荒野の声 NO.126


これから起こること-V

 ここまでは一応現実社会のことなので読者はついてこられたであろう。しかし、今回は現実社会と霊的社会(異次元)が交差する話になるのでかなり抵抗を感じられるかも知れない。それでも起こることは起こるので頭の片隅に留め置いて欲しい。
「キリストの再臨」というと一般の人にはそれこそ御伽噺と思われるだろう。それも無理もないことだと思う。しかし、キリスト教から再臨を取ってしまうと全く違った宗教になる。クリスチャンの中にも再臨を信じない人は多いが、その人々は私から言えばクリスチャンとは言いがたい。また、再臨が無かったら歴史はこの後ものんべんだらりと続いて、この世から正義も希望も消え去るだろう。ある時、人間社会に神が介入し全てを改めるというのがキリスト教の主要な教えである。その時、正義は確立し人間社会に究極の希望が現れる。
また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。Tテサロニケ3:13(新改訳)
見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。黙示録1:7
 20世紀初頭までは宇宙には始まりも終わりも無いと信じられてきた。しかし、20世紀にビッグバンの発見によって、宇宙はある時突然始まったということが証明された。そして、聖書は宇宙には終わりがあると書いてある。
愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。Uペテロ3:8〜13
 信じようと信じまいとこの通りになって行く。
 さて、再臨したキリストはこの地上で何をするのだろうか。聖書の幾つかの箇所を概観するとエルサレムでダビデの王座につき1000年間世界を治めるらしい。これを“千年王国”と呼ぶ。しかし、私はどうしてもこれが判らない。現実にどういう体でどう行動されるのか考えれば考えるほど判らなくなってくる。
 この千年王国の前、再臨の時、反キリストとその従者たちは地獄に落とされる。
なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。黙示録19:19〜21
ところがサタンそのものは不思議なことに一時的に幽閉されるだけなのである。
またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。黙示録20:1〜3
 この後、再びサタンは解放され反逆する。
千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。黙示録20:7〜11
 この時、何とあのゴクマゴクがもう一度現れる。ここをエゼキエル書のゴクマゴクと混同し,何が何だか判らなくなっているのが一般のクリスチャンである。しかし、エゼキエル書のゴクマゴクは「北の民」であるが、ここの場合は「地の四方にいる諸国民」となっている。エゼキエル書ではゴグについて次のように地域を限定している。
「言え。主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。38:3」
 このメセクはモスクワの語源、トバルはトボルスクの語源とされている。それでまた判らなくなる、エゼキエル書のゴクマゴクはロシアと東欧諸国だが、このゴクマゴクは世界中に散らばっているように見えるのだ。私が唯一考えられるのは、これは民族ではなく共産主義なのではないかということである。キリストの理想社会にも満足せず再びサタンの誘惑に乗り反逆する解放同盟とか自由主義連盟とかなのではなかろうか。しかし、本当に1000年も後に、そういう人間社会が存続しているのだろうか。そもそも1000年間もの間キリストが世界を支配するという気の遠くなるような話は私の知力を越えている。結局、再臨までは何とか頭の中で組み立てることが出来ても、その先は判らないというしかない。
 この点について、ある時、私は「判らせてください」と神に祈った。すると私は幻のうちに広い平野に立っていた。そして私の前には地平線の果てから果てまで、カーテンがかかっていた。「その先は知らなくていい」と神が言っているようだった。そんなわけで再臨以降は聖書からも神の啓示からも私には読み取ることは出来ない。この後、「最後の審判」が行われる。それも黙示録にあること以上には何も判らない。読者は御自分で読んでいただきたい。(黙示録20章)

