荒野の声 NO.118


富士山直下の活断層の報道

 ここに来て富士山直下に活断層があるというニュースが流れている。妙な話だ。そんなことが今頃判ったというのか。とっくに知られていただろう。私は富士山噴火を信じたくは無いが、人為的な操作によって噴火させる可能性があるかも知れないと思っている。シスコの情報が正しければ未曾有の大惨事となる。東北の津波どころではない。では仮に何パーセントかの確率で起こるとして、どう対処するべきか。私に考えられるのは西日本に移住するか、それが出来ない場合は船を確保することだと思う。ある程度の大きさの船に食品などを積んで置くこと。そして緊急時に外洋に逃げる。それができたらいいと思う。普段はレジャーなり、仕事なりに使うことが出来れば最高だ。ローマ時代ポンペイでも船が最上の手段だった。もっともそんなことが起こるとは信じられずに焼け死んだものが多かったのだが。
 以下に本紙2011年7月3日の記事を再録する

富士山に注目せよ

 あるソースから聞き捨てならない話を聞いた。このソースは十分信頼できる人物でかなりひろい人脈を持っている。それは彼の友人からの情報で、今、富士山の一角でアメリカの企業が何かの工事をしていると言うのだ。そこに携わった日本人の工学博士が、その工事は富士山の噴火を引き起こす可能性があると指摘し、公表しようとすると、圧力がかけられ左遷されたと言う。それが何の工事かはわからないが、私は昔フリッツから聞いた話を思い出した。
 1980年にセント・へレンズ山が噴火したが、その前に膨大な量の火薬が貨車に詰まれてセント・へレンズ山に向けて運ばれるのを目撃した人からの情報があったというのだ。フリッツ自身信じられない様子だったが、とにかくそういう話があるというのだった。
 セント・へレンズ山の場合、事前に鳴動が観測され警戒警報も出ていたと記憶しているので、人工的な爆破とは考えにくいのだが、全く火のないところに煙は立たないから、もしかしたら本当のことかもしれない。富士山近辺でその種の話を聞いたら、ぜひお知らせいただきたい。
 またその他に、7月28〜29日に新幹線と地震の情報がある。このソースは○○○人らしく、これまでにも北海道の電車脱線、ある地震などを正確に予言しているという。無視できない情報だ。東日本の地震は日本が極秘裏にイランにプルトニウムを密輸していたことへの報復だと言う説があるが、イルミナティカードの地震や津波の予言が10年前だから違うのではないかと思う。ただし、3月10日にイスラエルの人間から日本に「地震はどうなった」と言う電話があったという話はかなり信憑性があるから、イスラエルが絡んでいることは間違いない。何しろ日本の原発の警備はイスラエルの企業に丸投げされている!と言うのだからもう何をかいわんやだ。原口氏によれば福島原発は8年前に安全装置が外されていたというし。

EUの危機

 ギリシャの経済危機に関連してEU全体の危機が叫ばれている。EUは終わりの時に“獣”と聖書に書かれている世界帝国の王が登場する舞台となると私は思っているし、多くのヨーロッパの牧師もそう思っているようだ。その観点から見てEUが消滅することはないと思う。こういう行き詰まりを解決する方法は一つしかない、戦争である。第三次世界大戦は間もなく必ず起こる。最近、イスラエルとイランが対立を緩めているがイランが核兵器の開発を止めたわけではない。一方でロシアにプーチンが帰ってきた。いよいよ舞台と配役は整ってきた。
 それにしても、またしても円高だ。ドルもユーロも信用できないという。では円は信用できるというわけなのか。日本は我々が考えている以上にすごい国なのだなあと思う。消費税だってヨーロッパの国々に比べれば10%以上低いのだ。野田総理はなんとしても消費税を引き上げると言っている。それ自体は仕方がないと思うが、何だか変だ。まるで誰かの脅迫にあっているかのように見えるのは私の偏見だろうか。相当な圧力ないしは惨事の脅迫が成されているのではないだろうか。

