荒野の声 NO.120


ヘルタースケルター

 「ヘルタースケルター」という映画ができたそうだ。なにやら人騒がせな女の子が主演しているので話題になっている。私はこの映画に何の興味もないし、観ようとも思っていないが、ヘルタースケルターという言葉に注目するのだ。私の本に書いたことがあるのだが、どこに書いたか忘れてしまった。それで正確なことは言えないのだが、この言葉は特別な言葉なのだ。これは終わりの時に意図的にもたらされる大混乱である。監獄の扉は開放され凶悪犯が巷に出て暴れまわる。暴走族が暴れまわる。警察も軍隊も手を出さない。破壊と混乱が国を覆う。ビートルズのポール・マッカートニーがこの名の曲を作ったが、それはあのチャールズ・マンソンに多大の影響を与えたと言う。こんどの映画が何か関係があるとは思われないが、こういう言葉が現れること自体、非常に危険なことだ。日本語に訳せば「ひっちゃかめっちゃか」と言ったところか。

シェルブールと原発

 シェルブールと言うと、あの「シェルブールの雨傘」という映画と美しいテーマ曲を思い出すだろう。一時、大変なヒット曲となった。ところがこの映画は、実は恐ろしい核関連施設の事故を隠蔽する目的でつくられたのである。シェルブールはフランスの原発産業アレバの本拠地があるところである。ここには世界最大の使用済み核燃料再処理工場ラ・アークがある。ここで1980年4月15日重大な事故が起こった。この事件は広瀬 隆氏の「東京に原発を」に詳しく載っているので多くの方はすでにご存知だと思うが少し引用しよう。
 この日、この地域で大規模な停電が起こった。それはある巨大な工場を直撃した。
「この工場こそ、ほとんど全世界の原子力発電所で発電用に使われ、死の灰の塊と変った燃料を一手に引き受ける、恐怖のラ・アーグ再処理工場である。恐怖・・・・・・それは巨大原子炉の大事故、チャイナ・シンドロームさえ、足もとにもおよばないおそろしさ、すでにこの工場が抱えこんでしまった死の灰は、それが外にあふれ出たなら、この惑星の全生命が一瞬にして静止するであろう。」「その朝の時刻に、いきなり工場の電気がパタリと止まった。一斉に、すべての電気が切れたのである。工場内に、血の凍るような戦慄が走った。
 それはただの停電と呼ぶべきものではなかった。モーターの音が切れ、ポンプの回転を止め、ファンがゆっくり静止すると、電灯のあかりもなくなった建物は浅い静寂のなかに置かれてしまった。
 だがこの静寂は、人のまわりに観察された現象だ。
 高レベルの廃液は、ポンプで送り出される水によって冷却されていた。そのポンプが回転を止めると、廃液が自分で音を立てはじめた。液体のなかから湧き出てくる熱がどこへも伝えられず、次第に内部にこもってくる。
 この電源は、フランス全土に向けた高圧送電線のネットワークから送られていたもので、ちょうどこの工場に向かう一本に故障が起こった。しかしこのような事態は、当然予想されていた。
 主電源が切れると、ただちに電源スイッチが切り替えられ、非常時のために用意されていた自家発電が、轟然と音を立てて回りはじめた。工場のなかに灯りがともり、すべての機械が回復すると、モーターが再びうなり出し、ポンプが大量の水を送りはじめ、ファンが回り出した。
 高レベルの廃液は、早くもすでに冷却され、表面から立ちのぼる爆発性のガスがファンで外へ送り出された。工場内に走った緊張は、一瞬のうちに解かれたのである。
 そうこうするうちに、故障を起こした主電源もようやく修理が終り、もと通り、こちらが再び電気を送りはじめた。もはや、心配することは何もなかった。しかし、あろうことか、この修理が予期せぬ事態を招いたのである。 主電源が回復したのに、自家発電機のスイッチを切らなかった。
 自家発電機は相変わらず轟然たる音をたて、工場に電気を送り続けていた。その同じ回路に、もうひとつ、主電源からの電気が流れ込めば、どのような結果が引き起こされよう。あってはならないことだった。巨大な電圧が両方からドッと作用した。
 その結果、主電源のトランスが破壊され、おそろしい電圧を受け止めきれずに工場じゅうのあちこちで猛烈な火花が散ると、やがてその部分が火を噴きはじめ、遂に末期的な事態が襲いかかってきた。実際、電気の流れが至るところで切断されてしまったのである。
 そのため、自家発電機も完全にストップした。ラ・アーグ再処理工場は、このふたつ以外にお電気を送り込む術を持っていなかったが、そのふたつが同時に破壊されてしまった。
 すでにこのとき、全世界破滅の時限爆弾は秒読みに入っていた。」
「この工場火災は、危機一髪のところで大惨事(カタストロフィー)を免れたのである。
 不幸中の幸い、というべきことが三つあった。第一に、この工場から20キロという近い距離にフランス軍の兵器庫があり、偶然にも、そこに緊急発電装置があった。これを自動車に積み込んで工場まで運び、息せいて配線し終えたとき、まだ悪夢は起こっていなかったのである。それから一時間後には、廃液タンクの冷却が再びはじまり、沸騰していた溶液を辛うじてもとのように静まらせることができたのである。偶然の発電機の存在による幸運があった。
 第二に、この4月15日は、春の季節を迎えていた。名画『シェルノブールの雨傘』のもの悲しいラスト・シーンをご記憶の方は、このノルマンディー地方が冬には深い雪に覆われ、かじけるような寒さに見舞われることに思い当たるだろう。実際、二月でもあれば、人びとは冬着に身を包み、自動車で町を往還する。その自動車が山あいの道を楽に走れるようになるのは、ようやく雪が消え、春を迎えた四月のことである。この火災が、二月の厳冬期に起こっていたなら、トラックが山間の雪道を走りぬいて兵器庫から発電機を運び込むのに、どれほど手間どったか・・・・・・あるいは、到着しなかったのではないか、と報じられている。春四月の幸運だった。 」
 こうして想定外の危機はかろうじてまぬがれた。シェルブールはチェルノブイリやフクシマに勝る危機の地として人々の記憶に止められるはずだった。しかし、映画「シェルブールの雨傘」によって甘く切ないロマンチックな土地として覚えられるようになった。さすがフランスと言うべきか、見事な演出だった。
 しかし、我々は二つのことを覚えねばならない。一つは原子力とはかくも危険なエネルギーだと言うこと、二つ目は原子力エネルギーの利用には常に隠蔽が伴うことである。フクシマも多くの隠蔽があるという。また未だに原発の論議には、ごまかし隠蔽が横行している。我々はなんと危険で忌まわしい時代に生きることになったものだろう。それは一部の人々のあくなき欲望の代償である。これらのほんの一握りの人々によって人類は存亡の危機に立たされているのだ。