 さて、ここまで我慢して読んでいただいたとして、それでも再臨なんて信じられないという方が多いと思う。もともと神の存在を信じられないのだから無理も無い。私の言う神の名は「存在する」なのだから皮肉である。ヤハウエ(エホバは誤訳)とはエヒエ・アシエ・エヒエ、「在りて有る者」、「私は存在する」という意味であり、英語ではI am that I am.とか単にI am. とか訳されている。
 それでも、そんな神は信じられないというだろうが、今、起こっていることはサタンの働きなのだから、サタンを信じたら神を信じないわけには行かないし、サタンを信じないなら結局何も判らなくなってしまうだろう。1771年5月1日にババリア(現在のドイツのバイエルン地方)のインゴルシュタットの洞窟で開かれた5人の会合に“Forth”(力)が現れたとアダム・ヴェイスハウプトは書いている。映画スターウオーズに出てきたForthである。そのForthとはサタンのことである。この壮大な陰謀、世界統一を企てている人々はその指示に従っている。もちろん彼らはサタンを信じている。提供する側がサタンを信じているのだから、それを受ける側も信じなければ意味が無い。要するに、今、起こっていることの背景には霊的な世界があるということなのである。逆に再臨は霊的世界が現実世界に介入するということなのだから判らない訳である。しかし、霊的世界と現実世界は極めて近くにあるのだ。キリスト教以外でも他の宗教、麻薬、修行などでこの霊的世界を見てくる人々もいる。もっとも彼らの見てくる霊的世界は悪魔的世界であるのだが。釈迦はスワスチカという麻薬でこの霊的世界を見たという。
 ではこのような敵に対して我々はどう対処したら良いのだろうか。アンチキリストが世界支配をする時、世界は完全に彼らの支配下に入り何も反撃できないのだろうか。バーコードを額に印刷され奴隷のように管理されるのだろうか。ジョージ・オーウエルの言う「1984」ような社会が実現するのだろうか。黙示録13章だけでは希望は無いように見える。しかし、何と14章ではキリストの側近中の側近の144000人の若者がイスラエル民族から選ばれ、それに続いて次のように書かれている。
わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。14:6〜7
 この中空を飛ぶ天使とは電波によるキリスト教の伝道と考えられる。もともと聖書の章節は後から付け加えたものであって、原書には無かったものである。ということは13章のアンチキリストの直後にこの文は書かれている。アンチキリストの支配する世界でキリスト教の伝道が行われていることになる。それも電波に限定されて、かなり活発に。
 アンチキリストの支配も世界全体を完全に管理できないのではないだろうか。人間の自由の精神はどんな圧制にも失われないのではないか。そしてゲリラやパルチザンのように地下組織として反抗するのではないか。共産中国は徹底的なキリスト教弾圧をしたが、今やクリスチャンの数は1億人とも伝えられる。地下教会は多くの犠牲を出しながら、むしろ圧倒的に成長している。最後の最後までキリストの福音は世界に伝えられる。恐らく地下テレビ局、ラジオ局が電波を出し続けるのだろう。サタンに占領された中世の教会の暗黒支配の逆にサタンそのものによる暗黒支配もほころびのある統治であろう。そして、自由を求める人間の精神は純化されてますます強くなって行く。何が真実なのか。何が永遠に続くものなのか。最終的に人間の精神が到達する終着点が見えてくるだろう。

追記
 アンチキリストの支配する暗黒社会(キリスト教の言う患難時代)は決して初めて人間が経験する悲劇的世界ではない。共産主義の興隆したソビエトや東欧諸国、毛沢東の中国、ポルポトのカンボジア、現在の北朝鮮などは、これ以上の患難などありえないほどのものであった。その一端を知りたければ徳間書店刊、在田実著「マルクスの超素顔」を読まれるといい。だからアンチキリストの世界を想像するのはソビエト、中国、北朝鮮などを総合すれば出来るだろう。それ以上のものではないだろう。

ビリー・グラハムとモルモン教

 ビリー・グラハムがロムニー候補をバックアップするためにモルモン教をカルトから外したので大問題になっている。一説にはモルモン教は福音的(純粋なキリスト教)だとさえ言ったという。一部では歴史的な大事件だともいう。私は2000年に出版した「人類の歴史は2026年に終わる」の中でビリー・グラハムがフリーメーソンだと書いている。これで私は全教会から危険人物とみなされるようになった。ビリー・グラハムとモルモン教は同じ穴の狢である。驚くことは無い。この件は再度取り上げる。