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脳神経外科医が見た天国

「プルーフ・オブ・ヘブン」(天国の証拠 早川書店)と言う本が出版されました。今、アメリカでベストセラーとなっています。著者はエベン・アレグサンダーという著名な脳神経外科医で、彼は突然、脳髄幕を細菌に犯され回復不能な瀕死の状態になりました。直っても重度の植物人間になることを宣告されます。しかし、その後、家族の熱心な祈りで奇跡的に復活しますが、その間、一週間の意識を失った状態で、彼は天国を見ます。それは現在の世界より“現実”の世界でした。
 著者はそれまで「死後の世界」を信じていませんでした。仕事柄、臨死体験をする人々の話は聞いていましたが、脳神経外科医としての専門から、それらは脳の異常から来る幻覚だと思っていました。彼は教会にも出席し、一応クリスチャンとして生きていましたが、本当の意味では信じていなかったようです。何しろ死後の世界を信じていないのですからとてもクリスチャンとは言えません。
 さて、ここで問題が生じます。「クリスチャンでなくても天国に行けるのか?」ということです。これは実は臨死体験の話が公になってからずっと教会内で問題にされてきたことです。
 臨死体験を1975年、最初に発表したのはレイモンド・ムーディという医師で「かいま見た死後の世界」と言う有名な本があります。この時も、教会では「クリスチャンで無い人が天国に行くはずがない」と、この本を警戒しました。
 しかし、アレグサンダー医師の体験は確かに霊的世界、天国の光景と言って良い話です。彼はその過程を「ミミズの目」「ゲイトウエイ」「コア」の三つに分けています。「ミミズの目」は霊的世界に入る前の闇、「ゲイトウエイ」は天国の入り口、「コア」は天国の中心。彼はここで言葉に尽くせない美しい光景や音楽を目にし、聞きます。
 ところがクリスチャンならここで第一にイエスさまが出てくるはずなのです。あのコルトン君も「最初に会うのはイエスさま」と言っています。万物の創造者であり支配者である主の主、王の王が登場するはずなのです。それは話題の中心であり、結論であるはずです。ところが何か弱いのです。確かに触れてはいるのですが。あいまいでおざなりです。わざと触れていないならば別ですが、私はここに長年の疑問が解消した思いがしました。この人は本当のコアには入っていない。
 クリスチャンは天国に行くでしょうか。もちろん行きますがそれ以上です。クリスチャンは天国を形成するのです。
また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。黙示録21:1〜:2
 ここにある新しいエルサレムは天国の中心である聖なる都です。ところがその都は小羊である主イエスの花嫁、すなわち教会なのです。
また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」 そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。21:9〜10
 私たちクリスチャンは単に天国に行くのではありません。万物の創造者であるキリストの花嫁であり体であるのです。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。Tコリント12:27
 これはあまりにも不思議であって、神の神秘の奥義中の奥義です。この神秘はおそらく生きているうちには理解することは出来ないでしょう。クリスチャンの特権と位置は驚くべきものであって、この世の原語に顕すことは出来ないでしょう。
 この人の見た天国はこの都の外、郊外の光景です!! 聖書には少しだけそのことが書かれています。
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。 21:23〜27
 もちろん、このことは明白な教理となっているわけではありませんが、どう考えてもそうとしか思えないのです。天国は私たちが考えているほど狭く小さいところではないようです。「諸国の民」「地の王たち」とは誰を表すのでしょうか。
 はっきりしているのは、私たちはキリストの体であり、花嫁であり、新しいエルサレムであるということです。
 臨死体験で見てきた世界はたとえようも無く美しいと言います。それなら本当のコアである新しいエルサレムはどんなに美しいのだろうか。いつの日か、確実に私たちはそこに居るでしょう。