荒野の声 NO.92


偽預言者?オーラル・ロバーツの死

オーラル・ロバーツが死んだ。と言っても、ほとんどの読者は何者だ?というのが感想だろう。しかし、この男は、一時はアメリカでもビリーグラハムと双璧をなす有名な伝道者であった。最盛期には18000人の収容能力を持つ大テントをトレーラーで運びアメリカ中を伝道して歩いた。また多くのテレビ局ラジオ局から放送した。彼は若くして「神からの声を聞き」多くの人々の病を癒したとされる。私なども若いころ彼の伝記を読み感動し興奮したものである。
ところがある時から、彼はまたしても「神の声を聞き」大学を建てる。そこにはCity of Faith「信仰の町」という名前の病院も建てられ、そこの卒業生は病院施設のない貧困の国に派遣されるといううたい文句だった。世界中からペンテコスト派、カリスマ派の学生が集まり、やがてこのキリスト教原理主義?の中心的な場所となった。ところがやがて、幾度も経済的な危機が報道されるようになった。その都度、オーラル・ロバーツは「神の声を聞き」、もし「何時何時までに何億円が集まらなければ、神は私を天に召すといわれた」とテレビラジオで訴えた。これに答えてイノセントな(アホな)クリスチャンたちが莫大な献金をして、その場を切り抜けた。

ところが、その資金の多くは彼の妻や子供たちの途方もない贅沢に使われていることが判った。娘のレジャーやバカンスのバーミューダへの旅に大学の航空機が使われることは度々だったという。豪勢な家、ブランド物の購入、高価な車にこれらの「神への献金」は費やされた。
テックス・マーズ氏はオーラル・ロバーツ大学のキャンパスに無数のサタン礼拝のシンボルを見たと言っている。中心に立つ「祈りの塔」はオベリスクだとシスコさんは言う。ある女性は大学構内でのサタン礼拝に出席したと証言している。また彼はフリーメーソン33階級だと言うことはかなり知られたことである。
オーラル・ロバーツに限らず、20世紀のアメリカのキリスト教会をリードした指導者たちはほとんどがフリーメーソンであった。(推定である場合が多いが) ビリー・グラハム、キャサリン・クールマン、ノーマン・ビンセント・ピール、ロバート・シュラ―、パット・ロバートソン、ケネス・コープランド、ロドニー・ハワード・ブラウン、ケネス・ヘイギン、ベニー・ヒン・・・・あげて行けばきりがない。彼らはアメリカのスターだったし、現在もスターである。
 私が疑問でならないのは、これらの人々がなぜ神を恐れない行為を行いうるのかと言うことである。信じられない。彼らは羊の群れの中の狼だった。
キリストはこれらの偽預言者に対して預言している。
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。マタイ7:15〜23
 これなど全く現在のことを言っているようだ。また次のようにも言っている。
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。同13:24〜30
我々がこれらの偽預言者たちに対して、あまり発言しないのはこの言葉によるのである。収穫の日、終わりの時の神の裁きをじっと待っているのだ。それにしても情けない。