石尾神社

石尾神社(本殿)

美馬市穴吹町古宮字平谷 2009年10月18日
北緯33度56分11秒 東経134度09分11秒 (WGS 84)


石尾神社は、神社そのものよりも露頭断崖・断崖亀裂・板状立石で有名な場所である。断崖にある神社、いったいどんな光景なのだろうか。興味を持ったので訪れてみることにした。




石尾神社へ向かうには国道492号線、県道259号線、林道杖立線と順に通ることになるが、途中、標識などはほとんどない。かろうじて県道259号線入口横のコンクリート壁面に、標識が埋め込まれているだけである。なお石尾神社への取り付きは、林道杖立線から脇道を200mほど入った場所となるが、この脇道は路面が荒れており、普通車で入るのはやめた方がいいだろう。

脇道終点には車を3〜4台停められそうな広場となっているが、民家の駐車場にもなっているようなので、方向転換用のスペースは空けて駐車すること。この広場の奥に「石尾神社」の取り付きを示す古い標識(右写真)があるので、それに従って山道を登っていく。


5分ほど登るとお堂が現れる。この日はすべての戸が閉まっていた。なおこのお堂の手前で山道が一時的に不明瞭になる。広場から山道を登ってきて平たい場所に出たら、左方向へ進むこと。そうすればこのお堂に着くだろう。

目的の石尾神社本殿は、このお堂の左側をさらに登っていく。


お堂からさらに登ること5分あまり、小さな鳥居があらわれた。ここからが石尾神社の境内になるのだろうか? 鳥居のすぐ先には人の背丈ほどの岩が2つ対峙して座っている。その岩の間が参道となっており、その先には狛犬と神燈が立っていた。

なお鳥居脇には2つの説明板が立っている。「石尾神社 露頭岩と板状列石」と「石尾神社のコウヤマキ群落」である。これから訪れる場所の説明なので、ぜひ読んでおきたい。以下にその説明文を載せておく。

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 穴吹町指定有形文化財
   石尾神社
 露頭岩と板状列石
     昭和62年3月11日指定

 神社の背後に並列する露頭断崖(だんがい)と前面の
緑泥片岩の板状列石とは、古代祭祀遺跡の「磐座(いわくら)」
と「磐境(いわさか)」とであろうと推定される。
 原始信仰の時代から、祭祀にようやく統一
的機運が見えはじめ、他へ変形移行しようと
する過程での神霊奉斎の場(磐境)として設
営されたものであろう。
 また、その形態や内容は阿波国独自の美意
識的表現であって、当時この地が高度の文化
性を持ち、その基盤となった深い信仰の積み
重ねを誇るもので貴重な遺構である。

穴吹町教育委員会
穴吹町文化財保護審議委員会
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 穴吹町指定天然記念物
 石尾神社のコウヤマキ群落
   平成十一年三月三十日指定

 種類 コウヤマキ群落
 本数 約四五本
 樹高 二四m
 幹周り 一、九m〜二、三m

 石尾神社 標高六八〇m一枚岩(広さ 約一〇〇m×五〇m
高さ二〇m〜三〇m)の上に約四五本のコウヤマキ群落がある
岩の上という乾燥の強い場所のため、地形的極相として極めて
特異で 貴重なコウヤマキ群生となったのであろう、これ程の
群落は極めて珍しい。

   穴吹町教育委員会
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鳥居をくぐり、狛犬さんの間を通り抜けると、すぐに左の写真のように「磐境 イワサカ イワクラ」の標識が現れる。標識の足元には確かに板状の岩が一列に帯状に立っている。
「なるほど、これが板状列石か。」
岩の高さは数十センチ前後であろうか。それが標識の前後30〜40mの区間に渡って一列に並べられていた。あきらかに人為的な構築物であろう。

標識からさらに列石に沿って歩いていく。倒木下をくぐった先にもまだ右の写真のような列石が立っている。こちらの方が、標識のあった場所のものよりやや大きいようだ。


「イワクラは確かにここだ。でもイワサカとはどこだろう?」
と思い返し、列石の周りを見渡すと、右側に岩に囲まれた奥へ続く道を見つけた。そこを覗くと左の写真のように2つの標識が立っている。

