ホームページ・メッセージ131020        小 石  泉

神はなぜ禁断の木を植えたのか
愛と自由について
―伝道用トラクト試作品2―

 神は天地を創造した後に人間を創りエデンの園に置かれました。エデンにはあらゆる植物の実が豊かに実り、それらを自由に取って食べていいと言われました。ところが園の中央にある「善悪を知る木」の実だけは食べてはいけないと言われたのです。しかし、最初の人類アダムとエバはサタンの誘惑に合いその戒めに背いて、その木の実を取って食べ、その違反のゆえにエデンを追われ、罪を犯したものとして不幸や争いや病がこの世に満ちるようになったと聖書は語ります。
 この単純な物語は、どんな子供でもわかるおとぎ話のようですが、実はとても深い真理を伝えているのです。この物語は「愛と自由」と言う人生の大きなテーマを語っているのです。それを考える前に、あなたは一つ疑問に思いませんか?
「なぜ、神はエデンに、わざわざ、その実を食べてはいけない木を植えたのだろう?」
 そんな木を初めから植えなければ、アダムもエバも違反も罪も犯さず、エデンで幸せな日々を過ごしたでしょう。
 これが今日、日本の至るところで繰り返される男女のトラブル、時には殺人事件にまで発展する悲しむべき愛と憎しみの原因を表しているのです。今の若い人のうちには愛というものが理解されていないなと感じます。

 愛とは完全な自由と対等な立場の間にだけ生まれるものなのです。
 どんな小さな束縛も強制も愛を成立させないのです。相手が自分を拒絶できる立場、完全な自由の位置にいる時だけ本当の愛は生まれてきます。これは男性が女性を言葉や暴力で束縛する場合だけでなく女性が「愛してくれなければ死にます」と言うような脅しを言う場合も同じことです。愛とはそういう試験を通った者だけが獲得できるものなのです。これが愛の原則です。これが判らなければ愛はわかりません。神は、神でありながら、その原則に忠実だったのです!
 聖書に「神は愛である」と書かれています。愛の神は、愛の対象として人間を創りました。しかし、人間と神ではあまりにも格差がありすぎて、完全な自由や対等な立場など考えられません。そこで神はエデンに禁断の木を植え、自分を拒絶できる自由を人間に与えました。人間は神と共にあれば何不自由なく幸せでいられたでしょう。しかし、それでは人間と神の間には愛は成立しません。愛の対象である限り、人間は神と完全に自由であり対等なのです。
 愛は人生の最大のテーマと言えるでしょう。誰でも愛されたいし、愛したいのです。愛の無い人生は空しく寂しいものです。だから少しばかりの間違った愛にでも飛びついて、痛い目に会うことの何と多いことでしょう。
 あなたを確実な愛、誤りのない愛に導くのは、神の愛です。どうぞ聖書に真理を学んでください。私たちの教会では聖書の神秘をお伝えしています。どうぞためらわずに安心してお出でください。私たちは完全な自由と対等な立場を尊重していますから。