ホームページ・メッセージ140105        小 石  泉

 いつから、今の1月が年の初めになったのでしょうか。現在の暦はローマの時代に決められました。それまでは3月が年初でした。冬は月が無いこともあったそうです。3月が年初と言うのはさらに古いユダヤ暦でも同じでした。アビブの月(ニサンの月)と言い、太陽暦では3月ころに当たります。冬が空け命が復活する春に年が始まるのはふさわしいことだと思うのですが、なぜかローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の時代に今の1月が年初に定められたようです。これが現在の暦の原型グレゴリオ暦となりました。このころは太陰暦と太陽暦が混在していました。
 ユダヤ暦の年の始まりは「過ぎ越しの祭り」から始まります。
主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。もし家族が羊一頭の分より少ないなら、その人はその家のすぐ隣の人と、人数に応じて一頭を取り、めいめいが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。 12:8 その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない。 あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を引き締め、足に、くつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。これは主への過越のいけにえである。出エジプト12:1〜11
 過ぎ越しの祭りはイスラエルの民がエジプトから脱出する時に、神様が定められた祭りで、中心となるのは羊のいけにえです。羊を殺し、その血を家の門柱と鴨居に塗りました。この血を見た滅びの天使たちは、この家の長男を殺さずに“過ぎ越し”たからです。
 主イエスが十字架についたのは、この過ぎ越しの祭りの時でした。家々で羊を殺しているその時間帯に、主は十字架につけられたのです。ですから、この犠牲の血を自分の心の門柱と鴨居に塗る人は神の最後の審判の怒りが過ぎ越します。いつも思うのですが、神様の御計画の時間と意義が二重三重に重なって成就していくのはすごいですね。
 そんなわけで一年の始まりは、本当は春に決められるべきでした。今の1月には何の意味もない。 カエサルは7月を自分の月にしてJulyと名付けました。するとその後に皇帝の座についたアウグストは8月を自分の月と定めAugustと名付けました。そして7月より1日少ないのが気に入らないと2月から1日を取って31日にしたのです。もっとも家来たちがそうしたのかもしれません。一年の暦と言うものも結構いい加減なものですね。
 南米のインカ、アステカ、マヤなどでは天体観測が極度に発達していて、太陽の動きに合わせた正確な暦があったそうです。
 日本がグレゴリオ暦を採用したのは明治時代からで、それまでは太陰暦でした。ユダヤ暦のような区分があったようです。ちなみにその名前が言えますか? 
睦月(むつき)  如月(きさらぎ)  弥生(やよい)  卯月(うづき)  皐月(さつき)  水無月(みなづき)  文月(ふみづき)  葉月(はづき)  長月(ながつき)  神無月(かんなづき) 霜月(しもつき)  師走(しわす)
 また、英語のJanuaryは、ローマ神話の出入り口とドアの神ヤヌスにちなみ。年の入り口にあたることから、ヤヌスの月となったそうです。グレゴリオ暦はギリシャ神話の影響が強いですね。(ラテン系ではJをヤと発音する)