ホームページ・メッセージ131103 小 石 泉
日本の神と宇宙の神
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。1テモテ2:5
十二世紀の僧侶西行が伊勢神宮を参拝した時に呼んだと言う句に「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」と言うのがあります。仏教の僧侶でありながら伊勢神宮のたたずまいに敬虔な感動を覚えたということでしょう。これは典型的な日本人の信仰をあらわしていると思います。何だか判らないけど、感動した、ありがたく感じた、うやうやしく拝礼した、と言うものです。
日本には800万の神々が居ると言います。いわゆる八百万(やおよろず)の神です。日本人は自然のいたるところに神的なものを認めてきました。山、海、川、神社仏閣、仏像、お地蔵さん、御稲荷さん、かまどの神、いわしの頭、狐、蛇、中には上高地の明神池のように池そのものが神であったり、富士山のように山そのものが御神体であったりします。ですから富士山の山頂は山梨県にも静岡県にも属さないで浅間神社のものです。明神池の場合は国立公園なのに拝観料を取られます。もっとも、世界的にも太陽や月は神として崇められていますから自然の物を神とするのは日本に限ったことではないのですが。
自然の物を神として礼拝することは非常に不都合なことになります。例えば富士山が噴火してその山容が変わってしまったり、無くなってしまう事だって有りえない事ではありません。地震で明神池の水が干上がってしまうこともあるかもしれません。そうするとその中に住む神々はどこに行ってしまうのでしょうか。太陽だって永遠にあるわけではありません。自然の事物は変容することもあるのです。それを神として崇めるのはおかしなことです。
また数え切れない彫刻や像も神として礼拝されています。人々は手を合わせて願い事や救いを祈ります。しかし、これらのものは人間が作ったもので、人間が壊すことが出来ます。人間が作ったり壊したり出来るなら、人間の方がそれらの像より力ある神ではないでしょうか。奈良の大仏だって、場合によっては壊されるかもしれないし、実際に火災で焼失した記録もあります。そういうと「いや、あの中には霊(仏?)を迎えているから、その霊に祈っているのだ」と言います。なるほどこういう仏像や神像が作られると僧侶や神職の人が霊を招く儀式をします。この霊は都合によって出てもらうこともあります。移動したり、掃除したりする時にはやはり僧侶が、霊に一時出ていただくことが出来るらしいのです。奈良の大仏も毎年年末の時に掃除するために一時出ていただきます。神や仏を人間が出したり入れたり出来るのです! 人間ってすごい! こうして考えると自然を崇めたり、人間の作品を拝んだりすることは全く無意味だと言わなければなりません。
聖書の神は唯一です。この方は天地万物を創造されました。そして今もそれを保っておられます。この神は日本の神々とは何と違う事でしょう。聖書はこう言っています。
あなたがたは、彼らにこう言え。「天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる。」と。エレミヤ10:11
第二次世界大戦の後、日本を占領したアメリカは日本の文化や宗教に対して比較的寛容な政策を取りました。もしアメリカでなくソビエトが占領していたら今日繁栄している宗教はどれだけ生き残っていたでしょうか。共産主義の毛沢東が支配した中国では宗教は一掃されたのです。その中で生き残ったのはキリスト教だけです。今日、中国のキリスト教は1億ともそれ以上とも言われる一大勢力となっています。
間もなく、一時的に世界の宗教は統一されます。世界を支配する巨大な国家が誕生し、その長となる人物が自分は神だと宣言します。
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。Uテサロニケ2:4
この時、世界の宗教、日本の宗教は一掃されます。これは神がなさることではなく、サタンがすることです。この「彼」と言うのはサタンの第二格、反キリストと呼ばれる人物です。しかし、それはしばらくの間だけで、その後で本当の神、キリストがやってきます。奇妙なことに最終的に世界の宗教を破壊するのは神ではなくサタンなのです。
いずれにしても本当に信ずべきもの、信頼し頼ることの出来る神は、地域や、自然や、人間の作品ではなく、宇宙を創り、人間を創った方です。この方は間もなくこの地上に再び来られます。信ずるならそれだけの価値ある方を信じましょう。