史上最悪のならず者国家

 中国が尖閣諸島近辺にガス田があると判った途端に自国の固有の領土だなどと言い出したのにはあきれたが、中国はまだ日本に実質的な災厄を与えたわけではない。無理やり日本を戦争に引きずり出し、挙句の果てに広島長崎で数十万人を殺害したり、東京にドーナツ状に焼夷弾を落として逃げられなくしてから皆殺しにした東京大空襲のような非道で凶悪な攻撃を行ったアメリカに比べれば幼子のようなものだ。アメリカは史上最悪のならず者国家である。
 本当は、これら全てはさらに上にある権力の意向に沿ったものなのだが、それにしてもそのような蛮行を受け入れた国民にも責任があると言わなければならない。アメリカの教会はそのような自国の罪に対して涙を持って祈らなければならないのに、むしろそれらの蛮行を助長することを祈ってきた。無知と無関心は犯罪である。間もなくこの国に神の裁きの鉄槌が下る。
 それにしても国家というものは邪悪なものだ。日本だって青年に自殺を強いる特攻隊、嘘を平然と流し続けた大本営発表、それを考えると、福島もどこまで信用していいのか。憮然とする。

○○○人とは誰か

 最近、日本の陰謀論者の中に、アシュケナジー=ハザール=偽○○○という説が勃興している。困ったものだ。物事はそんなに単純ではない。ハザール帝国は西のビザンチン、東のイスラムの間に挟まれて両者の源泉であるユダヤ教に国家的に改宗するという非常に珍しい歴史をたどっている。その後、滅亡して東欧に流れ込んだ。この時からアシュケナジー○○○人として迫害を受けた。それ以来、このアシュケナジーが○○○人の中心となり今日の繁栄を築いているという。
 一方でアフリカを経由してスペイン(スファラデウム)から中央ヨーロッパに流入したスファラデイ○○○は純粋なセム系であるとされ、現在のイスラエルではアシュケナジーに差別されて二級市民に地位にあるという。物事を何でも単純に割り切ろうとするのは日本人の特性だろうか。
 ハザール帝国が9世紀に○○○教に回収した時、○○○人は大量にハザールに移住した。それはそうだろう当時、至る所で迫害されていた○○○人にとって、そこは天国のように感じられたことだろうから。ここで大量の混血が起こっただろうし○○○の血統も温存されたであろう。そういうわけで、ハザールは白人系のヤペテ族だがアシュケナジー○○○が全てハザールとは言い切れない。一方でスファラデイが全て純粋な○○○とも言い切れないと思う。ハムの大地(アフリカ)を通り抜けてきたからにはハムの血統も流れ込んでいるのではないだろうか。
 そもそも○○○人とは純粋な民族なのか。○○○人の憧れるダビデ王は純粋な○○○の血統ではない。ダビデの曽祖父ボアズは異民族モアブの女ルツからオベデという子を持ち、さらにその子エッサイの子がダビデである。完全に血統的には異民族の血が流れている。それもモアブとはアブラハムの甥ロトの娘が父ロトからもらった子の子孫であって、非常に汚れた民族と見なされていた。そしてボアズ自身もその母方の家系にはエリコの遊女ラハブがいた。こうしてみると○○○人は純粋な民族という前提は崩れる。
 イエス自身も純粋な○○○人という表現を「信仰」に用いている。
その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。ヨハネ1:43〜48
 ナタナエルは誰にも知られずに密かにいちじくの木の下を祈りの場と定め、日毎に祈っていた。それをイエスに指摘され、驚いたのである。ここでイエスが「本当のイスラエル人である」と言ったのはその知られざる謙虚な信仰の姿勢に対してであって血統的な問題ではない。だから正真の○○○人=正真のセム系○○○と言うのは必ずしも正しくない。
 黙示録においてキリストはフィラデルフィアの教会(当時のアジア、現在のトルコにあった)に対してこう言っている。
見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。黙示録3:9
 この「○○○人と自称している」という箇所を現在のイスラエルに当てはめ、ハザール○○○のことを言っているというのは無理である。ここも信仰的な意味に取ることが出来る。
 ハザールについてはインターネットyahooサイトにも沢山の詳しい情報が載せられている。しかし、どこからどこまでが民族的に○○○人であるのか無いのかは実に難しい問題である。単純には割り切れない。神のみぞ知る問題なのだ。
 一方で日本人こそ純粋な○○○人だと主張する人々まで出てきている。日本人の中に失われた10部族の残滓があるかも知れないという説には一応うなずけるものの、日本人こそイスラエル12部族だという説に至っては返す言葉もない。どうぞご自由にとでも言おうか。○○○人問題とは基本的に聖書からだけ論ずる問題である。聖書も読まないで何を語るのか。