荒野の声 NO.37

聖書への攻撃


 太田 龍氏の「週刊日本新聞」でテックス・マーズ氏が書いているという文書のことを読み、早速、インターネットからダウンロードした。内容は以下の通りだが、私はこれを読んで、何だかうれしかった。それというのも聖書への攻撃は、言わば全面戦争なのである、これまでのようなゲリラ的な攻撃よりはるかに判りやすい。新約聖書の黙示録には「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」22:18〜19と書かれている。聖書の一節でも削除したり、聖書そのものの排除の企てはクリスチャンにとってファイナル・アラートである。この警報を無視するものはご主人の危機を見過ごす犬より悪い。もはや到底クリスチャンとはいえない。私はこれで“イノセント”なクリスチャンもやっと気がついてくれるだろうと期待している。

テックス・マーズ氏の「Power of Prophecy」1月号より

シオニストはキリスト教の新約聖書は偏屈で反セム的で憎悪の文書であるという

ユダヤ人はキリスト教の聖書を攻撃する

ユダヤ人はキリスト教の本を破壊しなければならない。特に新約聖書を

―ユダヤ人のタルムード「サバス(安息日)116a」より―

 何世紀にも渡って、人間は恐ろしい怪物のような何千という本を書き、出版してきた。18世紀の革命期フランスで、イルミナティの哲学者マルキス・ド・サドは人々の想像を絶する本を書いた。内容は性的な放蕩と、容赦の無いサデイスティックな拷問と、マゾヒスティックな極悪の不潔な話に満ちていた。マルキスが彼の、魂を滅ぼす物語を生産していた年月からこの方、多くの捻じ曲がった心が今日まで押し付けられている。アダルトの書棚と、3]の本屋には数え切れない新しい凶暴な本が備えられている。「テキサス・チエンソー殺人」とか「Saw」、「Scream」などの極悪な映画はこれらの恐ろしい本に基ずいている。これら多くの本や映画は人々の心をゆがめ、捻じ曲げるので危険である。そして犯罪者の心に取り付いて、彼らの実際の生活に、それらを複製するように煽動している。

*最も危険な本
 今日、手に入るこれらの悪魔的な本の山の中で、あなたは“最も危険な本”は何だと思われるだろうか? もし、そういうことが出来ると仮定しても、今、印刷されている何百何千という本を、検閲し禁止することなど出来るだろうか?
 ある強力なエリートのグループは、この地球上で最も恐ろしく危険であるという本を選出した。この有力なグループはこの本の全てのコピーを地上から完全に取り去るための全面的な運動を開始している。そればかりか、グループの内の多くの者たちは、各国政府があらゆる所でこの本を禁止し、所有するものを収監することを要求している。
 彼らが禁止し、違法であるとしたい本は他でもないキリスト教の新約聖書である。社会からその除去と破壊を求めているエリートのグループ? もちろん、私が言及しているのはユダヤ人、ユダヤ化した異邦人、無神論者、ニューエイジの追随者たちについてである。確かに、ユダヤ人たちは新約聖書が存在していること自体を怒っているのである。
 強力なユダヤ人ロビーのグループ、ラビ、ユダヤ化した異邦人の抗議の声は、今や最高潮に達している。新約聖書を攻撃し、中傷する“イエスの新約聖書を憎む人々”の声は15分毎に聞こえてくる。彼らにとって新約聖書は低俗な文学作品で、他に類を見ない規模で大量殺人と憎悪に対して責任がある。“偏屈で、憎しみに満ち、反ユダヤ的で危険な”新約聖書は処分されなければならないのである・・・・・・それも、直ちに。

