は大丈夫なんですか?」・・・「一応気をつけております。」
 だんだん知名度??が上がってきた事を実感する。

 毎度のことながら、下りは休憩もなく駆け下りる。コースタイム1時間30分を1時間ちょっとで下山。しかし、速いのはこれからだった。林道を歩いていると、どんどんみんなに抜かれ、離されて、とうとうビリに。

 何でみんなはこんなに林道歩きが速いのだろう!余りに遅れるとカーブの先でみんなが見えなくなるので、一生懸命にあるくが、やっぱり遅い。
 サブ・リーダーの優しいSさんが一緒に話をしながらゆっくり歩いてくれる。

しかし水神社までの90分は、吹雪?のなか、寒かった。ようやく水神社へついても、バスまではまだまだ。
ここからは地元の会員の方と話しながら降りてくるうちに、わが母校のある町内の方と判明し、思わず話が弾む。

 「一富士、まだありますよ。懐かしいでしょう。」・・・一富士とは学校の近所のS校生の溜まり場。卒業生もよく尋ねる場所だ。
 静岡は心の故郷。でも帰る家もなく、母校には恩師も既に無い今、訪ねれば「お帰り!」と温かく迎えてくれる場所、私が唯一学生時代に戻れる場所、それが一富士なのだ。

 バスももうすぐか、という地点で、リタイア組を率いて帰ってくれたSさんが傘をさして「おかえり!」と出迎えてくれた。嬉しかった。「よく頑張ったな。」には思わず「もう脚が痛い!」と言ってしまった。・・・長い長い林道はようやく終わった。手が(それなりの手袋をしていたものの)かじかんで、スパッツのボタンが外せない。「Sさん、外して。」と今日は大甘えに甘えてしまった。

 雪の中7時間、後半はほとんど休憩なしで、よくぞ歩いたものだ。
地図では柳沢から上がれば一番近いコースだった。でも仕方ない。

何より70歳を越えたリーダーが一番元気でシャカシャカ歩いているのだから!偉い!私も鍛えなおさないと。


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