オスプレイとUFO

 オスプレイに対して非常に感情的な反対が沸き起こっている。しかし、オスプレイが特に危険な航空機だと私は思えない。航空機本来の危険性にわずかにマイナス面が大きいことは確かだが。
 オスプレイは人類の夢の航空機なのである。垂直離着陸の出来る航空機は航空機の可能性を飛躍的に高める。そのため多くの研究実験が行われてきた。その中でも私の印象に残っているのはコンベア XFY-1である。しかし、これは見ての通りパイロットははしごで上り下りしなければならないし、地上での移動は自力では出来ない。XFY-1は垂直離着陸および水平飛行への転換に成功した数少ない実験機であった。その他、沢山の実験機があるがいずれも成功しなかった。
 プロペラによる垂直離着陸の欠陥は水平飛行時のプロペラそのものの負担である。プロペラ先端の空気抵抗の関係で370km/h以上を出すことは出来なかった。それを克服したのがイギリスのホーカー・シドレー・ハリアーである。この機はジェットエンジンのノズルを変換することによって垂直水平飛行の併用を可能にした。
 そのため、イギリスの他に、アメリカ、スペイン、タイ(恐らくイスラエル)などでも採用されている。特に軽空母また小さなランウエイからの発着が可能だがジェットエンジンであるから無舗装の土地などからの離着陸は無理である。今でも各国で実戦配備されている。垂直離陸機(VITOL)の傑作機と言えよう。
 VITOLはナチスドイツでも研究された。しかし、ナチスドイツの驚異的な先進性をもってしても実現しなかった。なぜだろうか。
 実はナチスは究極の垂直離着陸機の開発に成功しているのである。これは飛鳥昭雄氏の本に詳しいので“信憑性に欠ける”と言われるかもしれないが、そんなことがあると面白いなと思うので想像力を駆使して考えている。
 ナチスはニコラ・テスラの研究に基づく“反重力”による飛行に成功したのである。地球は大きな磁石である。小学校の理科の実験でも分かるようにN極にN極を近づけると反発する。その性質を利用して自由自在に空間を飛行できるのだと言う。いわゆるUFOはこの原理に基づいているとしか思えない動きをすると報告されている。ナチスの開発した円盤型航空機にはこの原型があったという。アダムスキーの見たUFOはその初期のタイプである。しかし、そのプロジェクトはアメリカに押収され、その後全く隠蔽され、いわゆるエリア51(および南米)で開発研究された。ロズウエル事件はその実験機の墜落事故であった。アメリカはその事実を隠蔽するために宇宙人説を流した。アダムスキーはそのために利用された。これらのUFOは世界統一のための、地球への宇宙人の攻撃と言うフイクションのために大量に製造され、秘匿されていると私は見ている。
 考えてみるとライト兄弟が空を飛んでから100年以上、人類は翼による浮力での飛行だけを追及してきた。オスプレイはその究極の成果である。しかし、そこにはどうしても無理がある。また大量輸送のためには、もういい加減別の方法が研究されていいのに、長い滑走路を必要とする固定翼機が馬鹿の一つ覚えのように製造されている。我々はもっと便利でもっと安全な航空機を持てるのだが、全ては世界統一(+石油産業)のために隠蔽されているのだと私は思う。