ホームページ・メッセージ130609        小 石  泉

涙の谷を過ぎる時

だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:1〜4
 物事が全て悪い方向に向いていると思う時にも、御言葉は力強く励ましを与えてくれます。この御言葉は現実とは違うと思うことがあります。歴史上、クリスチャンは迫害され、水の中、火の中で押し流され、焼かれました。それは私たちの日常の生活の中でも経験することです。苦しみの中にある時、中々、「アーメン」とは言えませんが、そこに信仰が必要なのです。見ないで信じることが信仰です。いつかそれは花開くでしょう。
 昔、聞いた、マックス・モリス先生のメッセージを忘れることが出来ません。ある日の夜、真夜中に主に起こされました。それは1時を回った時刻なのに、今から、ひどい癌の手術を受けた友人を訪ねて上の御言葉を伝えなさいと言われるのです。「主よ、こんな時間にですか? もう病院も開いていないでしょう。彼も寝ているはずです。」しかし、どうしても主は行けと命じられるのです。先生は起きて服を着て病院に向かいました。幸い裏口が開いていたので彼の病室に向かいました。すると友人は起きていました。そして何も言う前に、こう言ったのです。「主から御言葉がありましたか?」
あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。イザヤ50:10(口語訳)
 「暗い中を歩いて光を得なくとも」神は私のために最善を備えておられると信じることです。ダビデが苦しみの中で「私は常に主をほめまつる」と歌ったように、あえて主を迎えましょう。
彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。詩篇84:6
 私たちは、涙の谷を通ることがないわけではありません。涙の谷と呼ばれる場所は長い乾燥した盆地で(イスラエルでは盆地を谷と呼びます)旅人は乾きで苦しむのでそう呼ばれていました。涙の谷を通らないで涙の谷にある人を助けることはできませんから。信仰は何もかもがバラ色に染まるわけではありません。クリスチャンには信号が全て青になるわけではないのです。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。ローマ5:3〜4
このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。Tテサロニケ3:7
 私たちはこの世で全て清算が終わるわけではありません。天の御国のための訓練が行われているのです。それでも、涙の谷を泉の湧くところとし、祝福の雨で覆うことが期待されています。
私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。詩篇40:2
「固く信ぜよ君がため最善が定められていることを。時が来れば、主の助けははからずも君に襲いかかってくるだろう。」カール・ヒルテイ