コラム NO. 2

         中国残留日本人孤児の養父母を訪ねて

 
 皆様の貴いご献金が10万円に達し、1月3日長春に向かいました。長春に向かう飛行機から見下ろす大地は白く凍て付いて、地平線まで見渡す限り畑が広がり、無数の集落がありました。長春空港に着くと、まだボーデイング・ブリッジもなく、タラップから降りてそのままターミナルまで歩いて行かされました。気温は零下15度、それでもここ数日は暖かいのだそうです。初めて経験する寒さでした。面白いことはこれほど寒いと車はスリップしないのだそうで、普通のタイヤを履いていました。あまりにも寒いので雪も凍り付いて溶けず砂のようでした。
 私たちはまず市役所を訪れて、「中日友好楼」の場所を聞きました。古色蒼然たる市役所の秘書室で若くて体格のいいハンサムな秘書さんが「その件ならあの番組を担当したこちら側の人間を紹介します」と教えてくれました。 
 翌日、約束の場所にいくと、何とそれは共産党委員会のビルでした。こちらは御影石の美しい近代的なビルで、中は日本と変わりないモダンなオフイスでした。担当者は新聞部の部長の方で、これまた快活な男性でした。いろいろと連絡を取ってくださり「全員には会えないかもしれないが幾人かには会えるでしょう」と連れて行ってくださいました。
 中日友好楼は古いが立派な建物でした。NHKの番組では、養母さんたちは6人で、孤独に、日本に帰った子供たちの帰りを待ちわびているということでしたが、実際には一組のご夫婦がおられ、8家族9人でした。そしてそれぞれに中国人の子供さんたちがおられて世話を焼いていました。中には身よりもなく、会社も倒産して年金も受け取れない方もいると言うことでした。娘さんの一人が皆さんをまとめておられ、一軒一軒、案内してくださいました。私たちが行くと、まるでわが子が帰ってきたように喜んで、手を握ってくださり、良くはるばると訪ねてくださったとお礼を言われました。私たちも、何だか本当の子供であるかのように感じました。 
 皆さん優しくて、いかにも中国の老人と言ったおおらかな方々でした。私たちは終戦の混乱の中で、ひどい仕打ちをした敵の国の子供たちを育ててくださったことのお礼を述べて、一家族に1000元(約13000円)をお渡ししました。13000円と言っても、あちらの貨幣価値ではその10倍の価値はあります。
 幹部の話では、家賃は無料で、番組の中で家賃と言われていたのは実は暖房費のことでした。あの寒さでは確かに相当の暖房費は掛かるでしょう。年間1500〜2000元かかるということでした。私たちの献金はその一部にはなるでしょう。
 




幹部の方は私たちの訪問をひどく感激しておられ、その後、長春市の共産党の最高幹部に報告されたところやはり感動されたと言うことで、良かったと思いました。大変、感謝な旅でした。
 皆様の暖かいご献金確かにお届けしました。皆様の上に神の豊かな祝福がありますように。