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金鶏の風穴
この穴は清水がありさらに進むと
金鶏の像があると伝えられる。
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方面の風穴
この地は剣山の前宮として拝し
参拝者の行場であった。
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標識に近づき、右側の「金鶏の風穴」というものを見てみる。見事な岩の裂け目である(右写真)。裂け目の幅は80cm程度であろうか。その裂け目が奥や上にずっと続いている。少し入ってみたが、暗くてなかなか不気味である。

県内には、このような岩の裂け目の有名な場所がいくつかあり、例えば神山町の立岩神社、高越山の行場などがある。しかし感覚的にはこの「金鶏の風穴」が一番神秘的である。奥に清水や金鶏の像があるとは思えないが、一種独特の雰囲気がある。石尾神社に来た際は忘れずに訪れたい。

一方「方面の風穴」がどこを指すのか判然とはしなかった。確かに「方面の風穴」の標識のある部分は両側に岩が対峙していたが、それが「方面の風穴」を指すのかどうかはわからなかった。


「方面の風穴」標識脇を進むと、すぐ先にお地蔵さんか何かを祀った跡のような場所となっている。さらに奥には大岩がいくつか重なった場所があり、その岩と岩の間に左のようなお地蔵さんが祀られていた。

もしかしたら、この場所付近がイワクラなのかもしれない。もちろん説明板に書いてあったように、石尾神社本殿がある露頭断崖付近がイワクラなのかもしれない。いずれにせよ私には判断のつけようがなかった。



さて先に進もう。いよいよ石尾神社の本殿である。鳥居のあった場所から5分足らずで右の写真のような露頭断崖が目の前に現れる。崖の高さは20〜30mほどあろうか。なかなかの迫力である。この崖の上がコウヤマキの群生地のようだ。

同じ崖を違う角度から撮影してみたのが左の写真である。この付近は、断崖の上がせり出しており、岩屋状となっているのがわかる。岩屋下には「雨乞の岩屋」の標識が立っている。昔の人々は、ここで雨乞いを行ったのであろうか?

なお断崖上へ行く途中には「岩上危険につき立入禁止」の標識がある。確かに崖の上から落ちたらひとたまりもないだろう。立ち入りは遠慮したい。


「雨乞の岩屋」から左側を見ると、左の写真、あるいは一番上のタイトル写真のように、石尾神社の本殿が建っている。建物自体は大きいものではないが、拝殿と本殿があり、本殿はまるで岩壁に食い込むように建っている。

なお「雨乞の岩屋」と本殿の間には太い葛が生えており目を惹く。まるで断崖の上に続く極太のロープのようであり、見事である。


本殿に近づき、建物の様子を見てみる。軒の彫り物や木鼻はかなり手が込んでいるのがわかった。きっと信仰の厚い神社であったのだろう。なお拝殿内の壁に「石尾本殿屋根葺替鳥居建立に付寄進者名表 昭和三十二年十一月三日」の木札がかけられていたので、少なくとも現在の本殿は昭和32年ごろには建っていたことになる。


最後に断崖の対面にある山の斜面を登って、石尾神社全体を見渡した様子が右の写真である。まさに断崖に建つ神社である。


以上で石尾神社の探訪記は終わりである。多くの人が訪れるような場所ではないが、巨石、特異地形などに興味がある人にとっては、たまらない場所だろう。個人的な感想としては「金鶏の風穴」が一番面白かった。なお石尾神社は「石堂はん」と呼ばれることもあるそうだ。

なお近くの喜来という場所には旗屋の窟と呼ばれる場所があるそうだ。名前からして洞くつのようだが、石尾神社で出会った地元の人に聞いてもわからなかった。

最後に「阿波名勝案内」再刊(編者 石毛賢之助 大正5年発行)書籍の、「石堂ハン」の説明を載せて終わりとしたい。

石堂ハン=金鷄風穴=頬面風穴
半平山平谷より杖立峠に登る山麓に石尾神社あり、土俗石堂ハンと稱す、
社の兩側に一大岩の屏立するあり、東西四十間南北一町高さ十五間、
此岩裂けて二ヶ處の洞穴あり、一を金鷄と呼び穴の奥に金鷄を藏すと傳ふ、
一は頬面風穴と稱し、いづれも土人によりて畏敬せらる。


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