*イエスの言葉はナチスのホロコーストに影響を与えたのか
 シオニストと多くのユダヤ化した人々によると、新約聖書はヒトラー・ナチスのホロコーストと何世紀にもわたるユダヤ人迫害の発想の源泉だった。この憎むべきキリスト教の本を、急いで! 消滅させよ、そうすれば反ユダヤ主義は永遠に消え去るだろう。もちろん、もし新約聖書がこの世界の舞台から退場するなら、イエスがキリストまたは主として来ることも永遠に無くなるだろう。「もっと良いことは」と主教ラビは言う、「イエスよ立ち去れ」。(訳注:イエスが誘惑するサタンに対して言った言葉をもじっている。) 新約聖書を軽蔑するユダヤ人たちは、彼ら自身の拠り所を持っている。ユダヤのタルムードである。ユダヤのタルムードはいかなるものでも全てのキリスト教の書物を強烈に軽蔑する。タルムードのサバス116aには、こう書かれている。“ユダヤ人はキリスト教の書物、特に新約聖書を滅ぼさなければならない”。タルムードのこの指令は1000年以上の歴史を持ち、 ユダヤ人の新約聖書への軽蔑は新しいものではない。しかし、今や、ユダヤ人の鋭い攻撃は拡大している。その周りには、ユダヤ化している、サンアントニの“クリスチャン・シオニスト”ジョン・ヘイギー牧師やその同類たちがいる。ADL(ユダヤ人反名誉毀損協会)は最大のユダヤ人ロビーであり、FBIやイスラエルのモサドやビッグブラザーのグループと同床にあるが、新約聖書を攻撃するユダヤ人ロビーの一つに過ぎない。ADLの邪悪な会長、エイブラハム・フォックスマンは彼の“二度とないのか?新しい反ユダヤの脅威”という本の中で、新約聖書がユダヤ人にはイエスの十字架について罪があるというので、第二次世界大戦中の600万人のホロコーストに責任があるという。

*明らかになったこと:なぜ彼らは新約聖書を憎むのか
 イエスの十字架刑へのユダヤ人の共謀の新約聖書の真実の根拠についてのフォックスマンの苦情はユダヤ人がなぜそれほどまでに神の言葉を軽蔑するかについて洞察を与えてくれる。新約聖書は、ローマの総督ピラトが、イエスが無実だと言う事を知って釈放しようとしたとき、ユダヤ人の群集が受け付けなかったことを記録している。「すると、民衆全体が答えて言った、『その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい』」。マタイ27:25
 ユダヤ人は神の言葉におけるこれらの真実の言葉を読むとき、至るところで怒り狂っている。彼らは悔い改めと悲しみを持って答える代わりに、傲慢にも、ユダヤ人の心のかたくなさを示す一つの本を人々の手から引き剥がすのだ。キリスト教の新約聖書を。
 ユダヤ・ブック・クラブは、最近、その会員に「新約聖書における反ユダヤ主義」という本を提供した。その著者リリアン・フルードマンは新約聖書に対する悪意に満ちた攻撃をしている。新約聖書は醜く、憎しみに満ち、真実性のないものであり、反ユダヤ主義に満ち、ユダヤ人を憎悪する者たちによって書かれ、編集されたと主張する。しかしながら、もしクリスチャンが罪滅ぼしをして、反ユダヤ主義を捨て、新約聖書の多くの節を改訂し、削除するなら、ユダヤ人とクリスチャンの間には明るい未来があると著者は見ている。
 簡単なことではないか! ただちょっと謝罪して、神の言葉の良き部分を消せば、全てはユダヤ人に許されるのだから! 我らの主イエスとその教えはひどく悪意と冒涜に満ちていると主張する、毒気に満ちた、怪物のようなユダヤ人の神聖な本、タルムードの何百ページは、もちろん、そのまま損なわれることは無いのである。そうすることで、そしてそうすることだけで、ユダヤ人はクリスチャンを窮地から救うことが出来るのである。
 さらにフルードマンは、新約聖書からユダヤ人を怒らせる全ての節を除去するだけでなく、タルムードの宗教、ユダヤ教がキリスト教会で“正式な宗教”として受け入れられなければならないと書いている。フォックスマンのADLと他の批評家たちは、ホモセクシャルは罪であり、神への侮辱だとする新約聖書の明白な教えに対して抗議している。彼らは新約聖書は偏見と憎悪に満ちていると告発する。

