荒野の声 NO.89


黙示録の主役ユダヤ教とカトリック

シスコ・ホイーラー著「Behold a White Horse」より

前回の補足だが、ロスチャイルドの最高裁判所を見たとき、かつてRoschild Court(ロスチャイルドの法廷)と言う言葉を見たことがあることを思い出した。その時は何のことか判らなかったが、これを見て分かった。古代ローマでは皇帝は最高裁判官であった。これは塩野七生さんの「ローマ人の物語」にも詳しい。また、使徒パウロは自分をカイザルの法廷で裁いてくれと言い、ローマに連れて行かれている。これから生まれてくる世界皇帝はロスチャイルド家から出るのだろう。ロスチャイルドは新しいカイザルとなるのだ!
さて、ユダヤ教とは旧約聖書を信じる宗教であるというのが一般的な理解であろう。少し進んでいる人は、それにタルムードとゾハールを加えるであろう。しかし、シスコさんはそうではないという。むしろ、タルムードとゾハールが中心で旧約聖書(トラー)は副読本であり、時には(と言うより最終的には)聖書が完全に否定される。
イスラエル民族はダビデ、ソロモンの時代に大いに栄えたが、ソロモンの後、二つに分裂し、北朝イスラエル、南朝ユダとして互いに対立しながら続いた。しかし、この両者とも聖書の神よりも他国の神々を礼拝し、そのためにユダよりその偶像礼拝が盛んだった北朝イスラエルはBC 722年にアッシリアに、さらに続いて南朝ユダもBC586年バビロンによって滅ぼされ、国民の大部分が、それぞれの国に捕囚となって連行された。この内、北朝イスラエル10部族はアッシリアの滅亡と共にどこかに居なくなったとされている。(いわゆる“失われた10部族”と言われるが、実際は、大部分はユダと合流していると私は考えている)一方、北朝ユダはバビロンがメドペルシャによって滅ぼされた後に一部がイスラエルに帰還した。
このバビロン捕囚の原因はあまりに激しい宗教的堕落(イスラエルの神YHWHへの不信仰、反逆)だったが、彼らはバビロンでさらに異教の信仰を学んだ。それがカバラである。この後、ユダヤ教はカバラ信仰が中心となった。カバラについてはシスコさんの本に詳しく載っているが、結局、サタン礼拝そのものであるといえる。 サタン礼拝はすでにエデンの園から始まっている。カインの系譜にはサタン礼拝としか思えない思想が現れている。その後、最初の権力者、古代バビロンの創設者ニムロデがサタン礼拝を強力に推進したと言う。ニムロデはその母セミラミスと結婚したことは有名な話だが、このセミラミスが、後に聖母子像としてカトリックで祭られるようになった。セミラミスはエジプトではオシリスの妻イシスとその子ホルスとして、東洋では慈母観音として祭られている。ニューヨークの自由の女神もイシス、すなわちセミラミスである。
 ところでフリーメーソンとは初めからユダヤ教なのだという。前に私(小石)も書いたことがあるが、フリーメーソンとは異邦人をユダヤ人とするための装置なのである。そして、現代社会でフリーメーソンは最大の権力である。言い換えれば、世界はサタン主義のユダヤ教によって絡め取られてしまったのだ。インターネットのWWWはWrold Wide Web の頭文字を採ったものだがまさに世界を覆うweb「くもの巣」である。ちなみにこのWはヘブル語の6であることはご存知であろう。つまり666である。
 カトリックは偶像崇拝に満ちている。また、今はなりを潜めているが隠然たる力を保有しているという。ナチスをバックアップしたことでも有名だが、カトリックの力は黙示録の大淫婦バビロンそのものだとシスコさんは言う。(私はアメリカだと思うのだが。)
御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。黙示録17:3
 この女がカトリックだというのである。カトリックの乗っている獣はユダヤ教に立つこの世界の権力機構、フリーメーソン率いる反キリスト王国である。Behold a White Horseには、これらのことが詳しく語られている。ここに紹介したのは、ほんの数百分の一である。私の英語力ではこれ以上は無理で、早く翻訳出版したいものである。ちなみにBehold a White Horseと言うのは次の黙示録の言葉から来ている。怒りに燃えるキリストの姿である。
またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。19:11〜16

