ホームページ・メッセージ131117        小 石  泉

文化と信仰

 それぞれの民族や国々にはそれぞれ固有の文化があります。私たちがキリスト教を語る場合、それぞれの文化を完全に否定してしまうと、コミュニケーションも会話も成り立たなくなってしまいます。かつて欧米の宣教師たちは強圧的な態度で信仰を強制しました。時には武力さえ使われました。しかし、そういう方法は神様が求めておられる方法ではないと思います。
 そうかといって、文化の多くは宗教と深いつながりがあり、安易に認めるとその宗教の霊的な影響をそのまま受け継ぐことになります。ではどうしたら良いのか。
 例えば、私は、クリスチャンとなった人の家にある仏壇を、親族の反対を押し切って壊したり、取り払うことはお勧めできません。また、教会に来て間もない人に偶像信仰や仏壇を拝むなとも言いません。それよりも「まず、神様とイエス様を知ってください」と言います。どんなに良いものでも知らなければ欲しいとは思わないからです。また、もし神とキリストを本当に知ったら何も言わなくても自分で判断できるからです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。ヨハネ17:3
 それでも全くこの世の行事やしきたりを否定することは出来ません。特に日本のように、お祭りや、盆踊りなどが普通に日常生活に染み込んでいる国では、これはかなり困難な判断が必要となります。日本だけでなくヨーロッパ諸国や南米では明らかに異教の教えに基づいているものを無理矢理キリスト教の衣装を着せて祭りを行っています。こういう場合、自分なりの取捨選択が必要になります。
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。ローマ12:2(口語訳)
 初代教会はローマの宗教を拒否することで、国と民衆から憎まれました。ローマの場合偶像の神殿の前を歩く場合必ず礼拝をしなければならず、それは皇帝を祭る廟でも要求されました。さらにゼウスや数々のギリシャの神々の神殿も同じでした。
また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。黙示録2:12〜13
 ペルガモにあったと言う「サタンの王座」とはゼウス神殿のことです。この遺跡からナチスドイツはゼウスの立っていた土台を掘り出しベルリンにもって行きサタン礼拝をしていました。戦後ソビエトがベルリンを支配したとき、この土台はロシア国内に移動され、その後は行方知れずになっていますが“知っている者は知っている”のでしょう。
 このようにギリシャ神話も、今は物語ですが、当時は熱心な信仰の対象でした。クリスチャンたちはこれらと命がけで戦わなければなりませんでした。聖餐式が誤って伝えられ本当の人肉を食べると誤解されて迫害されました。
 文化が私たちに偶像を礼拝させたり、お札やお守りを強要されるなら断固として拒否しなければなりません。信仰は楽しく愉快なことばかりではありません。辛い、悲しいことを耐えなければならないこともあるのです。しかし、その報酬は莫大なものです。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。ヨハネ5:24