*ユダヤ化されたクリスチャンも聖書を攻撃する
 自らを“メサニック・ジュー”と呼ぶ、ユダヤ人・クリスチャンでも聖書の中傷者であることが知られている。指導的なメサニック・ジューであるアーノルド・フルクテンバウムは、旧約聖書のダニエル書で、反キリストはユダヤ人であると指摘しているKJVの聖書は“誤訳”であるという。栄光あるユダヤ人から反キリストが出るなどということはありえない。新約聖書も同じことを教えている。ユダヤ人を喜ばすためにこれもまた変えなければならないのだろうか? もう一人のユダヤ人・クリスチャンの指導者モンテ・ユダは新約聖書の有効性について多分に疑っている。なぜなら新契約(訳注:新約聖書の主題)を称揚するあまりに、ユダヤ人の優越性を示すと彼が信じるユダヤ神殿の重要性を減少させるからである。モンテ・ユダは使徒パウロの書簡は、全く見当違いで明らかに不潔であると示唆する。ユダヤの旧契約(訳注:旧約聖書の主題)と神殿の優越性は保持されなければならないとユダは強調する。他のシオニスト・オリエンテッド・グループの主宰者アルノ・フォロゼス(凶暴なユダヤ化異邦人)は、ユダヤ人は福音化(訳注:キリスト教徒になること)されてはならないと教える。彼はKJVと全ての現代の新約聖書は、彼が言うには、“異教の原語”(それらは古代ギリシャ語写本から翻訳されている)に基づいていると攻撃する。ただヘブル語だけが清いと彼は主張する。しかし、新約聖書は無謬である。

*神の真理の言葉を置き換える新しい翻訳
 同性愛者、ADL、強力なシオニストのグループ、さらにはユダヤ化異邦人たちの批判に適応するために、最近の聖書出版社は沢山の“新しい訳”を出している。ついには、KJV(彼らが常に攻撃し、書店から無くしている)以外は、ユダヤ人と同性愛者の好みに合うように編集され変更された聖書しか、世界のどこにも見つけることが出来なくなるだろう。全ての章と節が、削られ、修正され、訂正された新しい訳が産出されている。
 怒り狂ったシオニストやユダヤ化異邦人の強襲によって、伝統的な聖書のいかに多くの部分が消されているかを発見することはショッキングなことである。一例を挙げると、マタイによる福音書6章9節は、KJVの最初の一行は「天にいますわれらの父よ」であるが、最新のNIV(New International Version)ではただ、「父よ」だけである。「天にいます」が抜け落ちている。ユダヤ人とユダヤ教においては、今、この場で、地上の王国が最終的なゴールであることが強調されている。天と呼ばれるところでどんな父がいようと気にしないのである。ユダヤ人は現在の富と報酬を求めているので、最新の聖書の訳はユダヤ教のご主人様の気に入るように修正されている。このように新しい訳では“好ましくない”節や言葉は省かれているのである。

*罪ありとされる神の聖書
 もしADLとシオニストが彼らの思い通りに事を進めるなら、全ての新約聖書は“hate  literature”憎悪文書として禁止されるだろう。警察のSWATチームが市民のアパートや家々のドアを蹴破って、不法で禁止されている新約聖書を探し回るだろう。聖書は集められ山積みにされて公開焚書されるだろう。反抗するものは鎖につながれグーラグ(強制収容所)に送られる。その驚くべき映像は“華氏451”という映画に投影されている。
 「聖書の焚書だって?」と懐疑論者はいうだろう。「おいおい、テックス・マーズ頭を冷やせよ、ははは、そんなことは起こりはしないって。」 起こりはしないって? 友よ、今、すでに起こっているのだ。イスラエルで。ワシントンタイムスによればイスラエルのベテシャンの公立高校で、キリスト教の宣教師が路上で配った新約聖書を教師が学生たちから集め、焚いたという。その地方のラビは、禁止されている本を配った犯人を捜索する警察を助けた。もし逮捕されれば、長期の投獄が彼を待っているだろう。イスラエルにおいては新約聖書を無料で配布して改宗を迫ることは刑事上の犯罪である。

*もう沢山だ
 友よ、我々はユダヤ人ロビーやユダヤ化異邦人や同性愛者に対して立ち上がるべき時ではないだろうか。そして、言おう「もう沢山だ。貴く聖い神の言葉に対するお前たちの攻撃を止めよ。我らの主イエス・キリストへの罪深い襲撃を止めよ。もう十分だ。」    (小石 泉訳)