ホームページ・メッセージ131208 小 石 泉
Man`s Capacity
日本語に適当な言葉が無いので英語表記にしましたが、要は人間の体の能力、余裕、可能性のことです。
私は腎臓のダメージから透析を受けています。1週間に3日、4時間の透析を受けます。1週間は168時間。その内、12時間透析を受ければ生きていけるのです。何と、人間の腎臓は14倍の余裕を持っていることになります。一方、心臓も主要な冠動脈が3本、ほとんど不通になっていました。カテーテル手術で開通した時、随分楽になりました。これも、よくもまあ、生きていたなと思います。人間ってすごいなと思います。
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。創世記1:26〜:27
神様が人間を創造された時、人間の内臓や器官をこのように精密に余裕をもって創られたのです。進化論の言うように、物質が自然に寄り集まって何となくこのような精度や能力を備えるようになることはありえません。著名な進化論者でもそれは認めています。それで、万物の基本は“何か賢い者”Something Inteligenceという言葉を作りました。素直に神様と言えばいいのに。
さて、私は毎週一日4時間透析を受けます。どうしても看護婦さんや技師さん、医師と話す機会が多くなります。それで感じることは彼らが生き生きとしてはつらつと仕事をしていることです。それぞれに悩みも問題もあるでしょうが、見たところ精神的に健康で強いと思います。人間は他人のために働いている時一番健康なのです。
一方でどうも教会には、どこか精神的に不健康で虚弱な人が居ると思います。弱いから信仰を持ったと言われればそれまでですが、信仰によって健康で強い精神を与えられなければ、証になりません。人間には多くの可能性Capacityがあるのです。
愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。Vヨハネ1:2
中国の教会に行くととても強い人が多いことに気がつきます。迫害も入獄もものともせずに生き生きと信仰を守っています。どこか日本では、いわゆる “甘えの構造”が教会の中にまで入ってきているように思います。善良であること、謙虚であることは美徳ですが、それが精神的虚弱体質になってはいけないのです。
強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。 申命記31:6
クリスチャンは強く雄々しくあるべきです。自己憐憫やためらいを捨てて、強くたくましくあってください。あまりにも自分を過小評価する、または過大評価することがあります。満たされない自分の望みの陰に、実は高慢やうぬぼれがありませんか。全くへりくだって、自分には何の価値も無いと言うことを認めるところから始めましょう。これは大胆な勇気が必要です。
私は神学校のとき、祈りの中で神様が近づいてきたことを感じました。その時、私は慌てふためくと共に、全く価値の無い,枯葉やちりよりも価値の無い自分に打ちのめされました。一緒に祈っていた友人は私の泣き叫ぶ声にびっくりして、「小石、しっかりしろ」と励ましてくれました。あの時の虚無感と絶望感はとても言葉には表せないものでした。神の前に私は何の価値も無い空しいものです。しかし、そんな私を神は愛し、御自分の御子の命をもって贖ってくださったのです。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4
高価で尊いと言われる神の言葉は、自分の無価値を知った人間だけが本当に理解できるのです。