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聖霊と母性

 聖書の神には母性を表わす言葉はありません。父と子と聖霊です。母なる神は居ないのです。世界全般には母性の神は非常に多くあります。ですから、これは不思議に思えるのですが、正しいことです。父なる神には母性を越える十分な愛があります。神は完全で充足していますから母という属性は必要ないのです。キリストは神の現われであり、聖霊も神の働きの一部です。結局、神は唯一であり、母なる神というともう一人別の神があるようになります。
 しかし、聖霊には母性を思わせる働きがあります。
初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。創世記1:1〜:2
 最後のところは「水の上を舞いかけていた」とか「羽ばたいていた」と言う意味です。まだ形の整わない地球の上を、神の霊は生みの苦しみのように、気遣い、慈しみをもって、地球の誕生に関わっていたのです。
こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」マタイ3:16〜17
 次に聖霊はイエスがメシアとなる誕生に関わっていました。イエス様のバプテスマは、イエス様がメシアとしての活動を始めるスタートの合図でした。これはメシアの戴冠式であり、この時から主イエスの統治Anno Domini(AD)西暦が始まりました。ですから西暦は主イエスの誕生ではなく洗礼から始めるべきなのです。(これは私だけの長年の主張です。)それは主が30歳の時で現在の西暦26年頃と考えられます。ここでも聖霊は重大なことの誕生に関わっています。
 そして次に教会の誕生に関わられました。
五旬節になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。使徒2:1〜4
 主が天に帰っていった時、エルサレムにとどまって聖霊が下るのを待ちなさいと命じられました。何が起こるか判らないまま弟子たちは集まって祈っていました。すると聖霊が下り弟子たちは異言で話し始めたのです。これがキリスト教、福音、教会の誕生でした。教会はこのような神の超自然的な働きによって始まったのです。聖霊は「火のような舌」として顕れました。こうして聖霊は地球の誕生に、メシアの誕生に、教会の誕生にかかわられました。
 聖霊を母なる神として位置づけることは間違いです。あくまで神は唯一であり、別の神は必要ありません。しかし、聖霊は神の働きとして母のような性質を表されています。
 カトリックはマリヤを母なる神と位置づけようとしています。実際、カトリックの盛んな国々では、あたかも女神のように扱われています。またイエスの母だと言うわけで「神の母」と言う称号さえ用いる場合があります。さらに神と人との仲介者のように教えています。しかし、それは大きな間違いです。
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。Tテモテ2:5
 神は唯一です。別に神は要りません。仲介者はイエス・キリストの、人としての仕事であって他の誰も必要ないし、罪なきお方だけがなれるのです。
 聖霊はいつも静かに、物事の後ろ側から支え、産み出してくださいます。聖霊は御自分を表に出すことはありません。神様とイエス様が鮮明に判るとき、それは聖霊が働いておられるのです。それが聖霊のお仕事なのです。