暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。マタイ4:16
実は、前回で一旦休憩をしょうかと考えていました。もう、あまり気力がありません。ところがもう一つどうしても話しておかなければならないことがありました。それは福音を伝えることの重大さです。人は闇の中を歩んでいます。神もキリストも知らず、望みも愛も知らず! それがほとんどの人の人生だなんて! あまりにも悲惨です。
闇から光へ、悪魔の支配からキリストの愛へ。この尊い仕事を、神様は私たち人間に任されたのです。このか細い、頼りない私たちに。何で? もっと力強い、確実な方法が無かったのでしょうか。しかし、他には見当たりません。
改めてこの重大さに気がついてとき、ああ、もう一度20歳に戻れたらと思いました。そうしたらもう一度開拓伝道を始めるのに。今度はもう少し上手に出来るだろうに。
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。ヨハネ15:1〜12
このぶどうの木は天国にあるのではなく地上にあります。神様の関心はこの地上にあります。イエス様はこの世を愛してこの地上に来られ十字架にお掛かりになりました。人が救われるために。
このぶどうの実には「神を知らない人を神の御元につれてゆく」という務めがあるはずです。そしてこれほど貴いスリリングな体験はほかにないとおもいます。これは天国では出来ないことです。これはこの地上だけで行われる人間の作業の中で最も貴い作業です。天国は救われた人々だけがいる場所ですから、救いのメッセージは過去形で語られるでしょう。この地上で人が救われると言うことはとにかく奇跡に等しいできごとです。それは何者にも勝るすばらしい体験です。
伝道は専門家がする仕事ではなく、あなたが隣人にすることです。難しいことは判ります。でも祈りましょう、そして熱い情熱を持ってください。いつもトラクトを持ち歩いて、機会があれば誰かに渡してください。祝福あれ。