荒野の声 NO.106


黙示録がやってきた

地は全く砕け、地は裂け、地は激しく震い、地は酔いどれのようによろめき、仮小屋のようにゆり動く。そのとがはその上に重く、ついに倒れて再び起きあがることはない。イザヤ24:19〜20

 今回の震災津波は私の想像を越える出来事で、ただ呆然としていた。とりわけそれが人工的なものと確信していたので、怒りと悲しみは一層強かった。そして幾つかの疑問が沸いていた。
 まず、なぜ東北地方なのか、だった。もし日本をつぶそうと思うなら東京を狙えば良いではないか。なぜ純朴な東北地方の人々がこんな悲しいに目に会わなければならないのか。色々考えたが、津波の破壊力は三陸地方では最も激しいと思う。また過去に何回か同様の津波に襲われているから自然災害と区別がつかないだろう。また東京を狙えば、彼らの資産も被害を受けるだろう。かなりの投資がなされているはずだから。
 どこかのサイトでスマトラ沖地震と津波はこのためのリハーサルだったのではないかとあったが、私も同感だった。死者の数ははるかに大きいが世界的な影響力から行くと日本は比較にならないほど重大だ。
 また、こんなにも脆弱で、これほど危険な原発をなぜおし進めていたのか。広瀬隆氏の警告はその通りになってしまった。私の知人にあの京大の6人組の一人がいるのだが、今回の事故の最初から最大限の警戒を語っていた。
 なぜ、空母ロナルド・レーガンはタイミング良く仙台湾にいたのか。なぜ3月10日にイスラエルの人間から「日本の地震はどうだい」という電話が入ったのか。
 すでに多くの人々がこれらの疑問に取り組んでいる。人工地震、イルミナテイ、というような言葉が普通に話されるようになった。太田先生や私が叫んでいたときとは今昔の感がある。あまりにも変な事ばかり続くのでさすがに普通の主婦でさえおかしいと言いはじめている。
 4月29日のNHKが「チェルノブイリの25年」という番組をやっていた。25年経って当時の子供たちの世代に甲状線がんなどが頻発しているという。まるで福島の予言のようだった。日本の福島はウクライナのような広大な土地ではない。至るところ人口が密集している。そこが20キロ30キロに渡って被爆した。恐らくはもう二度と人の住めない土地となってしまったのだろう。私はこれらの事態を自分の中でどう処理して良いのか戸惑っていた。そして一つの結論に達したのは、もはや我々は黙示録の時代に入ったのだということだった。
そこで、七つのラッパを持っている七人の御使が、それを吹く用意をした。第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、血のまじった雹と火とがあらわれて、地上に降ってきた。そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった。第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして、海の三分の一は血となり、海の中の造られた生き物の三分の一は死に、舟の三分の一がこわされてしまった。第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。 この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。第四の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれて、これらのものの三分の一は暗くなり、昼の三分の一は明るくなくなり、夜も同じようになった。また、わたしが見ていると、一羽のわしが中空を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた、「ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ。なお三人の御使がラッパを吹き鳴らそうとしている」。黙示録8:6〜13
 1986年の3月か4月のことである。私は教会の聖書研究会でこの箇所を学んでいた。そして「この苦よもぎとは放射能のことに違いない」と語った。その後、4月26日にチェルノブイリの原発事故が起こり放射能汚染が世界的な話題になった。間もなくある信徒が「先生、チェルノブイリって苦よもぎと言う意味だそうですよ」と言ったときにはびっくりした。神は苦よもぎが放射能であることを教えてくださったのである。
 この箇所の初めの部分は原水爆の爆発のようだ。そのころ盛んにアメリカが南太平洋のビキニ環礁などで、原水爆の実験をしていた。それは正に「火の燃えている大きな山のようなもの」でしたから、すぐに分かった。ここの「たいまつのように燃えている大きな星」はひとつの事故や実験を表しているのではなく、原水爆の戦争による災害を総合的に表しているのだろう。放射能汚染によって多くの人が死ぬだろう。それは川々とその水源の3分の1を汚染するとある。
 さらに原水爆によって巻き上げられた粉塵によって大気の3分の1が覆われるために、太陽や月星などが光を失う。我々は今、福島第一原発のことでおびえているが、もっともっと恐ろしいことが起こるだろう。間もなく世界的な核戦争が起こる。それは恐らく非常に短期間で終わるだろう。

もう元には戻れない

 黙示録的世界とは何か。一言で言えば 「もう元には戻れない」 ということである。地震も津波も時が経てば元に戻せる。大きな災害の後に人々が考えるのは「どうしたら元に戻せるか」であろう。しかし、黙示録の世界は、もう元には戻せない。チェルノブイリの周辺ではもう誰も住むことはできない。福島もあの原発の周り20〜30キロ圏内はもう200万年も人は住めない。避難した人々はもう二度と彼らの家には戻れないのだ。これが黙示録的世界でなくてなんだろうか。
 チェルノブイリの事故が公になったのは、同じ日にスエーデンに放射性物質が現れたからであった。スエーデン政府は核攻撃をされたと発表した。まだソビエトがチェルノブイリの発表をする前だった。このことを考えると、前記の聖書の言葉は大戦争にならなくとも、世界の原発のいくつかが事故を起こせば実現する可能性すらあるということになる。正に我々は黙示録の世界に突入したのだ。
 私が言いたいのは発想の転換が必要だということである。私は核シェルターの必要性を訴えたが全く無駄だった。そして核シェルターではせいぜい数ヶ月しか保身出来ないことも確かである。私はマイナス思考だといわれることは覚悟の上で、これからは何かを保持するのではなく失うことを覚悟して頂きたいと申し上げたい。これは東北地方の人々が今経験していることなのだが、全てを失うことさえあるのだということを肝に銘じていただきたい。何が必要で何が必要でないのか、今のうちに選択しておいて欲しい。