名前・最大の欺瞞

これはシスコさんの本には書かれていないだろうと思うのだが、フリーメーソンについて、最大の欺瞞がある。このことについては何度も書いているので、本紙の読者は耳にたこが出来るほど知っておられるだろう。しかし、もう一度書いておきたい。これはそれほど重要なことである。
フリーメーソンとはフリー(自由)なメイソン(石工)のギルド(組合)から起こったことになっている。ところがそれは大嘘である。なぜならフランス語ではフランマッソンというからだ。フランス語で自由はリベルタである。だから「自由な石工」というならリベルタメイソンといわなければならないはずだ。ところがフランマッソンである。フランス人なら「フラムの子」と読むはずである。実際、私の読者の一人でフランス人と結婚された婦人に教えたところ、「フラムの子」ですと言った。
この「フラムの子」と言う呼び方は、10年ぐらい前に日本で出版された本の中で偶然見つけたものである。そして私には、その意味がすぐに判った。「フラムの子」とは「ルシファーの子」という意味である。
フラムとはかつてのフェニキアの首都ツロ(現在のレバノンのタイラス)の王の称号である。イスラエルがダビデ、ソロモンによって栄えたころ、このツロとイスラエルは友好関係にあった。ダビデはフラムと親交が有ったし、ソロモンは神殿と宮殿の建設にレバノン杉を献納され、建設主任(頭領)が派遣され、彼の名はヒラム(フラム)・アビフと言った。フラムと言う名があると言うことは王家の出身であろうと思われる。
このフラム・アビフは神殿と宮殿の建設が終わった後、秘密の保持の為に殺されたが、いつか復活するとフリーメーソンは信じている。フラム・アビフこそが彼らのメシアの名である。このフラムについて旧約聖書エゼキエル書はこう言っている。
「人の子よ、ツロの君に言え、主なる神はこう言われる、あなたは心に高ぶって言う、『わたしは神である、神々の座にすわって、海の中にいる』と。しかし、あなたは自分を神のように賢いと思っても、人であって、神ではない。見よ、あなたはダニエルよりも賢く、すべての秘密もあなたには隠れていない。あなたは知恵と悟りとによって富を得、金銀を倉にたくわえた。あなたは大いなる貿易の知恵によってあなたの富を増し、その富によってあなたの心は高ぶった。それゆえ、主なる神はこう言われる、あなたは自分を神のように賢いと思っているゆえ、見よ、わたしは、もろもろの国民の最も恐れている異邦人をあなたに攻めこさせる。彼らはつるぎを抜いて、あなたが知恵をもって得た麗しいものに向かい、あなたの輝きを汚し、あなたを穴に投げ入れる。あなたは海の中で殺された者のような死を遂げる。それでもなおあなたは、『自分は神である』と、あなたを殺す人々の前で言うことができるか。あなたは自分を傷つける者の手にかかっては、人であって、神ではないではないか。あなたは異邦人の手によって割礼を受けない者の死を遂げる。これはわたしが言うのであると、主なる神は言われる」。
また主の言葉がわたしに臨んだ、「人の子よ、ツロの王のために悲しみの歌をのべて、これに言え。主なる神はこう言われる、あなたは知恵に満ち、美のきわみである完全な印である。あなたは神の園エデンにあって、もろもろの宝石が、あなたをおおっていた。すなわち赤めのう、黄玉、青玉、貴かんらん石、緑柱石、縞めのう、サファイヤ、ざくろ石、エメラルド。そしてあなたの象眼も彫刻も金でなされた。これらはあなたの造られた日に、あなたのために備えられた。わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった。あなたの商売が盛んになると、あなたの中に暴虐が満ちて、あなたは罪を犯した。それゆえ、わたしはあなたを神の山から汚れたものとして投げ出し、守護のケルブはあなたを火の石の間から追い出した。あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見せ物とした。あなたは不正な交易をして犯した多くの罪によってあなたの聖所を汚したゆえ、わたしはあなたの中から火を出してあなたを焼き、あなたを見るすべての者の前であなたを地の上の灰とした。もろもろの民のうちであなたを知る者は皆あなたについて驚く。あなたは恐るべき終りを遂げ、永遠にうせはてる」。28:2〜19
この文章の中間までは、明らかに地上のツロの王について言っている。事実、ツロの首都は沿岸にある島と二つの部分からなり、外的が攻めてくると島に移って戦ったので難攻不落であった。しかし、アレキサンダーは沿岸部分の都市を全部破壊して島への海を埋め立て、攻略した。
ところで、この文章の後半部分は、全く地上のことではない。明らかに天上の出来事であり、これこそルシファーの堕落と天からの追放を示していると考えられている。従って、ツロの王フラムとはルシファーの代名詞なのである。だから、フリーメーソンとは「ツロの王フラムの子」すなわち「ルシファーの子」という意味であり、もっと端的に言えばフリーメーソンとは自らを「サタンの子」と自称する人々のことなのである。これは絶対に間違いない事実であるが、恐らく相当高位のフリーメーソンでなければ知らない秘密であろう。私は偶然それを知ったが、神が教えてくださったのだろう。
こんなことを知っているからだろう、かつて故冨士谷紹憲氏が私に「あなたはフリーメーソンだろう。」と言った。私が「それなら、こんな貧乏してませんよ。」と答えるとすぐ納得してくれた。複雑・・・。

*前回の付録に載せた日本橋聖書セミナーの講演CDは、入会献金、維持費協力献金は不要です。CD代3000円だけです。
*多分これが今年の最終版となると思います。いよいよ時の迫りを感じます。来年はどういう年になるか分かりませんが、読者の上に神の守りと助けがありますように。