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シャローム

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。ヨハネ14:27
 苦しいという私に「不安感でしょう」とか「思い込みでしょう」とか言っていた医師が、エコー検査の結果を見て、「あなたの心臓は30%しか機能していない、これは苦しいは」と、やっと私の言い分を理解してくれました。「ああ、これで天国に一歩近づいたな」と言う喜び(本当です)の半面、気になってきたことは、遺していく人々への思いでした。家族のこと、教会の皆のこと、多くの愛する人々のこと。これからの世界を少しだけ知っている者として心穏やかではありません。だからと言って、私がいたからといって何か出来るわけではないのですが、一緒にいてやりたいという思いが強く迫ってきます。主がこの世を去って御国に帰られるとき、恐らくこういう気持ちだったのかなあと少しだけ判ったような気がしました。
 イエス様が言われた平安とはどんな平安なのでしょうか。ヨハネはギリシャ語でエイレーネーと書いていますがイエス様の口から出た時は「シャローム」だったでしょう。シャロームはイスラエル・ユダヤ人が非常に好む言葉です。エルサレムは「エルシャローム」“神の平安”の意味です。しかし、エルサレムは何と多くの戦乱を経験したことでしょう。イスラエル・ユダヤもまた世界史の中で多くの苦難を経験した民族でした。そうするとこの平安は通常の平安ではないことが判ります。イエス様は「わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います」と言っておられます。
神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。
もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、神がその声を出されると地は溶ける。
万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。
来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。
主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。
万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。詩篇46:1〜11 (口語訳)
 この平安は苦難や苦闘に会わないと言うのではなく、その只中で揺るがない力と確信に満ちたものだと言うことでしょう。
 私は最近とても奇妙な夢を見ます。それも何度も。それは道に迷う夢です。目的地に急ぐのですが、行けども、行けども到着しません。ついにはどこか判らなくなって途方に暮れて眼が覚めます。その風景がすごくリアルで眼が覚めても思い出すことが出来ます。ところが私は起きているときは方向感覚がとても良い方なのです。なんだろうこれはと思います。別に霊的な意味はないと思うのですが、強いて言えば、何事も簡単ではないということでしょうか。
芭蕉の晩年の句に「旅に病んで夢は荒野を駆け巡る」というのがありますが、寂しいですね。彼は眼が覚めても目的地が判らないのですから。でも私は目覚めれば目的地ははっきりしています。
しかしわたしは義にあって、み顔を見、目ざめる時、みかたちを見て、満ち足りるでしょう。詩篇17:15(口語訳)
シャローム、シャローム、シャローム。