万物の更新

しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
Uペテロ3:10〜12

 世界はいつの日か終末を迎える。ここに言う「地とその上に造り出されたもの」という言葉はストイカイオンと言い、諸原素という意味である。このことから世界は原子の単位まで破壊されることが推測される。原発や核戦争で汚染され200万年も人の住めなくなった地球ではなく、新しい原素によって地球は再構築される。それまでには多くのことが起こるだろう。
 その前に、我々がやっておかなければならないことは、物質的次元から霊的次元への移行である。ローンで建てたマイホームも車も電化製品も一瞬にして波に飲み込まれてしまった。1万数千人の肉体ですら今なお土の下、海の底に沈んでいる。物質は失われるものなのだ。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。Uコリント4:18
 つくづくこの聖書の言葉が真実であると思わずにはおれない。私としては皆さんにぜひ教会に行ってほしいのだが、ここに大問題がある。安心して紹介できる教会がないのである。これは私の最大のジレンマである。ほとんどの教会はサタンの働きに無関心であるからだ。あなたは病原菌に無関心で全く警戒心の無い病院に行きたいだろうか。今、日本の教会はそういう状態にある。一方では熱心に祈り、賛美し、伝道し、奉仕しているかもしれないが、サタンが現実に働いていることには何の関心も示さず警戒心も無い。どのために繰り返し現れる怪しげな偽預言者、偽指導者の愚劣なパフォーマンスに飛びついて大騒ぎしている。
 数年前に、浦安のディズニーランドの近くに美しい住宅街が出来た。一戸5000万円以上もする高級住宅街であった。東京から20分ほどもあれば来る事が出来る夢のような立地条件であった。しかし、私は、ここは危険だと思い周りにはそう言っていた。海の埋立地で脆弱な地盤であることは一目瞭然だったからだ。案の状、今回の地震で致命的な打撃を受けた。5000万円の住宅は傾き、住める状態ではない。  日本の教会も同じことである。砂上の楼閣なのだ。サタンの実在すら否定したり、何の警戒心も準備もない。こんな教会に行きなさいと勧められるはずがない。だから聖書を読んで欲しいとだけ申し上げるしかない。本当に困っている。
 それにしてもキリストが再び来られるとき、地球は放射能に汚染され、核戦争の粉塵によって薄暗い状態なのだろうか。まず世界大戦があり、反キリストの世界統一があり、ハルマゲドンがあるとして地上の3分の1が焼け爛れた地球にキリストは来られるのだろうか。黙示録を読む限りそうと考えるしかないのだが。それともキリストはその超自然の力によってそのような地球を一瞬にして健全な状態に変えるのだろうか。これが分からない。
 再臨など馬鹿馬鹿しい夢物語だというだろうか。キリスト教から再臨を取ったら単なる道徳宗教になってしまう。あの不信仰なイギリス王室ですら、その王の戴冠式で司祭が「この王冠はキリストが来られるまであなたの上にあるように」と唱えるという。  再臨が無ければ、この世に正義は存在しない。正義という概念すら成り立たない。宇宙の存在すら無意味である。間もなく世界は最終章に入るだろう。しかし、本当の終末、そして万物の更新までにはまだまだ長い年月がかかるだろう。

オサマ・ビンラデンの殺害?

 これほど奇妙な光景はあまり無いと思った。オサマ・ビンラデンを殺害したとオバマが発表し、アメリカ市民が狂喜乱舞しているのである。911のテロが彼の発案、指令によるというでたらめな情報を真に受けている愚かな人々にあきれた。アメリカという高度に情報化された国で、アフガニスタンの田舎から携帯電話で指令を出し、セスナしか操縦できないアラブ系の人間が一度に4機もの一般旅客機をハイジャックし(その一つも把握できなかったCIA、FBI、NSA、空港のセキュリテイには何のお咎めも無く)、航空機の燃料で強固なビルの鉄骨が跡形も無く粉砕されるなどという物理上の奇跡を不審がることも無く信じ込んでいるこの民は救いようが無い。
 オサマ・ビンラデンはこのような奇妙な事件の首謀者であるとされたことを否定しなかった。それは彼自身がこの事件を起こした側の協力者だったことを雄弁に物語っている。 オサマ・ビンラデンはとっくに死んでいたはずだ。それが、なぜ、今なのか。何を企んでいるのか。それとももう幕引きをしたいだけなのか。崩壊しつつある、ドルの救済のためにこの一幕のお芝居は演じられたのだろうか。ヒトラーのような俳優によって。